第89話 謀反

 トリスタンたちは、王宮を出たところで、やっとアンスヘルムに追いついた。
 剣を構えたまま、トリスタンは行方をくらませていた同僚に険しい視線を向けた。
「……アンスヘルム。おまえがルーツィア嬢を殺したのか」
「ええ」
「なぜそんなことを」
 しかし、アンスヘルムはそんなことはどうでもいいとでも言うように、トリスタンから目を離し、宮殿にその視線を移した。
 騎士たちに包囲されていても、アンスヘルムにまったく動じる様子はなかった。
「相変わらず、団長はなにも考えていないのですね。近衛騎士の中でも特に職務に忠実なあなたを会場の警備から外してわたしを追わせるとは」
「まさか」
 なぜ彼がこんなに余裕ありげな態度を貫けるのか。答えはひとつしかない。彼はただのおとりだったのだ。
「戻るぞ!」
「しかし」
 トリスタンはまだ事情が飲み込めていない部下を連れて引き返そうとしたが、そのとき空に一筋の黒い煙が上がった。
「あれは」
 アンスヘルムが冷ややかに笑う。
「もう遅いですよ。王宮はベギールデが占拠させていただきました。いくら余裕がないとはいえ、まさかこんな簡単な手に引っかかるとは思いませんでしたが。わたしを追ってこなければ、次は近衛騎士の宿舎を爆破する予定だったのですが……」
 しかし、トリスタンはもう聞いていなかった。
(……王女)
 エミリアがルイスを好きなことは前から知っていたが、トリスタンはなにも言わず見守ってきた。彼女がどんな選択をしようと、ただそばで守り続ける。それが自分の仕事だと信じていた。それなのに。やっと自分の気持ちに区切りをつけて、前に進もうと決めたエミリアを守れないなんて。
「……なぜだ」
 立ち尽くすトリスタンに、アンスヘルムは無表情のまま答えた。
「この国に、命を懸けて守る価値がないからです」
 アンスヘルムはすばやくスティレットを腰から引き抜くと、一瞬の隙をついて包囲を破り、また走りだした。
「待て、追うな!」
 追いかけようとする部下を引き止め、トリスタンはなんとか平静さを取り戻そうとした。
 エミリアを早く助け出さなければ。
「至急ソリンとハーナルに連絡を。ハーナルにはわたしが行く」 

「それで、君たちはこの国をどうする気なんだ?」
 マティアスの問いかけに、青年騎士は淡々と答えた。
「我々が作る国に階級は存在しません。我々の頂点には、ベギールデの教えを体現した存在であるアルベリヒ様がいらっしゃるだけです」
「ふざけたことを。ハーナルやソリンにただの警備員呼ばわりされるのがそんなにいやだったのか? くだらない思想に染まりおって、この国のために働けるだけありがたいと思え」
「副団長、真面目に反論するのはやめておいたほうがいい。我々がなにを言っても彼らは聞かないだろう」
「そのとおりですよ、陛下。彼らはベギールデの教えと、わたしの言うことしか信じない」
 再び開いた扉から現れたのは、黒いほうに身を包んだアルベリヒだった。手には握りの部分に逆さまのぼうせいがついたつえを手にしている。
 周りには同じ格好をしたベギールデの幹部たちが控えていた。
 騎士たちに取り囲まれた状態にも関わらず、マティアスがにこやかな笑みを向けた。
「ああ、君がアルベリヒか。やっと会えて嬉しいよ。君はこの国の行く末を案じている純粋な若者をきつけるのがうまいようだね。前途有望な騎士たちを人殺しにして満足かい?」
 マティアスの皮肉にも、アルベリヒが微笑むだけだった。
「彼らは救われたいのですよ、陛下。あなたがたがこの国に君臨するかぎり、いや、政治などというものが存在するかぎり、必ずだれかの犯す失政のせいで犠牲者が出る。しかし、聖職者はそれをリヒトへの祈りが足りなかったせいだと突き放す。だれも責任を取らない。まったく救われない話だ。彼らはあなたがたの失敗の糧になるために生まれたのでもなければ、一部の強者の引き立て役として生きるために生まれたわけでもない。だからわたしは絶望する彼らに生きる意味を与えたのです」
 アルベリヒは先ほどまでマティアスがすわっていた玉座に腰掛け、床に坐らされているマティアスの前に身を乗り出した。
「あなたがいくら善政を敷こうと、政治ではすべての人間を救うことはできない。にもかかわらず聖職者は救いを説き、力を持つ人間に味方してその存在を肯定する。残酷なのはわたしたちではなく、権威と権力を持つ人間のほうですよ。……あなたがた王族のようなね」
 マティアスは、アルベリヒの焦点の合わない瞳を黙って見つめていたが、不意にうつむいた。
「……そう言われると、少しつらいものがあるね」

 エミリアは困惑していた。
 控え室に戻ると、そこにはだれもいなかった。
「エミリア、そこにいるの?」
「お母様」
 扇子を片手に持ったペトロネラが、訝しげな面持ちで部屋に入ってくる。
「どうしたのです? 陛下も臣下たちも待っていますよ」
「ミヒャエルがいないの。リートもユーリエも」
 エミリアがそう言うと、ペトロネラが眉をげた。
「ミヒャエルが?」
「お逃げください、王妃様! 姫様!」
 部屋に駆け込んできたのはレーネだった。
「会場が近衛騎士に制圧されて」
「なんですって? 陛下はご無事なの」
「一緒に来ていただければわかりますよ、王妃殿下、王女殿下」
 エミリアの前に現れたのは、全身黒ずくめの若い男だった。
 一見するとどこを見ているのかわからない、焦点の合わない目。
 間違いない。この男がアルベリヒだとエミリアは直感した。
「どなた? いったいここをどこだと思って」
「……いやだと言ったら?」
 憤慨しているペトロネラを無視してエミリアがそう言うと、アルベリヒがほほんだ。
「あの騎士がどうなってもいいのですか」
「……どっちのこと?」
 まさか、この男がミヒャエルたちを連れ去ったのだろうか。
 エミリアがそう思いながらたずねると、アルベリヒがああ、という表情になった。
「そういえば、彼は今ハーナルにいるのでしたね」
 その言葉を聞いた瞬間、エミリアは無意識に手袋をめた手を固く握り締めていた。
「……ルイスになにをしたの」
「ご安心を。礼拝堂に閉じ込めただけです」
「彼に無事でいてほしいなら、大人しくしていてください」
 エミリアは動揺を悟られないように必死で自分を奮い立たせていたが、一方で頭はひどく冷静だった。
 なぜこうなるまで気づけなかったのだろう。自分は本当に馬鹿だ。
 自分はやはり、彼が好きなのだ。
 自分で思っている以上に、ずっと。