「だから僕は、劇作家が死んだあとで舞台化したときに、作曲家が貴族たちの意向を受けて脚本を修正したんだと思うんだよ。だからだんだんエヴェリーンの神格化が進んで、最後ユストゥスが死んじゃう展開になったんだ」
そう締めくくってから、リートは顔を上げて目の前にいる人間を見た。
「聞いてないでしょ、ヴェルナー」
リートが軽く睨むと、ヴェルナーは肩を竦めた。
「だって聞いてもわからないですもん。俺には難しすぎます。俺はルイス様やミヒャエル様みたいに大学を出てませんし」
リートは劇のユストゥスとエヴェリーンについて、自分の仮説をヴェルナーに語ってみたが、ヴェルナーはこういったことにはまったく興味がないようだった。
「それに全部リート様の憶測でしょう? 証拠がないならただの想像でしかありませんよ」
「憶測じゃなくて仮説だよ」
リートは訂正した。
一応、エヴェリーンの記憶を基に組み上げた仮説だ。まったくの憶測ではない。
劇は最後まで観られなかったが、リートはエヴェリーンの記憶を追体験した。
二人のあいだに実際にあったことを自分は知っている。
物語ではない、本物のユストゥスとエヴェリーンをリートは見たのだ。
「だいたい、俺は考えるのが苦手なんですよね。いつも行動してからその場その場でなんとかしてますし」
そう頭を掻きながら言うヴェルナーに、リートは苦笑した。
「……僕にはとてもじゃないけど無理だよ」
逆立ちしても自分にそんなことはできない。まず考えて、大まかな方針が決まらなければ動けない。
「でも、確かに君の言うとおりだよね。証拠がなきゃ、いくら僕がいろいろ考えてもただの想像止まりだ。でも、どうすれば証拠が見つかるのかわからない。なにせ百年前のことだし」
「よし、こうなったらルイス様を呼びましょう。きっとなにかいい方法を考えてくれますよ」
名案だという顔でヴェルナーが立ち上がりかけたので、リートは慌てた。
「そんなの悪いよ、まだ仕事中なのに呼び出すなんて……」
しかし、ヴェルナーはからりと笑っただけだった。
「リート様なら大丈夫ですよ」
数分後、ヴェルナーがルイスを伴って部屋に戻ってきた。
「あー、ごめんね、仕事中に」
リートが決まりの悪い顔で言うと、ルイスは静かに首を振った。
「かまわない。どうせヴェルナーが半ば強引に押し切ったんだろう。代わりにわたしが謝罪しておく」
ヴェルナーがむっとして口を尖らせた。
「なんでルイス様が謝るんですか」
リートが事情を話すと、ルイスが考え込む表情になった。
「それは難しいな。やはりなんらかの記録が無くてはどうにもならない」
「だよね……」
リートは項垂れた。記録が無くては裏づけが取れない。物証無しでは殺人事件の犯人だと立証できないのと同じだ。
「百年前にルイス様みたいな記録魔がいたら、話は別ですけどね」
横から口を挟んだヴェルナーの言葉に、リートは首を傾げた。
「記録魔?」
ルイスがヴェルナーを睨む。
「語弊のある言い方をするな、ヴェルナー」
「だってそうじゃないですか。ルイス様は日報からなにから、なんでも事細かに書きすぎなんです。引き継ぎ事項を書いた紙だってうんざりするほど長かったし……どうせ今回の事件のことだって、長々と日記に書いたんでしょ」
「あれでも簡潔に書いたほうだ。リートはほかの人間より注意事項が多い。おまえの大雑把な接し方では、いつか破綻を招くと思って――」
リートは目を丸くしてルイスを見た。
ルイスがまとめた自分の取扱説明書の内容は気になったが、リートが訊きたいのはもっと別のことだった。
「ルイス、日記なんてつけてるの? そんなことしなくても全部覚えてられるのに?」
「子どもの頃からの習慣なんだ。わたしは両親がいた頃のことを覚えていないから、もう忘れたくないと思って」
そこからリートはルイスの話をほとんど聞いていなかった。ある予感が、身体の内側を微細な電気のように駆け巡っていた。
「ねえ、アンスヘルムは屋敷も財産も、なにもかもを相続したって言ってたよね」
「ああ」
「……もしかしたら」
そこまで言ってリートが黙ってしまったので、ルイスが心配そうな顔になった。
「リート?」
「ルイス、ハーナルの庁舎に行こう」
リートが勢い込んでそう言うと、ルイスは突然のことに目をしばたたかせた。
「ユストゥスとエヴェリーンの話じゃなかったのか?」
「それはもういい。それよりもっと大事なことができた。早く行こう」
リートは立ち上がり、ルイスを急かした。
説明している時間がもどかしい。もともと口頭で説明するのは得意ではない。
「ありがとうヴェルナー、君がルイスを呼んでくれたおかげだよ」
リートは笑顔でそう言ってから、ヴェルナーに手を振った。
「じゃ、行ってくるね」
リートとルイスを見送ったあと、部屋に残されたヴェルナーは頻りにうなずいた。
「俺ってやっぱり有能だよな……」
リートとルイスは、玄関ホールを通って直接ミヒャエルのいる部署を訪問した。
「なんだ、またわたしの部下になりにきたのか、ルイス」
ルイスの顔を見るなりミヒャエルが笑顔で言うと、ルイスが憮然とした顔でそっぽを向いた。
「違う。ただのつき添いだ」
「ミヒャエル、頼みたいことがあるんだ」
リートが事情を話すと、ミヒャエルはすぐにうなずいた。
「わかった。調べてみよう」
傍らにいたアルフォンスがうなずき、立ち上がる。
アルフォンスが行ってしまってから、ルイスがミヒャエルのほうを見た。
「また口を利くようになったのか?」
「おかげさまで。あれから大変だった。団長には怒られなかったが、そのぶんものすごく居心地の悪い思いをしながら一部始終を説明するはめになったし、アルフォンスには怒鳴られて泣かれた」
「……意外と熱血漢なんだね」
やれやれという表情のミヒャエルを見ながら、リートはそんな感想を漏らした。
いつも澄ました顔をしているのに、アルフォンスは殊の外気性の激しい性格らしい。
「おまえのことも探したのにと怒っていたぞ」
ミヒャエルがそう言って笑うと、ルイスが気まずい顔になった。
「……あとで謝っておく」
近況報告が終わったところで、リートは話を切り出した。
「アルベリヒは今どうしてるの?」
「取り調べの最中だ。だがまったく反省していない。自分たちは正しいことをしたと今も言い張ってる」
「人を殺しておいて、正しいもなにもないだろう」
険しい顔でそう言うルイスを見ながら、リートもそのとおりだと思った。
自分の身や大切な人間を守るためならともかく、一方的に人の命を奪うことはどんな理由があったとしても正当化されない。
「それに、自分の出自や過去について一言も語らない。完全に黙秘だ。名前も偽名のようだし、足跡をなにひとつ辿れない」
「それは、動機を語るつもりがないってこと……?」
リートがそう言うと、ミヒャエルがうなずいた。
「そのようだ。この国とリヒトを恨んでいるのは間違いなさそうだが、なぜあんな思想を持つようになったのかは皆目わからない」
そこで言葉を切り、ミヒャエルはルイスのほうを見た。
「おまえに執着していた理由も謎だ。エミリアが言っていたように、おまえが熱心なリヒト信者だから標的にしたのかもしれないが……なにも話さないから確かめようがない」
「わたしは執着されていたのか……?」
当惑しているルイスの隣で、リートは首を捻った。
アルベリヒは、人々の共感を集めることで信者を増やしてきたのに、肝心の自分のことはだれにも共感されたくないし、知られたくないらしい。
不可解だ。まるで整合性が取れない。リートはそう思った。
「ベギールデがなくなったら、信者たちはどうするんだろうね」
リートはふとそんなことを思った。
行き場を喪失した人間たちは、どこへ行くのだろう。
「完全にはなくならないだろう。おそらく幹部たちが引き継ぐことになる。アンスヘルムが教団に寄付した資金が尽きたあとはわからないが……また支援しようとする人間が現れないとも限らない。もし仮になくなったとしても、信者たちはまた別の依存先を探すだろう。わたしたちにはどうすることもできないな」
リートはミヒャエルの言葉を聞きながら、暗澹たる気持ちになった。
アンスヘルムは、祖父から虐待を受けて育ったとルイスは言っていた。
ルーツィアもディートリヒも、生きることに絶望していた。そんな人間が、アルベリヒのような人間に囚われてしまう。
本当に、自分たちにはどうすることもできないのだろうか?
だがやはり、今のリートは自分のことで精一杯だった。
「失礼します」
入ってきたのはアルフォンスだった。
「あったか?」
「はい。すべて揃っています」
アルフォンスがうなずいてそう答えると、ミヒャエルが微笑んだ。
「お手柄だな、リート」
「じゃあこれで――?」
「ああ。少なくも何人かの罪は晴れる」
それを聞いてリートはほっとした。
「……よかった」
人を絶望から救い出すことはできないかもしれないが、できることはある。
その時、ミヒャエルが不意に口を開いた。
「ルイス、少し席を外してくれないか。リートと話がしたいんだ」
「わかった」
ルイスは短く言うと、掛けていたソファから立ち上がった。
「……ありがとう」
リートははっとしてミヒャエルのほうを見た。
リートは、ミヒャエルがルイスに感謝するところを見たのはこれが初めてだった。
ルイスも一瞬驚いたようにミヒャエルのほうを見たが、なにも言わず部屋を出ていった。
扉が閉まり、部屋の中はリートとミヒャエルだけになった。
「ありがとう、リート。君のおかげだ」
リートはどういう意味だろうと思ったが、一応答えを返した。
「ユーリエとエヴェリーンのおかげだよ。二人がいなきゃ、僕が虐殺者になってた」
「君は悪くない」
「ミヒャエルもね」
リートがそう言うと、ミヒャエルの口元から笑みが消えた。
「いや、また自分を責めてそうだなと思ったから」
リートはなんとなく気まずい思いに駆られ、口ごもりながらそう言った。
だが、この反応でリートは確信していた。
あなたは悪くない。
彼はおそらく、ガブリエレ以外の人間からそう言われたことがないのだ。
それは自分も同じだった。向こうの世界でリートにそう言ってくれた人間はだれもいなかった。自分の嫌なところばかりが目について、いつも罪悪感に苛まれていた。そのせいで人とうまく関われなかった。
でも、いつの間にか自分は、負の回廊から抜け出していた。だがミヒャエルはまだ、その回廊に囚われたままなのだろうか。
「この事件が片づいたら、ハーナルを辞めることにしたんだ」
考えに耽っていたリートは、その言葉ではっとしてミヒャエルを見た。
「……どうして」
「べつに責任を取って辞めるわけじゃない。ただ、もう逃げたくないと思って」
ミヒャエルはそう言って、制服のポケットから銀の懐中時計を取り出した。
「前から思ってたけど、綺麗な時計だね」
リートが時計を眺めながらそう言うと、ミヒャエルがうつむいた。
「……父のものだったんだ」
そうぽつりと言ったあとで、ミヒャエルは流麗なアラベスクの彫刻が施された蓋の表面をそっと指でなぞった。
「家督を継いだときに父の遺品はすべて処分したが、これだけはどうしても捨てられなかった。我ながら感傷的だ。自分に呆れる」
ミヒャエルは自嘲するように笑い、目を伏せた。
「ハーナルにいるのは楽だ。みんなわたしを必要としてくれる。だが、わたしはそうやってだれかに必要とされる自分を演じていただけだった。わたしは心からだれかを必要だと思ったことも、大切だと思ったこともない。そうやって逃げていたんだ。過去から、父親から、ルーツィアから。そして、自分自身から」
そこで言葉を切ると、ミヒャエルはリートに淡く微笑んだ。いつもの人を惹きつける計算された笑みではなく、自然な笑い方だった。だが、リートにはその顔はどこか泣きそうにも見えた。
「君たちに出会えたから、そう思えるようになったんだ」
そう言われて、リートは彼の意図するところをやっと悟った。だから彼は自分にありがとうと言ったのだ。
それがわかって、リートは少しだけミヒャエルに笑みを返した。
