第33話 ルイスの懸念

「いいの? 本当に?」
 エミリアの話を聞いても、驚いたことにメルヒオルは駄目だと言わなかった。
「かまわないよ。わたしの窮地をみんなで救ってくれると嬉しい」
 メルヒオルはそう言って穏やかに微笑んだが、リートは内心驚いていた。自分があの時間にルーデル大聖堂にいたことは、一緒にいた三人と、メルヒオルしか知らないはずだ。それにも関わらず、メルヒオルは弾劾されているらしい。
 エミリアが険しい表情になる。
「もう王権派が動いているの?」
 ミヒャエルもメルヒオルに鋭い視線を向けた。
「彼らはなんと?」
 メルヒオルはすぐに答えなかった。
 エミリアが探るような目でメルヒオルを見る。
「もしかして、リートが来たせいだと?」
「ミリィ」
 ルイスが咎めるように名を呼んだが、メルヒオルは静かにうなずいた。
「そうだ」
「なんでも都合が悪いとあなたとリートのせいにするのね。取り締まりを怠っていたのは王権派とハーナルでしょうに」
 また菓子を一つ皿から摘みながら、エミリアが呆れた口調で言った。
 その様子を眺めながら、リートは口を開いた。
「でも本当にそうかも。僕が来てからいろいろ起こってるのは事実だし。自意識過剰なのかもしれないけど、そうだとしたら……」
「リート。そうやって自分を責めるのはよくない」
 青に金のこうさいが散ったルイスの瞳が、真摯な光をたたえてリートを見つめる。
「君はなにも悪くない。なんでも自分のせいだと考えるのは逆に冷静さを欠いている。君一人のせいで壊れてしまうほど、この国はぜいじゃくにはできていない」
「うん……」
 リートはうなずいた。おそらくそれはそのとおりなのだろう。ルイスがそう言ってくれることがリートは単純に嬉しかったが、それで片づけてしまっていいのか釈然としない思いもあった。
 エミリアがミヒャエルのほうを見る。
「あなたはこれからどうするの?」
 ミヒャエルが考えながら口を開く。
「もう一度、イェンスが行っていた場所にわたしも行ってみようと思う。なにか手がかりを見落としたかもしれない」
「ミヒャエル。君はそこに一人で行くつもりなのかな」
 意外にも口を挟んだのはメルヒオルだった。ミヒャエルが怪訝そうな顔つきでメルヒオルを見る。
「そのつもりですが?」
「それは許可できないね。行くならルイスを連れていきなさい」
 思いがけないメルヒオルの言葉に、リートは驚いた。ミヒャエルが探るようにメルヒオルを見る。ルイスも当惑した表情を浮かべていた。
「メルヒオル、わたしはリートの騎士だ。なぜそんな――」
「あなたなら敵に疑われにくいからじゃない? だって、あなたみたいなハーナルの騎士は絶対いないもの」
 エミリアの言葉にルイスが眉根を寄せる。
「どういう意味だ、それは」
 リートはエミリアの言いたいことがよくわかった。
 彼は人を疑うより、信じることを選ぶ人間だ。そんな人間にハーナルの騎士は到底務まらないだろう。
 それまで黙って考えていたミヒャエルが、メルヒオルのほうを見て微笑んだ。
「わかりました。あなたの言うとおりにしましょう。なにかお考えがあってのことでしょうから」
 しかし、その目が油断なく光っていたので、ミヒャエルが完全にメルヒオルを信じたわけではないことがリートにはわかった。
 勝手に了承してしまったミヒャエルに、ルイスが焦った顔になる。
「ミヒャエル、なにを言って――」
「明日の午後一時にハーナルの庁舎の前だ。一秒でも遅れたら置いていく」
 ミヒャエルは笑顔でルイスに宣告すると、優雅な動作で椅子から立ち上がった。
「わたしはこれから予定がある。あとでまた会おう、エミリア」
 エミリアが微笑む。
「ええ、またあとで」

 ミヒャエルが帰ったあと、エミリアとメルヒオルもすぐに帰ってしまい、部屋の中はリートとルイスだけの状態になった。
「なんだか大事になっちゃったね」
 リートがそう言うと、ルイスはため息交じりに言った。
「君とメルヒオルの危機とあっては仕方ない。わたしは専門外だと思うが」
 リートは、二人が仕事をしているところをそばで観察できないのは残念だと思った。
 自分抜きで二人が一緒に行動すると、いったいどんなことが起きるのだろう。まったく反りが合わない相手と、一緒に仕事などできるものなのだろうか。もし自分なら、相手のことなどお構いなしに、自分のやり方を押し通してしまうかもしれない。
 そういえば、とリートはふと思った。
 あの時は四人で行動していたにも関わらず、リートは疲れなかった。学校でやる集団行動は苦手だったし、いつもすぐに疲れてしまっていたのに。
 それはつまり、ルイスもミヒャエルもヴェルナーも、自分と同じような協調性に欠ける人間だということかもしれない。おそらく、エミリアとユーリエも。
(そういうところが僕らは似てるのかも)
 だがそれがなにを意味しているのか、リートにはよくわからなかった。
 ルイスが心配そうな表情でリートを見る。
「君こそ大丈夫か、リート。ミリィは断られてもいちいち気にしない性格だ。なんならわたしが代わりにミリィに――」
「大丈夫だよ。僕がミリィ様のそばにいてもいなくても、たいして変わらないと思うし」
 リートはルイスの言葉を遮ってそう言った。向こうの世界にいたときはいつもそうだった。自分がいてもいなくても、大勢に影響はない。
 しかし、リートの答えがルイスは気に入らないようだった。
「そういうことじゃない。君がこの事をどう思っているかということだ」
 問われてリートは困惑した。
「どうって言われても……だれかと話をするのはいやだけど、本当にいやなら断ってると思うし。べつに断りきれずにいやいややってるわけじゃないよ」
 リートがそう言うと、ルイスは少しだけ表情を緩ませた。
「ならいいんだ。君がいいと思っているなら、わたしはそれでかまわない」
 そう言ってまたいつもの生真面目な表情に戻ったルイスを、リートは不思議な気持ちで見つめた。
 自分がどう思っているか。
 彼はできる限り自分のことを危険から遠ざけようとしていたが、最終的にはそのことを一番重要視しているようだった。
 だが、自分はそれでいつも失敗ばかりしている。
 ルイスはそれは失敗ではないと言ってくれた。しかし、リートはどうしてもそう思うことができなかった。
 なんでもそつなくこなせるミヒャエルのようになれたらいいのに。
 リートはそう思ってため息をついた。

 その頃、ミヒャエルはエミリアと共に廊下を歩いていた。
「ごめんなさい、忙しいのに母の相手なんてさせて」
 エミリアがため息交じりに言うと、ミヒャエルは穏やかに笑って首を振った。
「かまわないさ。これも役目のうちだ。それより、君はわたしになにか訊きたいことがあるんだろう?」
 ミヒャエルがそう言うと、エミリアは少しためらったようなそぶりを見せたあとで口を開いた。
「この件、やっぱりリートが狙われてるの?」
「それはなんとも言えないな。警戒するに越したことはないが……ただの偶然かもしれない」
「そう」
 考え込む表情になったエミリアに、ミヒャエルが視線を向けた。
「それ、つけてくれたんだな」
 ミヒャエルの言葉の意味を察したエミリアが口元を上げ、少し首を傾けてみせる。
 彼女の耳には、ミヒャエルが贈った薔薇の蕾をかたどった耳飾りが揺れていた。
「母の手前、一応ね」
「それでも嬉しい。よく似合ってる」
 ミヒャエルの賛辞にエミリアはわずかに目を細めたが、すぐにいつもの調子に戻ってにこりと笑った。
「リートが選んでくれた焼き菓子の店も、あなたが誘導したんでしょ?」
「やりすぎたかな」
「いいえ。ただ、あなたはそれでいいのかと思って」
 そう言ってエミリアが探るような視線を向けたが、ミヒャエルは微笑んだだけだった。
「気にしないでくれ。わたしが好きでやっていることだ」
「ならいいんだけど」
「それだけか?」
 ミヒャエルが促すと、エミリアはしゅんじゅんしているようだったが、思いきったような表情で口を開いた。
「あのね、わたしのゆうならいいんだけど、あなたはルイスを巻いて一人で行ったりしないわよね?」
「なぜ?」
「さあ、なんとなくそう思ったの。あなたはルイスを信用してないみたいだから。わたしも昔は誤解してたけど、ルイスはみんなが思ってるほど馬鹿じゃないし、愚かでもないわよ」
「知っている」
 そう答えたミヒャエルの声音は驚くほど真摯だった。
 彼がそんな言い方をするのが意外だったのか、エミリアは驚いたようにミヒャエルを見つめた。その視線を躱すように、ミヒャエルが口元を上げる。
「だが、君がなぜルイスを好きになったのか、わたしには皆目わからない。そのことには興味がある」
 一瞬、二人は無言で見つめ合った。
 沈黙を破ったのは、エミリアだった。
「それはいつか話すわ。もう少しあなたが彼と仲良くなってから」
「わたしとルイスがか。君とではなく」
「わたしたちはじゅうぶん仲がいいでしょう?」
 そう言ってにっこり笑うエミリアに、ミヒャエルが苦笑した。
「君は一筋縄ではいかないな」
「あら、あなたのことは好きよ? あなたは話のわかる人だもの。決まりを守ってるだけのつまらない人じゃない。守るふりをして、陰では舌を出してる。それに、自分が周りにどう見られてるのかちゃんと計算してる」
「あいつとは正反対の人間だからな、わたしは」
「そうね。でもあなたたち、どこか似てるわ」
 エミリアがそう言うと、ミヒャエルが驚いたように顔を上げた。
「わたしとあいつが? まさか」
 当惑しているミヒャエルを横目に、ふふっとエミリアが笑った。