ハーナル騎士団の庁舎では、だれもが事態の対応に追われ、忙しなく動き回っていた。その混乱のあいだを縫うように、一人の青年騎士が足早に歩いていた。淡い金髪にグレーの瞳を持つその青年の容貌は、だれもが振り向くほど端正で、人目を惹くものだった。その後ろに、部下の青年が緊張した面持ちで続く。
部屋に入るなり、青年騎士が部下に声をかけた。
「報告を頼む」
「はい。聖殿での襲撃はソリンが出動して程なく鎮圧されました。犯人は全員死亡。犯行に及んだ人間は、左の足の甲に刺青をしていたことから、リヒト原理主義者であることに間違いないかと。詳細はわかりませんが、叫んでいた内容からして、目的はヴォルヴァと天啓者を解放することだったようで」
「解放?」
青年が聞き返すと、部下が説明を加えた。
「二人が国に不当に拘束され、利用されていると。偉大なるリヒトを籠絡し、王の権威と権力維持のために、神聖であるべき力を搾取しているというのが、原理主義者の主張ですから」
「なるほど。純粋すぎるのも困りものだな。ほかには?」
それが、と部下が言葉を濁した。
「ユーリエ様も天啓者も無事だったのですが、ルイス様の代わりに護衛に当たっていたソリンの騎士が一人死んだと」
メモを取る青年の手が一瞬止まったが、またすぐに動きだした。
「それだけか?」
部下がうなずくと青年はそうかと、穏やかな笑みを浮かべた。
「ご苦労だった。下がってくれ」
部下が一礼して退出し、扉が閉まる。足音が完全に遠ざかったあと、青年の顔からふっと笑みが消えた。
「ソリンの騎士が……だれかの生贄にされたかな」
つぶやいてから、青年はくすりと笑った。
「きっと悲しまないんだろうな。……おまえはそういう男だ、ルイス」
「どう責任を取るつもりだ、メルヒオル」
会議室では、ハインリヒが厳めしい顔つきでメルヒオルを睨んでいた。
長机の周りには、閣僚たちが等間隔に坐っている。彼らは皆一様に同じ黒色の宮廷服に身を包んでいた。
「天啓者が来てから一週間も経っていないのに、この不始末とは。聞けば原理主義者の仕業だというではないか」
原理主義者という言葉に、集まっている閣僚たちが一斉にざわついた。その波に乗るようにして、ハインリヒの隣にいる別の小柄で太った閣僚が声を上げる。
「これだから宗教に耽溺する輩は厄介なのだ。道理をまったく弁えていない。しかもルイスはその日欠勤していたそうではないか」
「やむをえない事情だよ、ブロスフェルト卿」
閣僚たちとは対照的な、白の法衣姿のメルヒオルが静かに答えた。彼は長机から少
し離れた、閣僚たちを見渡せる位置に立っていた。
ブロスフェルトがふんと鼻を鳴らす。
「そもそも、近衛騎士でもないルイスに天啓者の世話を任せたのが間違いだったのだ。我らは書面で抗議したはずだぞ。彼はソリンでも問題を起こしてばかりの男だ。君やアルフレートの教育の仕方に問題があったのではないかね」
メルヒオルが肩を竦める。
「わたしの教育に一切の落ち度はないなどと言うつもりはないが……わたしが見てきたなかでも、ルイスはとても優秀な人間だよ、ブロスフェルト卿」
「なんだと?」
「そういきり立つな、エーヴァルト」
ハインリヒはブロスフェルトをたしなめると、悠然とした態度でメルヒオルを見た。
「メルヒオル。わたしが気になるのは、なぜ天啓者のことが外部に、しかも原理主義者たちに漏れているのかということだ。この事を知っているのは、王宮でも限られた人間だけだ。にもかかわらず、ルイスがおらず、たまたま代わりの騎士が護衛をしているときに襲撃があった。それは本当に偶然なのか? それが気になるだけだ」
メルヒオルが真面目な表情でうなずく。
「君の言うとおりだよ、ハインリヒ。今回のことはとても偶然とは思えない。君の口からは言えないだろうからあえて言わせてもらうが、この中のだれかが、天啓者の情報を外部に漏らした可能性もある」
閣僚たちが一斉に互いの顔を見合わせ、ひそひそと囁き合った。
ハインリヒがメルヒオルを鋭く睨む。
「なんの根拠もない憶測を並べ立て、この場を混乱させるような真似は慎め、メルヒオル。我々を疑うなら、まずは証拠を持ってくることだ」
「ただの可能性の話だよ」
メルヒオルがあっさり言うと、ハインリヒがふんと鼻を鳴らし、腕を組んだ。
「そもそも、ヴォルヴァや天啓者などというものの存在を認めること自体、わたしはどうかと思っているが。彼らを保護したところでなんの役に立つというのだ。それよりも、国防や産業の育成に力を入れたほうがよほど有益だ」
メルヒオルが穏やかに笑う。
「国防や産業育成にかかる費用に比べれば、ユーリエとリートにかかる額など微々たるものだ。削ったところで、たいして費用対策効果にはならないと思うよ。それに、聖殿の警備が手薄になったのは、そう言って君たち王権派が近衛騎士の数を減らしたのが原因だったということを忘れたとは言わせないよ、ハインリヒ」
追い詰めたつもりが逆に自分の失政を暴露され、ハインリヒはまたしてもメルヒオルを睨みつけた。
「ハインリヒ」
その声が聞こえた途端、二人は即座に声の主のほうに顔を向けた。ほかの閣僚たちも同じ方向を見上げている。
部屋の最奥にある、臣下たちより一段高い場所にその人物はいた。
この国の国王、マティアス・クレメンス・リヒトガルテン。肩章付きの黒い宮廷服に、銀の縁取りがされた真紅のマントをつけている。
マティアスの穏やかな空色の瞳が、ハインリヒを見据える。
「この件でメルヒオルを責任者にすると決めたのはほかでもないこのわたしだ。メルヒオルの決定はわたしの決定と同じ。今までの君の発言は、わたしを批判する覚悟での発言かな?」
ハインリヒはすぐさま恐縮した態度を取った。
「申し訳ございません。決してそのようなつもりは。しかし、メルヒオルがルイスを天啓者の騎士に選定した件は、あまりに決定の仕方が不透明です。それがこのような事態を招いたのではないかとわたしは考えますが――」
そこでハインリヒはいったん言葉を切り、メルヒオルのほうをちらりと見た。
「今の政権を握っているのは、我ら王権派です。それにも関わらず、陛下のご配慮を賜れないのであれば、我々が政治を動かす意味はないも同じ。どうかご賢察ください」
「おや、そもそも君はヴォルヴァの預言通り、天啓者が来ると信じているようには到底見えなかったのだが……」
メルヒオルにちくりと言われ、ハインリヒが憮然とした顔になる。
「わたしは不確実なものを信用しないだけだ。だが状況が変わった今となっては、対応を変えなければならない」
メルヒオルがにっこり笑う。
「それはすばらしいことだね、ハインリヒ。でも、わたしの記憶違いでなければ、君は騎士の選定をわたしに一任するとも取れる発言を会議でしていたよ」
そう言って、メルヒオルは懐から冊子を取り出して開いた。
「ほらここだ。わたしが、では天啓者が来るに当たって、護衛の騎士の選定はどうするのかと訊いたとき、君はそんなことまで決めている時間はない、そちらですべてやってくれと答えている」
ハインリヒの顔色がさっと変わる。
「それは――」
「ヴァイスハウプト卿は法手続きの軽視、シュヴァルツバッハ卿は職務怠慢。――痛み分けだね」
マティアスが笑って言うと、ハインリヒが悔しげな顔になった。その隣で、メルヒオルは涼しい顔で議事録を懐にしまっていた。
「さて、話を戻そう。ハインリヒ、メルヒオル。君たちの懸念はもっともだが、内通者については、まだなにも証拠がないことだ。憶測で話しても仕方がない」
マティアスは、真剣な表情で閣僚たちの顔をひとりひとり見つめた。
「だれかを疑ったところでキリがない。王権派であろうと神聖派であろうと、この国を思う気持ちに変わりはないとわたしは信じている」
マティアスはそう言うと、首に下げている四芒星のペンダントを握り、瞼を閉じた。
「リヒトの名に誓って」
声を張り上げているわけでもないのに、マティアスの声は不思議と議場の隅々まで響き渡るようだった。王に続いて全員が唱和する。
「リヒトの名に誓って」
王がメルヒオルに向き直る。
「さて、メルヒオル。わたしは天啓者のことは君に任せると決めた。今もその気持ちに変わりはない。君がこの件の指揮を執ってほしい」
メルヒオルがうなずいた。
「ではこれより地下の警備を厳重にして、見回りの騎士の数を増やします。それからなぜこうもやすやすと侵入できたのか原因を突き止めるため、ハーナルに協力を求めます」
「天啓者が出歩くのも禁止にしろ」
ブロスフェルト卿が不機嫌そうに口を挟むと、メルヒオルが目を伏せた。
「その必要はないかと」
「なぜだい?」
マティアスの問いに、メルヒオルが静かな口調で告げた。
「……彼が外に出ようとしませんから」
リートの部屋はいつになく混雑していた。
上下白の礼服を着たソリンの騎士たちが数人、ルイスを取り囲むように立っている。腕には全員が黒い喪章をつけていた。
騎士の一人が疲れた表情で言った。
「もういいだろう、ルイス。無理強いはよくない。わたしたちだけでやろう」
「リートの答えをまだ聞いていない」
「これだけ言って黙っているということは、行かないということだろう」
騎士の言葉に、ルイスが承服できないというように眉を上げる。
「返事を聞いていないのになぜわかる? 沈黙は肯定でも否定でもない」
「だが、おまえがいないと始められないだろう。ここでこうしていてもなにも変わらない」
違う騎士が苛立ち交じりに小声で言うと、ルイスは騎士の目をまっすぐに見つめた。
「これはわたしと彼の問題だ。邪魔をするなら出ていってくれ」
「なんだと?」
ルイスの物言いに騎士が食ってかかろうとしたが、隣にいた年嵩の騎士が押しとどめ、ルイスを見た。
「時間までには来るんだろうな?」
「ああ」
騎士たちが部屋から出ていったあとも、リートはルイスに背を向けたままうつむいていた。ほかの騎士たちと同じように、上下白の礼服に身を包み、腕に喪章を付けたルイスが静かに口を開く。
「行こう、リート」
しかし、リートは動かなかった。ルイスが一歩距離を詰める。
「ライナスはわたしの同僚であり、ソリン騎士団の人間だ。彼は己の役目を全うして死んだ。ならばわたしたちは弔って送り出してやらなければ」
リートは拳を握りしめた。
「なんで」
考えるより先に言葉が口を衝いて出ていた。
「なんで僕なんだよ! こっちは訳もわからないのに勝手に崇め奉って、命を狙われて、僕はこんなこと望んでないのに」
胸に渦巻く感情のやり場がわからず、リートの口から堰を切ったように言葉が流れ出た。
こんなに感情的になったことは向こうの世界では一度もなかった。八つ当たりだとわかっていても止められなかった。
ルイスが静かにリートを見つめた。
「理由ならある。君はリヒトに選ばれた。それは立派な理由だ」
「だから、それは!」
リートは言い返そうとしてルイスのほうを見たが、反論できず項垂れた。
「……知らないって言ってるだろ。天啓者がどうとか、リヒトが選んだとか、そんなことは知らない。僕には関係ない。そんなの僕が望んだことじゃない!」
「なら、君はなにを望んでいるんだ」
問われてリートは言葉に詰まった。
なにも答えられなかった。
自分がなにを望んでいるか。
そんなことは、生まれてから今日までただの一度も考えたことがなかった。
自分が子どもじみたことを言っていることに、リートはようやく気づいた。
「わかったよ。行けばいいんだろう」
リートは投げやりな口調でそう言い放つと、ルイスの横をすり抜けて扉に向かおうとしたが、その前にルイスに腕を掴まれた。
「リート」
リートは荒々しい仕草で腕を振り払った。
「そうしろって言ったのは君じゃないか!」
リートはルイスを睨みつけたが、ルイスはなにも言い返さず、静かにリートを見つめていた。
「行かなくてもいい。そうしたほうがいいと思っただけだ。いやなら無理強いはしない。君が決めればいい」
彼の言葉はどこまでも優しくて、リートは怒りが一瞬で消し飛ぶのを感じた。燃え盛っていた炎が突如として燃え尽きてしまったような、そんな感覚だった。
どうして彼はこんなにもまっすぐなのだろう。彼の態度のすべてがリートにはどうしようもなく苦しかった。
ルイスに背を向けたまま、リートはつぶやくように言った。
「……僕のせいでライナスは死んだ」
「それは違う」
ルイスはすぐさま否定したが、リートは頑なに首を振った。
「違わない。僕のせいだ。僕がここに来なければ、ライナスは死ななかった。向こうの世界にいてもこっちの世界にいても、結局僕には居場所がないんだ」
リートは自分に言い聞かせるようにそう繰り返した。
「僕には、どこにも居場所なんてない」
心が痛みで悲鳴を上げても、リートは自分を慰めようとはしなかった。そんなものは結局、ただの気休めにしかならない。どんなにつらくても、それがリートにとってただひとつの真実だった。
「あなたも僕から離れればいいんだ。僕のせいで死ぬなんて馬鹿げてるよ」
リートは突き放すようにそう言った。彼が呆れることを、諦めることを、部屋から出ていくことを期待して。
しかし、ルイスは動かなかった。青い瞳がリートの背中をまっすぐに見つめる。
「わたしはどこへも行かない。君のそばにいる」
リートは耐えきれず顔を両手で覆った。そして、自分がどこにも逃げられないことを悟った。
どうしてなんの迷いもなくそんなことを言えてしまうのだろう。
ルイスのまっすぐさと優しさがリートは怖かった。
それならばいっそ、勝手にしろと突き放されたほうが楽だった。
「僕にそんな価値はない」
孤独でいることよりも、傷つくことよりも、今のリートには彼を信じることのほうが恐ろしかった。
