第28話 主役の条件

「楽しんでいるかな、リート」
「まあ、それなりに」
 リートが言葉を濁すと、メルヒオルが苦笑した。
「すまないね。君が人が大勢いる場所を好まないのはわかっていたんだが、これも必要な措置でね」
「わかってます。それに僕はミヒャエルに接触してしまったし部屋に閉じこもってることを選ばなかった。だから宴にも出ないと」
 リートがそう言うと、メルヒオルが微笑んだ。
「リート。今度王都の市街地に行ってみる気はあるかな。君とルイスとヴェルナーで」
 リートは驚いてメルヒオルを見た。
「外に出てもいいの?」
「警備の問題で午前中だけだけどね。本当は延期しようと思っていたんだが、君はエミリアからじゅうぶんすぎるくらい罰を受けたみたいだからね」
「ありがとう、メルヒオル」
「礼は必要ないよ、リート。君には不自由を強いているのだから」
 メルヒオルはそう言うと、踊っている人間たちのほうに視線を向けた。
「君は踊らなくていいのかい? 王女と特訓したんだろう?」
 リートは下を向いた。
「……いいんだ。だって、この宴の主役は僕だけど、僕じゃないから」
 ここには自分の居場所がない。いくら着飾っても、舞踏の稽古をしても、自分はこの場所で楽しむことができない。
「君はどうして主役になりたいんだい?」
 メルヒオルの言葉に、リートは虚を衝かれた気分で顔を上げた。
 改めて考えてみると、リートはよくわからなかった。
 自分はなぜ主役になりたいと思ったのだろう。なぜ主役でないことにがっかりしているのだろう。なぜ脇役では駄目なのだろう。
「……ただ、主役じゃないと駄目だって思い込んでただけかも」
 リートがそう言うと、メルヒオルが柔和に微笑んだ。
「役者は指名されて主役を演じるものだけど、この世界は違うとわたしは思っているんだ」
 理知的な光を湛えたグレーの瞳が、リートをじっと見つめた。
「……君はどういう人間が主役になれると思う?」

 宴が終わって部屋に着くと、リートは真っ先に襟飾りを首から外した。今考えてみれば、自分が疲れていた大半の原因はこれのような気がした。
「ルーツィアはきれいな人だね。それにすごく優しいし」
 リートがそう言うと、ルイスが微笑んだ。
「彼女が聞いたら喜ぶ」
「二人はどうやって出会ったの?」
 なんとなくそう訊ねてしまってから、リートはしまったと思った。護衛してもらっているだけの自分が、彼の個人的なことを訊くのはまずかったかもしれない。
 自分が詮索好きな人間だと思われるのはいやだった。
「い、言いたくなかったらべつにいいけど……」
 ルイスが静かに首を振る。
「かまわない。昔、わたしが仕事中にをしたときに、偶然助けてくれたのが彼女だったんだ。それがきっかけでつき合うようになった」
 リートは、まるで映像劇ドラマの中の話のようだと思った。
 しかし彼は、そんな現実離れした話が似合う人間だった。
「ルーツィアはわたしの大切な人だ」
 静かな口調でそう語るルイスの横顔を、リートは不思議な気持ちで観察した。
 大切な人。その意味がリートにはよくわからなかった。自分にはそんな人間がいない。なにかを大切にしたいと思ったこともない。
 リートは話題を変えることにした。
「あのね、さっきメルヒオルと話してたんだけど、ルイスはどういう人がこの世界では主役になれるんだと思う?」
「世の中に主役も脇役もない。全員が同じ一人の人間だとわたしは思うが?」
 すぐさま返ってきたルイスの答えに、リートはうつむいた。
「……そうだよね。それは正しいと思う。でも、僕は主役になれる人には、なにか条件があるんだと思うよ」
(そして、あなたはその資格を持っているよね)
 リートはそう心の中で付け足した。
 だがその条件がなにかまでは、リートにもよくわからなかった。その条件を満たしているから、彼は主役になれる。エミリアも、そしてミヒャエルも。
 しかし、自分はその条件を満たしていない。
 今の自分には、主役でいる資格がない。
 自分はルイスたちとは決定的になにかが違っている。
 どうすれば彼らのようになれるのだろう?
 ミヒャエルのようにそつなく振る舞うすべを身につけることは重要だが、それだけではいけない気がする。第一、要領良くやるのは自分には向いていない。やろうと思えばできるのかもしれないが、リートはそのことに価値があるとはあまり思えなかった。

 リートとルイスが会場をあとにしたのを見届け、エミリアに別れの挨拶をしてから、ミヒャエルはメルヒオルに近寄った。
 ミヒャエルの姿に気づいたメルヒオルが、すぐに柔らかな笑みを浮かべた。
「婚約おめでとう、ミヒャエル」
 ミヒャエルが優美な動作で頭を下げる。
「ありがとうございます。あなたに祝福していただけるとは思いませんでした」
 ミヒャエルがそう言うと、メルヒオルが微笑んだまま眉をかすかに上げた。
「なぜだい?」
「リートを連れ出したことを怒っていらっしゃるのではないかと思ったので」
「君を咎めるつもりはないよ。わたしとルイスの不手際のせいだからね」
 ミヒャエルが首を傾げ、探るようなまなざしをメルヒオルに向けた。
「わたしが天啓者の部屋に出入りしてもかまわないと?」
「それをリートが望んだのなら、わたしから言うことはなにもないよ。それで、本題はなにかな。なにか重要なことのようだが」
 そう言ったメルヒオルの表情にもう笑みはなかった。それに呼応するように、ミヒャエルも真剣な表情になる。
「聖殿を襲った犯人のことです。あれは原理主義者の仕業ではありません。偽者です」
「なぜそうだと?」
「彼らが付けていた仮面は、確かに原理主義者の付けている仮面に使われている木と同じ種類のものでした。それから、これは公にはされていないのですが」
 そう言ってミヒャエルが声を低める。
「今まで押収した仮面はすべて、樹齢千年以上経っている木でできているのです。ですが今回のものはごく新しい。形はよくできていますが、何者かが真似て作ったのでしょう」
「なるほど。だがそれだけで断定するのは早計ではないかね」
「それだけではありません。刺青いれずみの位置が本物の原理主義者とは若干違います」
「確かかね?」
 ミヒャエルがうなずく。
「ええ。原理主義者の遺体の記録をすべて調べましたから」
「そうか。だがこのことは内密に頼むよ。知らせるのはリューディガーだけにしておいてくれ」
「承知しました。しかし、リートの警備の人数を増やさなくてもよろしいのですか? 彼らは明らかにリートの命を狙っています。いざというときにルイスだけでは間に合わないのでは」
「警備を厳重にすれば、それと引き換えに彼の自由を制限しなくてはならなくなる。わたしとルイスが彼の知る自由を奪ったから、リートは君のところに行ったんだよ、ミヒャエル。これ以上彼の行動を制限すれば、わたしとルイスはまたリートに嫌われて信用をなくしてしまう。まさに君のおもつぼというわけだよ」
 メルヒオルが肩を竦めて嘆くように言うと、ミヒャエルは一瞬目を細めたが、すぐにまた笑みを浮かべた。
「……ご冗談を。わたしは純粋にリートの心配をして進言しただけですよ。ですが、確かに一介の騎士としては出過ぎた発言でした。どうかお許しください」
 ミヒャエルが静かに頭を下げると、メルヒオルが微笑んだ。
「謝るのはこちらのほうだよ、ミヒャエル。年を取るとどうもうたぐぶかくなってしまっていけない。君も気をつけたほうがいい」
「お言葉、肝に銘じます」
「王宮の警備は増やすが、しばらくは様子を見る。引き続き捜査を頼むよ」
「承知しました」

 宴の翌々日、リートはユーリエの元を訪れていた。
「宴はいかがでしたか?」
 ユーリエに問われ、リートは苦笑した。
「疲れたよ。やっぱり人がたくさんいるのはこっちに来ても苦手みたいだ」
 昨日は一日中部屋で寝込んでいたので、ルイスを心配させてしまった。
 リートはユーリエのほうをちらりと見た。
「ユーリエ。前に人が怖いって言ってたよね」
「はい」
「実は僕もそうなんだ。君とは理由は違うけど……人にどう思われるのかが怖くて仕方なかったんだ」
 リートはそう言って顔をうつむけた。
 いつも他人との違いを思い知らされるたびに、どうしていいのかわからなかった。相手からどう思われているのかを気にしていた。
 家族にも教師にも級友にも、自分という人間を理解してもらえなかった。
 いつも理解される前に向こうから離れていってしまう。
 だからいつも心の中ではおびえていた。
「そのことを認める勇気もなくて、いつも怖いって気持ちを押し込めて、大丈夫なふりをして人と接してた。だからね、ユーリエはすごいと思うよ。ちゃんと怖いって、自分の気持ちを認められるんだから」
「そうでしょうか」
「うん。すごいよ」
 リートは心からそう言った。
 人が怖い。そう思う自分がいることをいつも自分は否定していた。自分の感情から目を逸らしていた。
「でもね、昨日一日過ごしてみてわかったんだ。僕が人が怖いんじゃなくて、相手に悪く思われることが怖いんだって。相手がどうこうっていうんじゃなくて、自分が傷つくことが怖かったんだ。でも、今はルイスやミリィ様や、ミヒャエルがいるから――僕を悪く言う人だけじゃなくて、ちゃんと僕を見てくれる人がいるから、怖くても大丈夫だって思うんだ」
「怖くても……?」
 リートはうなずいた。
「うん。だからもし、ユーリエが自分を見てくれる人がだれもいないって思うなら、僕がそういう人になりたいな」
 自分となら怖くないかもしれない。ユーリエはそう言っていた。
「だからね、僕にいろいろ教えてほしい。知りたいんだ、君のこと。どういうときに笑うのかとか、怒るのかとか、悲しむのかとか、好きなこととか、嫌いなこととか。そうすれば、僕らはもっと仲良くなれると思う」
 リートは言いながら困ったように首を傾げた。
「僕、変なこと言ってるかな? 向こうの世界じゃ友達って呼べるほど親しい人がいないから、こういうことはあんまりわからなくて」
 ユーリエも困惑したように首を振る。
「わたしにもわかりません。わたしと仲良くなりたいと言った方は、リート様が初めてですから」
「あ、そうなんだ……」
 リートはどうしていいかわからず言葉に詰まった。
 こういう場合はなんと言えばいいのだろう。
「じゃあ、そういうことだからよろしく」
「こちらこそよろしくお願いします」
「う、うん」
 律儀に頭を下げるユーリエを見ながら、なんとも様にならないなとリートは思ったが、まあいいかと思った。どうせ自分には自然と友達になるという芸当などできっこないのだから。
 結局自分は、持って回った言い方をするより、率直に話すほうが向いているのかもしれない。
 自分の気持ちを言うことには勇気がいるが、自分に嘘をつくのはもっといやだった。
 ひょっとすると、主役でいるというのは、そういうことなのかもしれない。
(僕が? まさか)
 自分がそんなものになれるわけがない。突出した能力も持っていないし、人格者というわけでもないのに。
(でも……)
 リートはちらりとユーリエのほうを見た。
(リート様は、わたしにとっては主役のようでしたが?)
 ならば彼女は物語の相手役なのだろうか。
 それは違う。彼女は自分の友達――に、なりたい人なのだから。
「どうかなさいましたか?」
 不思議そうにこちらを見るユーリエに、リートは首を振った。
「……ううん、なんでもない」
(だれかを利用して主役になっても仕方ないよね)
 リートはそう思い直し、また口を開いた。
「ユーリエはお菓子とか好き?」
 ユーリエがきょとんとした顔になる。
「お菓子ですか? あまり食べないのですが、嫌いではないと思います」
「じゃあ、今度僕が好きなの持ってくるよ。レーネさんが持ってくるのはどれもしいから、きっと気に入るよ」