第101話 ルイスの答え

 彼女に言わなければならないことがある。
 剣を振りながら、ルイスはそう思った。
 だがいざとなると、口にすることをためらっている自分がいた。
 今までなにかを先延ばしにしたことはなかった。しかし、どうしてもそうする勇気が持てなかった。
 近衛騎士に欠員が出てしまったせいで、ルイスは志願してまた王宮で勤務していた。
 エヴェリーンの力でおよそ半数の騎士は回復したが、犠牲になった騎士の数は多かった。
「おはよう、ルイス」
 その時不意に声をかけられて顔を上げた瞬間、ルイスは自分の目を疑った。
「陛下……?」
 この国の最高権力者が、ルイスの目の前で穏やかに微笑んでいた。いつもなら後ろに大勢控えているはずの召し使いたちはなぜかおらず、ついているのは近衛騎士二人だけだった。
 呆然としていたルイスは、慌ててその場に跪いた。
 なぜここに。そう問いたかったが、できなかった。通常、臣下が王族に対して自分から質問することは許されない。
 ルイスはじくたる思いだった。こんな軽装でマティアスと対面しなければならないなんて。しかもシャツを腕まくりしたままの状態で。
「君はいつもここで練習しているんだろう。君が王宮勤務になってから、エミリアに君や天啓者の話をいろいろ聞かされたよ」
「……申し訳ありません」
 ルイスが耐えきれずそう言うと、マティアスが少し沈黙してから口を開いた。
「それは、なにに対しての謝罪かな」
「わたしが敵に捕まったせいで、王女殿下を危険にさらしました」
「おや、おかしなことを言うね。娘に剣を贈って、君を助けに行くことを許可したのはわたしだ。感謝されるならまだしも、君に謝罪されるようなことをしたとは思わないが」
 ルイスは下を向いたまま、マティアスの言葉に驚き、そして混乱していた。
 なぜマティアスがエミリアを行かせたのか、ルイスにはまるでわからなかった。
 普通の親なら、なにがなんでも止めるものなのではないだろうか。
「……ルイス。わたしは親馬鹿だから、君にとても怒っている」
 ルイスは顔をうつむけたまま、マティアスの言葉にびくりと肩を震わせた。
 ユストゥスに身体を貫かれたときも、肩を刺されてえぐられたときも、ルイスはまるで恐怖を感じなかった。しかし、今の状況はそれとは比較にならないほど恐ろしかった。
「顔を上げなさい」
 跪いた姿勢のまま、ルイスは恐る恐る顔を上げた。エミリアによく似た、マティアスの明るい空色の瞳がじっとこちらを見ていた。
「君はいまだにエミリアを侮っている。あの子の気持ちを見くびっている。違うかね?」
 ルイスは目を見開いた。
「確かに、昔のあの子は君を侮っていた。だが今は違う。君がしなければならないのは謝罪などではないよ」
 マティアスは静かな口調で言うと、かがんでルイスに目線を合わせた。
「目に見えていることがすべてではない。本当に大切なことは、ここで見ないとね」
 マティアスはそう言うと、ルイスの胸を人差し指でとんと突いた。
 驚いているルイスに、マティアスが軽く片目をつぶってみせる。
 その仕草は親子だけあって、エミリアとそっくりだった。
 その時、芝生を踏みしめる音がルイスの耳を捉えた。
「お父様。どうしたの、こんな朝早くに」
 続いて聞こえてきた声に、ルイスははっとして声のしたほうを見た。
 そこにいたのは、本物のエミリアだった。
 いつも通りの、くるぶし丈のドレスに、足首まである深靴。手には訓練用の剣が握られている。隣にはトリスタンもいた。
 朝の稽古を終えて引き上げるところだったのだろうと、ルイスは思った。
 マティアスが立ち上がり、エミリアに歩み寄った。
「おまえを見習って、いつもより早く起きてみたんだ」
「そうだったの。でも、お父様が一人で早朝からうろうろしていたら、みんな気を使うわよ」
 エミリアがそう言うと、マティアスは肩を竦めて苦笑した。
「まったく、いつもと少し違うことをしただけでこれだ。どうにもならないね」
 マティアスはルイスのほうを見ると、穏やかに微笑んだ。
「ではわたしはそろそろ退散するよ。行こう、トリスタン」
 マティアスに促されたトリスタンが、戸惑った顔でエミリアを見た。
 エミリアがうなずくと、トリスタンは無言でマティアスに従った。
 
 父親たちの姿が宮殿に消えると、エミリアが口を開いた。
「……元気?」
 エミリアの問いに、ルイスは自然とうなずいていた。
「ああ、問題ない。君は?」
「元気よ」
 彼女と関わるようになってもう十年になるが、ルイスの記憶しているかぎり、こんなふうに会話を始めたことは一度もなかった。
 普通の友人なら、当たり前にする会話なのだろう。だが自分たちは、ずっと普通とはかけ離れたつき合い方をしてきた。
「ミリィ」
「なに?」
「わたしは馬鹿だな」
 ルイスがそう言うと、エミリアがにやっと笑った。
「やっと気づいたってわけね。お祝いしなきゃ」
「なぜ助けに来たんだ」
「だって、あなたは諦めなかったじゃない。何度負けてもわたしに立ち向かってきた。だからわたしも諦めたくなかったの。自分の好きな自分を」
 自分の好きな自分。そう言われてルイスは納得した。
 エミリアはそのために戦ったのだ。
 ほかでもない自分自身のために。
 強くなるために、彼女に挑み続けた自分のように。
 口を開こうとして、ルイスは一瞬躊躇した。
 彼女は自分の答えを聞いてどう思うだろう。
 本当にこれでいいのか確証はなかった。
 だが、何度考えても出てくる答えは同じだった。
 今の自分にはこれしか言えない。言わなければ、前には進めない。
 たとえそれで、すべてが壊れてしまうとしても。
(君は未だにエミリアを侮っている)
 マティアスが言ったのは、そういう意味なのかもしれない。
 ルイスはエミリアをまっすぐに見つめた。
「……ミリィ。わたしは君の気持ちに応えられない。君のことは好きとか嫌いとか、そんなふうに考えたことがない」
 エミリアは表情を崩さずうなずいた。
「……そう。わかった」
「だが、またわたしと戦ってくれないか。わたしがそうしたいんだ」
 勝手なことを言っているのはよくわかっていた。
 今も昔も自分は勝手だ。
 だが、結局それが自分だった。
 あの頃とは、自分の周りのなにもかもが変わってしまっても、相変わらず自分のあり方はなにも変わっていない。
 エミリアはしばらく思案しているようだった。
 やはり駄目かとルイスが諦めかけたとき、エミリアが不意に微笑んだ。
「そうね、勉強の合間の息抜きになら、つき合ってあげてもいいわよ」
「……ありがとう」
 ルイスはほっとして自然とその言葉を口にしていた。
 その言葉をエミリアに告げるのは、初めて彼女に会った日以来だった。
 完膚無きまでにたたきのめされ、次の試合の約束を強引に取りつけたあの日。
(ありがとう。君のおかげでまた強くなれそうだ)
 自分はエミリアにそう言ったのだ。