「それが好きなの?」
「うん」
ケースからディスクを出して、再生機にセットしながらシュンは頷いた。円盤は高いから極力買わないようにしているが、これは働きはじめてからすぐに買ったのだ。
「瞬はどうして映画が好きなの?」
「好きというか……母さんが家にいなくてひとりの時間が長かったから、いつも映画を見て暇を潰してたんだ」
映画を見ているあいだだけは、現実のつらさを忘れていられた。
学校の成績が悪いことも、友達がいないことも、教室で疎外感を覚えていることも。
映画で繰り広げられる物語は、それが悲劇であろうと喜劇であろうと美しい。だがこれはあの映画と違って、無声映画だ。俳優の動きを見て心情を想像するしかない。
「君はこっちの世界の文字が読めるの?」
シュンが訊ねると、メグが笑顔で首を振った。
「いいえ、ぜんぜん読めないわ。向こうでも文字を使うのは管理者だけだから」
「そうなんだ……」
その事実は、シュンにはなかなかの衝撃だった。
(字って、読めなくても生きていけるんだな)
確かに、字を読むという能力は人間の生理機能とはなんの関係もない。
(そういえば、ジーンは国家そのものがないって言ってたもんな……)
「大丈夫よ。字はあなたが読んでくれればいいし、あとは動きでわかるわ。お芝居ってそういうものでしょ?」
結果的に、メグは楽しんで観てくれているようだったので、シュンはほっとした。
彼女は全自動食事マシーンのくだりで大笑いしていたが、シュンは複雑な気持ちだった。働くようになってからは、主人公が機械に手荒い扱いを受けている姿を他人事とは思えず、見るたびにつらくなってしまうのだ。
メグが目尻を拭いながら言う。
「テレビはぜんぜん面白くないけど、これは面白いわ。こっちの世界にもこんなにユーモアのある人がいるなんてね」
「彼ももともと向こうの世界の人間だったのに、こっちに残った人だったのかも」
「そうかもしれないわね。ジーンならそういう人たちを全員把握してるんだけど……」
(じゃあ、俺が知らないだけで、今までもそういう人と出会ってるかもしれないんだ)
シュンは、ふとそんなことを思った。だがジーンはそういう人間たちはみんな有名人だと言っていた。自分のようなただの一般人と接点などあるはずがない。
その時、ちょうど自分のお気に入りの場面になったので、シュンは考えていたことをいったん忘れた。働きすぎて頭がおかしくなり、バレエのように踊りながら、なんでもかんでも出っぱった部分をレンチで締める主人公を見て、シュンは笑った。
(俺も、あれくらい会社をめちゃくちゃにしてから辞めればよかったかな)
場面が変わり、職を失った主人公と、父親と住む場所を失って街を彷徨うヒロインが出会うシーンになった。工事中のデパートで、階下に落ちるすれすれの場所で目隠しをしたままローラースケートをする主人公に、メグが目を丸くする。
「すごい。あれはわたしでも怖いかも」
「ああ、あれは本当は地面で撮影してるんだけど、カメラの手前に絵を描いた硝子板が置いてあって、高いところにいるように見えてるだけなんだ」
シュンは映像を止めてから、携帯電話を操作し、メイキング動画をメグに見せた。
動画を見ながらメグが感心した表情になる。
「よく考え出せるわね。わたしたちは高いところから落ちても平気だから……」
しかし、彼女の声はもうシュンの耳には届いていなかった。
携帯の画面を覗き込んでいるメグとは、ほんの少ししか離れていない。
今なら自分のほうに抱き寄せて簡単にキスできる――。
シュンの視線に気づいたメグが、微笑んでこちらを見る。
「なに?」
シュンはさっと目を逸らした。
「いや、なんでも」
(やめろ。抱き寄せたいとかキスしたいとか、そんなことは考えるな)
しかし、そんなシュンの心を読んだかのように、メグがシュン手の上に自分の手を重ねてきて、シュンは思わずびくっとした。
心臓の鼓動がうるさいほど音を立てはじめ、ジーンズの中が硬くなる。
シュンは無理やり手を引き剥がしてリモコンを掴み、止めていた映画を再開させた。
(……俺は馬鹿だ)
わざわざ自分から近づいて、苦しむような真似をするなんて。
メグに不満そうな視線を向けられても、シュンはテレビの画面を見つめ続けていたが、内容はまったく頭に入ってこなかった。
次の日、シュンは駅に向かう道を歩いていた。
隣には、うきうきとした様子のメグがいる。
だめだ。部屋の中で二人きりだと、どうしてもそういう雰囲気になってしまう。
そう思ったシュンは、今度はメグを外に連れだすことにした。
「今日は外に行こう。ほら、あの映画みたいにデパートとか」
朝食を食べていたとき、シュンが無理やり笑顔を作って言うと、メグが瞳を輝かせた。
「ローラースケートして遊ぶの?」
「……それは無理」
ただの冗談だと思いたかったが、そのあとのメグの落胆ぶりからして、たぶん本気だったのだろうとシュンは確信していた。
前から思っていたが、彼女の発想と行動力はなかなかぶっ飛んでいる。
自分もさんざん周りにいる人間から常識がないと言われて続けてきたが、彼女ははるか自分の上をいっている。言いたいことは遠慮なく言うし、自分のやりたいように振る舞う。シュンの顔色を窺うようなそぶりはまったくない。常に自由だ。
自分はどうしてそんな彼女を好きになったのだろう。
(もともと、そういうのがタイプだったとか?)
まさか。そう思ったとき、シュンはまた緊張が身体に戻ってくるのを感じた。
なにせ、ちゃんとしたデートをするのは初めてだ。
人生初デート。
(……照れる)
なにも起きないとわかっているが、それでも照れる。
「瞬」
呼ばれてシュンが後ろを振り返ると、自分のはるか後方にメグが立っていた。
「どうしたの?」
シュンが戻ると、メグがシュンの胸を指で軽く突いた。
「あなたが歩くのが速いの」
「ご、ごめん……」
そうだった。昔から考え事をしていると、いつもより早足になってしまうのを忘れていた。浮かれている場合じゃないと、シュンは自分を叱咤した。
こんなことでは、目的地に着く前に彼女に幻滅されてしまう。
(いや、むしろそのほうがいいのか?)
でもそれはそれで悲しい。
シュンは葛藤しながら、メグの歩く速さに合わせてまた歩きだした。
電車に揺られながら、シュンは隣に坐っているメグをちらっと見た。
メグは座席から顔だけを窓のほうに向けて、移り変わっていく景色を楽しそうに眺めていた。つられてシュンも同じように外を眺めてみたが、市街地や高層ビルが見えるだけで、特別なことはなにもなかった。
車内は空いていて快適だったが、ある駅に着くと大勢の人がどっと乗り込んできて、車内はたちまち人でいっぱいになってしまった。なにかイベントでもあったのだろうかとシュンが思っていると、ふいにメグが立ちあがり、囁いた。
「ほら、瞬も立って」
彼女は、目の前に立っている老夫婦に席を譲りたいようだった。
メグに促され、慌ててシュンは席を立った。
「ありがとうございます」
女性に丁寧に頭を下げられて、シュンは言葉に詰まった。
礼を言われるべきはメグのほうなのに。
「いえ……」
シュンがやっとそれだけ言ったとき、再び列車が動きだした。その衝撃でメグがよろけ、シュンのほうに倒れ込んできたので、シュンはとっさに肩を掴んで支えた。
身体が密着した状態のまま、メグがシュンを見上げてにこりと笑う。
「ありがと」
言われた途端、シュンはまた例のよくわからない気持ちに襲われ、すぐにメグから手を離した。彼女に吊革を持つように言いながら、シュンは内心どきどきしていた。
(……触らないでおこうと思ってるのに)
どうして身体的に距離が近づいただけで、自分はこんなにも動揺しているのだろう。意味がわからない。早く駅に着いてほしい。いや、着いてほしくないような――そんな混乱した気持ちのまま、シュンは電車に揺られていた。
やっと目的の駅に着いて電車を降りたとき、シュンはほっとして握っていたメグの手を離した。結局、吊革を掴んでいても、メグがよろけるたびに身体が密着してしまうので、シュンはそれを回避するためにメグと手を繋ぐことにしたのだ。
恋人繋ぎをする勇気はなかったので、普通に握っていただけだったのだが、それでもかなり恥ずかしかった。
「ねえ、瞬」
「なに?」
改札の前で呼びとめられて、シュンが振り向くと、メグが切符を顔の前に掲げていた。
「これ、記念に持って帰りたいんだけど……」
「だめ、無賃乗車になっちゃうから」
シュンが即座に却下すると、メグの表情が一気に曇った。
「どうしてもだめ?」
シュンはため息をつきたいのをどうにかこらえた。
「……貸して」
シュンはメグの切符を手にして、窓口に近づいた。
短いやりとりのあと、シュンは駅員から切符を受け取って礼を言った。
「ほら」
シュンがスタンプの押された切符を差し出すと、メグは嬉しそうに微笑んで受け取った。
「ありがとう、瞬。大切にするわ」
切符を両手に持ってじっと見ているメグを、シュンは不思議な気持ちで眺めていた。 たかだか数百円の切符でここまで喜べるなんて、彼女はかなり変わっている。
「瞬はどうやって出るの?」
「俺は携帯。入るときもやってただろ」
「ふうん、なんでもそれでできちゃうのね」
(君ほどじゃないけどね)
そう思いながら、シュンは改札機に携帯電話をかざした。
電車に乗るだけでこれなら、今日はなかなか前途多難かもしれない。
(女のコとつき合うって、結構大変なんだな……)
しかも彼女はただの女性ではない。異世界人だ。
こちらの常識は通用しない。文字も知らない。
なのになぜ、自分はこんなにも彼女に惹かれているのだろう?
