第13話 謁見のあとで

「ひどいよ、ミリィ様。僕にはああ言っておいて、自分はいたずらするなんて」
 リートが抗議すると、エミリアは楽しそうに声をあげて笑った。
 今のエミリアは礼装ではなく、あの夜と同じようなミモレ丈のドレスに、足元は足首まである深靴ブーツというちだった。まとめられていた髪は下ろされ、半分だけ結い上げられて複雑な編み込みが施されている。両耳には青い石の付いた耳飾りが揺れていた。
 リートの部屋にある応接用の卓上には、茶菓が山のように用意され、二人の手元には紅茶のカップが置かれていた。
 それは、エミリアの筆頭侍女であるレーネが用意したものだった。
 ルイスが言っていたとおり、エミリアはお茶をしにリートの部屋を訪ねてきたのだ。
 皿に盛られた菓子を一つ摘まみながら、エミリアがまた笑った。
「だって、必死でバレないようにしてるリートがとってもわいいから」
 両親やメルヒオルの前でこそ淑女然とした振る舞いをしていた彼女だったが、今はまったくその面影はない。くるくる表情は動くし、じっとしていられない性格だということが椅子に坐っていても伝わってくる。
 つられてリートも一つ菓子を摘まんで口に入れたが、内心は複雑だった。
(可愛いって……僕も一応男なんだけど)
「リートを玩具おもちゃにするな、ミリィ」
 傍らで控えていたルイスが鋭く口を挟んだ。
「気をつけろ、リート。ミリィは昔から気に入った人間をそうやってからかうんだ」
 警戒した目で見つめるルイスを無視して、エミリアがまた口を開いた。
「そんなことより、どうしてあなたがここにいるの? わたしはリートと二人で話がしたいんだけど」
「監視だ」
 ルイスは当然だろうという顔で答えた。
「リートに悪影響を与える可能性がある人間が来たら、必ず立ち会えとメルヒオルから命じられている」
「わたしのどこが悪影響なのよ」
「君は模範的な王女とは言いがたい」
「模範的?」
 エミリアが菓子を片手に持ったまま、小馬鹿にしたような口調でルイスの言葉を繰り返した。整った顔に不遜な笑みが浮かぶ。
「そんなもの、なんの役にも立たないわ」
 リートは、摘まんだ菓子を口に入れるエミリアを見ながら、ルイスの言ったとおり確かに彼女は自由だと思った。
 茶菓が順調に消費され(ほとんどエミリアが一人で食べていた)、二杯目の紅茶を飲んでいたとき、エミリアが口を開いた。
「謁見した感想はどう?」
「うーん、なんていうか――」
 リートは今の自分が穏やかな気持ちに包まれていることに気づいた。
 あんなに緊張していたのが嘘のようだった。
「たいしたことなかった、かも」
「でしょ? ああいうのってやる前が一番緊張するけど、始まってみればどうってことないのよね」
 エミリアがふふっと楽しそうに笑う。
「なんでも同じだと思わない? 飛ぶ込む前が一番怖いの。でも慣れたらやみつきになるわ。わたしはそういうのが大好き」
「ミリィ様はとても強いんだね」
 リートがそう言うと、エミリアの空色の瞳がまたたいた。
「わたしのような女はあなたのいる世界でも珍しいの?」
「世界ではそうでもないと思うけど……やっぱり少ないかな。僕のいた国ではもっと少ないけど」
 むしろ敬遠される部類に入るかもしれないとはリートには言えなかった。
「リートのいた国は保守的なのね」
「うん、そうだと思う」
「でもこの国のほうがずっと保守的だと思うわ。議員になる資格があるのは男性だけだし、女性は騎士にも官吏にもなれないの。これはうちの国に限ったことじゃないけど」
「そうなんだ」
 確かに、女性が男性と同じ仕事内容で騎士をやるのは、体力的に難しいかもしれないとリートは思った。だが、官吏なら事務仕事だし、性別は関係ないはずだ。
 自分のいた世界だって、女性が働くことが当たり前になってから、そんなに時間は経っていない。長い間、女性の役割は働くことよりも、結婚して出産し、子育てをすることだった。
「この国の女の人は、みんなすぐ結婚しちゃうの?」
「ええ。位が高いほどそうよ。貴族は家を守らなきゃいけないから。みんながみんな恋愛結婚というわけにはいかないし、子どもができなければ離婚されてしまうの。平民の女性は結婚してからも働いて暮らしているけど」
 働かなくても働いても、それはそれで大変そうだとリートは思った。
「でも、メルヒオルは違う。彼はやりたいと思う人間には、性別にかかわらず機会を与えるべきだという考え方なの。反対する人が多いから、まだ実現できていないけど。それに召し使いにはお給料を払って雇用しているの。そんなことをしているのはメルヒオルだけよ」
 それからもエミリアの話は続いた。リートはライナスにこの国の基本的な知識しか教わっていなかったので、エミリアの世間話を聞くのは面白かった。彼女の話題は最新の政治や外交事情、彼女の両親である国王と王妃のことや、どの召し使いと侍女がつき合っているかにまで及んだ。
 エミリアは呆れた目でルイスを見つめた。
「あなたってほんとになにも話してないのね」
「訊かれなかったから答えなかっただけだ」
 ルイスがそっけない口調でそう言うと、エミリアがほおづえをついて口元を上げた。
「どうせあなたのことだから、リヒトと騎士団のことを教えただけなんでしょう」
「どうしてわかるんだ?」
 本気で不思議がっているルイスに、リートはエミリアと顔を見合わせて笑ってしまった。ひとしきり笑ってから、エミリアはリートを見た。
「あなたはなにも欲しいと言わないのね」
「え?」
「母がね、天啓者なんか来てもろくなことにならないってずっと愚痴ってたの。いろいろと要求された挙げ句に王宮を乗っ取られるんじゃないかって」
「要求って?」
「例えばわたしと結婚するとか」
 リートは飲んでいた紅茶にむせてんだ。苦しさで生理的な涙がにじむ。同時に、謁見したときに、ペトロネラの対応が冷たかった訳を知って、リートは納得した。
「しないよそんなこと! 僕はただ――」
 しかし、リートはその言葉の続きが出てこなかった。
 ただ、なんだと言うのだろう。
 帰りたいわけではない。
 帰ったとしても、自分の居場所はどこにもない。
 どこにいたとしても自分はいつも独り。
 そう考えていたことを思い出して、リートは心がずしりと重くなった気がした。
「僕は、なにをすればいいのかがわからないんだ」
 リートがそう言うと、エミリアが首を傾げた。
「自分がしたいと思うことをすればいいんじゃない? わたしはいつもそうしているわ。剣術も乗馬も舞踏も――自分が楽しいと思うことを」
「楽しい?」
 リートは思わずおう返しにそう聞き返した。
 もうずいぶん長いあいだ、そんな概念があることすら忘れていた気がした。
「ええ。ないの? 楽しいと思うこと」
「……ない」
「なら探さないとね」
 エミリアがそう言って微笑んだ。
「なにか不便なことがあったらいつでも言ってね。お父様にそれとなく伝えておくから」
「ありがとう」
 リートはそう言いながら、気を取り直すようにまた紅茶を飲んだ。
 向こうの世界にいても、楽しいことなんてなにひとつなかった。同級生たちがなぜ毎日あんなににぎやかで楽しそうにしていられるのか、リートには理解できなかった。
「まあそれに、リートの歳じゃ、いくらなんでも結婚には早すぎるわよね」
 エミリアの言葉に、リートは苦笑した。ただでさえ人とつき合うことが苦手なのに、わざわざ結婚するなんて、リートには考えられなかった。
「まだ十六だからね」
 リートは何気なくそう言ったのだが、エミリアが驚いたようにリートを見た。ルイスも同じように驚いた顔をしている。
 二人の反応にリートはたじろいだ。
「え、なに……?」
 エミリアが空色の瞳を真ん丸にしてリートを見る。
「まあ、そうだったの。てっきり十三か十四くらいかと思ってたわ」
 東洋人が実年齢より若く見られてしまうという現象は、異世界に来ても同じらしいとリートはがっくりしながら思った。