なにも見えない。完全な暗闇だ。
光がないせいで、自分の姿すら見えない。
(戻れなかったのかな)
リートはそう思った。
自分は失敗したのだろうか。
ならば、なぜまだ意識があるのだろう。
それとも、これから徐々に消えていくのだろうか。
(あれは)
なにも見えないはずなのに、リートの目にぼんやりと人影が映った。膝を立ててその場に坐り込んでいる。
自分が向こうの世界で着ていたのと同じ、白いシャツに、黒の長袴。
この世界に来たときのことを思い出して、理人は懐かしくなって人影に近寄った。
「ねえ」
理人はうずくまって人間の肩に手を伸ばした。
しかし、理人の手が触れた瞬間、人影がガバリとこちらを向いて理人に掴みかかった。
彼は、自分と瓜二つの顔をしていた。
「すべては無意味なんだよ、理人」
もう一人の自分が切羽詰まった顔で言う。
「生きている意味なんてないんだ。君はだれにも必要とされない。だれにも理解されない。この世界を知ることなんて、どうでもいいことなんだ。生きていくためには必要ないことなんだから」
もう一人の自分が理人の首に手をかける。
「必要なことなんてなにもないんだよ。どんなものにも価値なんてない。そんなものはどこにもないんだ。しなきゃいけないこともない。僕らはただ存在しているだけなんだから。なにもかも無駄なんだよ。意味なんかないんだ」
もう一人の自分がうつむいたまま叫ぶ。
「どうせなにをしても、いつかは失われてしまうのに!」
悲鳴のような叫びが理人の耳を貫いた。
その瞬間、違う、と理人は直観した。
これは自分じゃない。エルフリードだ。
だが、それは理人が向こうの世界にいたときにずっと思っていたことだった。
なぜ、自分はこんなに孤独なんだろう。
どうして生きているんだろう。
世界のすべてを信じられない。そのせいで周囲から浮いてしまう。
どうすればそこから抜け出せるのかわからなかった。
この世界に来るまでは。
だが今も完全にわかったとは言えない。
まだ自分は反論する言葉を持っていない。
まだ自分はなにも知らない。わからない。
それでも。
すべてのことには意味がない。
本当にそうなのか?
リートは拳を握り締めた。
「……君は僕じゃない」
エルフリードが動きを止めた。
「僕は君じゃない。似ていても違う。僕は君の言うとおりになんてしない」
エルフリードがよろめくようにリートから遠ざかる。
リートが一言一言発するたびに、なぜかエルフリードは力を失っていくようだった。
リートはやめなかった。
みっともなくてもいいから、このとめどもない衝動を洗いざらい叫びたい。
だれにも邪魔されたくない。
このまま死んでしまうのだとしても、せめて、自分の思っていることはすべて言葉にしてから死にたい。
「僕は知りたい! なにも知らないままじゃいやなんだ!」
一度声に出してしまったら、もう止まらなかった。
リートの内側から、堰を切ったように思いのすべてが溢れていく。
「この世界のことを知りたい。この世界の一端に触れてみたい。そして、僕自身を知りたい。そのことを恐れない。今はわからなくても、どれだけ時間がかかっても、僕は僕の答えを見つける」
すべてが無に帰してもかまわない。
だが今は。この瞬間だけは。
「僕は僕の世界を作る!」
その声とともに、辺り一面を爆発的な光が包み込んだ。
凄まじい地鳴りとともに暗闇は崩壊し、リートは宙に放り出された。
今度は眩しすぎてなにも見えない。
リートは目を開けていられなかった。
声が聞こえてきたのは、その時だった。
(リート様)
「ユーリエ!」
聞こえてきた声に、リートは無意識に叫び返していた。
「どこにいるの?」
(あなたのそばに)
「そばに? でも見えないよ」
(なにも考えず目を閉じて。そうすれば)
リートは目を閉じた。
(ああ、本当だ。見えなくても感じるよ、ユーリエ)
僕と君は違う。
だから僕は、君という存在を認識できる。
僕は君のことがわからない。
(でも、だからこそ僕は)
君を知りたいって思うんだ。
リートは瞼を開けた。眩しさに目が慣れず、何度もまばたきを繰り返す。それから目に入ってきたのは、見慣れた寝室の天井だった。
ふと隣に視線を移すと、リートは驚いて危うく声をあげそうになった。
ユーリエが椅子に坐ったまま、リートの枕元で腕を枕にして眠っていた。
「……ユーリエ」
「リート様?」
寝ぼけているのか、ユーリエは半分閉じた目でぼんやりとリートを見つめた。
こういうときは、なんて言えばいいのだろう。
気の利いた言葉が思いつかず、リートはとっさに言った。
「えーと、ただいま……?」
リートがそう言った瞬間、ユーリエはぱちりと瞼を開けた。そしていきなり寝台に上がると、この世界に来たときと同じように、リートの額を自分の額にくっつけた。
「ちょ、ユーリエ」
リートは慌てて身を引こうとしたが、ユーリエは放してくれなかった。
どうしよう。
だれかに見られたら絶対に誤解されてしまう。ゾフィーが見たらなんと言うか。
「お帰りなさい」
今にも泣きだしそうなユーリエの声を聞いたとき、リートは抵抗するのをやめてしばらくじっとしていた。
自分も彼女も確かに生きている。なぜかふとそんなことを思った。
ユーリエに解放されてから、リートは口を開いた。
二人は寝台に並んで腰掛けていた。
「エルフリードを置いてきてしまった。あの場所にずっといなきゃならないなんて……可哀想だ」
「可哀想、ですか?」
よくわからないという表情でユーリエがリートを見る。
「彼と僕は似ているところがあるから」
ユーリエにそう言ってから、リートはある事実に気づいた。
「……帰れなくなっちゃったな。もう、彼がいないから」
