第40話 食事会

「いやー、楽しみだなー」
 そう弾んだ声を出すヴェルナーに、リートは思わず笑っていた。
うれしそうだね」
「だって、あのガブリエレ様に会えるんですよ? こんな機会はめっにありません」
 リート、ルイス、ヴェルナーの三人は、ミヒャエルの屋敷のみちを歩いていた。
 それは、謹慎中のミヒャエルに招かれたからだった。
 だれかの家で夕飯をごそうになるのはリートにとって初めての経験で、少し緊張していた。
「それにしても、そのベギールデって教団は危険ですね。まさかミヒャエル様をめようとするなんて」
「それはディートリヒの個人的な恨みだけどね」
 そう言いながら、リートは先ほどのやりとりを思い出した。
 王宮でヴェルナーに久しぶりに会ったとき、彼には開口一番「ずるいですよ、なんで俺も参加させてくれなかったんですか。そんな楽しいことになってるのに俺だけ蚊帳の外なんて!」と、恨めしげに言われてしまったのだ。
「にしても、教団はそれを全面的に支援したわけでしょう? 組織力で勝るぶん、原理主義者より厄介ですよ」
 リートたちが話していたその時、前を歩いていたルイスがはたと立ち止まった。
「……だれかいる」
 リートがルイスの視線の先を追うと、確かにリートたちがいる場所から少し離れたところに人が立っていた。
 辺りはもう日が暮れはじめていて、それがだれかを遠目で判別するのは不可能だった。人影は屋敷に入ろうとはせず、窓から中の様子をうかがっているように見えた。
 リートは緊張した。
 まさかベギールデの人間が、ミヒャエルを監視しているのだろうか。
「見てきます」
 ヴェルナーはリートたちにささやくと、玄関の前をうろうろしている人影に忍び足で近づいた。
 リートは戦闘が起こるのではないかと思って身構えたが、突然「なんだ、おまえかよ」「いいからこっち来いって!」等のヴェルナーの言葉が聞こえてきて、ルイスと顔を見合わせた。
「リート様! 安心してください。こいつですよ」
 ヴェルナーに腕をつかまれてられるように歩いてくるのは、リートも知っている人間だった。
「アルフォンス?」
 リートが驚いて名を呼ぶと、アルフォンスが腕を振りほどき、そっぽを向いた。
「呼ばれたから来ただけだ」
 その時、リートたちの背後からくっくと笑い声が響いてきた。
 玄関から出てきたミヒャエルがそこに立っていた。どうやら家の中で一部始終を見ていたらしい。
「ようこそ、リート、ルイス。それにヴェルナーも」
「こんばんは、ミヒャエル」
 リートはやれやれと思いながら、このばんさんの主催者に挨拶を返した。
「入ってくれ。ガブリエレは中で支度をしているから」
 階段を上がると、前掛け姿で食器の用意をしているガブリエレが出迎えてくれた。普段は貴族然としている彼女だが、家事もこなせるらしい。
 それも当然かとリートは思い直した。なにせこの家には、専属の召し使いが一人もいないのだ。
「御機嫌よう、リート様、ルイス様、ヴェルナー、それに――あら、あなたまで来たの、アルフォンス」
「お会いできて光栄です、ガブリエレ様!」
 弾んだ声のヴェルナーとは対照的に、アルフォンスは天を仰ぎ、これだから来たくなかったんだという顔をした。
「相変わらずのようね、アルフォンス」
 まるで花についた害虫を見るような視線を向けるガブリエレに、アルフォンスが苦りきった表情を浮かべた。
「わたしに突っかかるのはやめてくれ」
「それは難しいわ。わたくしに無礼な態度を取る男はあなただけですもの」
 そう言ってガブリエレがつんとそっぽを向くと、アルフォンスが気まずげに目をらした。
「……わざとそうしているわけではない」
 二人の会話を聞きながら、リートは疑問符でいっぱいだった。
 アルフォンスとガブリエレのあいだに、いったいなにがあったのだろう?
 二人はそんなに仲が悪いのだろうか。
「べつにどちらでもかまいませんけど。それより早く手伝っていただける? ただでさえ人手が足りないんですから」
「う、うん」
 言われてリートが慌てて手伝おうとすると、ガブリエレがにっこりとほほんだ。
「あら、リート様はすわっていてくださいな。あらゆる意味でお客様なのですから」
「そうですよ、リート様。我々がやりますから、坐っていてください」
「用意といったって、食事は侍女が用意していったんだろう」
 アルフォンスがそう言うと、ガブリエレが振り返ってきっとにらんだ。
「あなたも坐っていていいわよ、アルフォンス。言っておきますけど、料理はハンナとわたくしとお兄様で用意したの。本当にあなたって、いちいち発言がかんに障る人ね」
 ガブリエレにぴしゃりと言い返され、アルフォンスは盛大に顔をしかめた。
「ミヒャエルって料理できるんだ」
 リートが驚いて言うと、ミヒャエルがうなずいた。
「ああ、一通りはな」
 ガブリエレがミヒャエルの腕を取り、誇らしげな顔で言った。
「お兄様は完璧ですもの」

 食事が始まってすぐは緊張したが、ヴェルナーがいろいろな話してその場を和ませてくれたので、リートはしだいに落ち着いて食事がれるようになっていた。
「えーっ、ヴェルナーってルイスより年上なの?」
 リートが驚いて言うと、ヴェルナーが苦笑した。
「よく驚かれます。この顔のせいで、どこに行っても子ども扱いされるんですよね。その上、ルイス様は実年齢より老けて見えるし。これでまだ二十三だって信じられます?」
「み、見えない……」
 べつにルイスが老け顔だとは思わないが、彼の落ち着いた態度や振る舞いを見ていると、とてもリートの世界にいる二十三歳の若者と同じには見えなかった。
(でも、成人して七年もってるんだから、そんなものなのかも)
 リートがそんなことを考えていると、ルイスが眉間にしわを寄せた。
「どういう意味だそれは。仕方ないだろう、おまえはソリンに入団したのがわたしよりあとだからな」
「そうなの?」
「ええ、俺はもともと軍にいたんです。そこで仕事中にルイス様に出会って――」
「ヴェルナー、その話をするなら手短にしろ。おまえは話しだすと長い」
 ルイスがうんざりした調子で言うと、ヴェルナーがむっとした顔になる。
「いいじゃないですか。リート様はソリンのことを知らないんだから、説明がてらにちょうどいいでしょ」
「僕は長くても聞きたいな。ルイスとヴェルナーの昔の話」
 リートがそう言うと、ヴェルナーが気を取り直したようにまた口を開いた。
「アルフレート様が団長に就任する前のソリンは、それはひどいありさまだったんです。当時の団長は血統至上主義で、団員は仕事はできないくせに偉そうな貴族ばっかりで、いざというときまったく役に立たなくて……議会では騎士団ごと解体しろという声もあったくらいで」
「どうしてそんなことになったの?」
 リートの質問に答えたのは、ミヒャエルだった。
「ハーナルは法務省の管轄下にあるが、ソリンの監督権を持っているのは王だけなん
だ。だから王が騎士団を掌握できないと簡単に腐敗してしまう」
「ソリンは王直属の部隊ってこと?」
 リートが驚いてそう言うと、ルイスがうなずいた。
「そうだ。だからソリンの騎士は、高い倫理観と強い正義感を持つ者でなければならないんだ。それで現状を憂いた今の陛下は、当時ただの隊長だったアルフレートを団長にばってきしてソリンを改革しようとしたんだ。だがなにせ三十年くらいその状態だったから、アルフレートが全権を掌握するまでにはかなりの時間がかかった。わたしが入団したときも反対派の抵抗は続いていた」
「そんな状態のときに、原理主義者がつけ込んできたんです。やつらは平民の女子どもを人質に取って、王にソリンの解体を迫ったんです。でもそんな緊急事態だっていうのに、改革に反対していた騎士たちは、アルフレート様には従えないと言って仕事を放棄したんです」
「そんな……」
 リートが絶句していると、ミヒャエルが冷たくわらった。
「平民の命など、どうでもよかったということだな。原理主義者は騎士たちが平民を見捨てるとわかっていてあえて人質に取り、貴族への憎悪をあおろうとした。なかなかやり方が賢い」
「そういう言い方はよせ、ミヒャエル」
 ルイスが睨むと、ミヒャエルが肩をすくめた。
「それで仕方がないから、アルフレート様は軍に応援を要請したんです。俺はそのとき、ソリンの動きを上官に報告するために動いていたんですけど、そこで偶然ルイス様に出会ったんです」
「それで、ルイス様がなにをしようとしてたと思います? 人質を救出するために、奴らがもってる教会になんとかして忍び込もうとしてたんです」
 ミヒャエルがあきれた顔になる。
「おまえは新人の頃からそんなことをしてたのか?」
「つまらない内部のいさかいのせいで、なんの罪もない人間が死ぬんだぞ。それがいやだったんだ」
「それで俺は止めたわけですよ。待機命令が出てるのに動くのはまずいって。でも、ルイス様は俺の話なんかまともに聞いてませんでしたね。そこからです、面白い人だと思ったのは」
「それで、どうやって人質を救出したの?」
「教会から逃げてきた子どもが内部のことを覚えていたんです。ほかの騎士たちは子どもの言うことなんか信用できないって言ったけど、ルイス様はこの子は賢いから信用すべきだとアルフレート様に直訴したんです。それで折れたアルフレート様がその情報を元に作戦を立てて、俺とルイス様が人質のために食事を差し入れするふりをして中に入って奴らを倒して、そのあとで残りの騎士たちが窓から突入して人質を救出したんです」
「この事件のおかげで、アルフレート様に逆らった隊長格の騎士たちは一人残らず辞めさせられたり地方に飛ばされたりして、アルフレート様はめでたく騎士団全体を掌握することに成功したってわけです」
 ガブリエレが微笑む。
「こんなことを言ってはいけないんでしょうけど、原理主義者さまさまね」
 ヴェルナーが深くうなずく。
「いえ、本当にそうですよ。最大の危機にこそ、最良の機会がある。教典の文句通りですね」
 ミヒャエルが納得した表情でルイスのほうを見る。
「なるほど。おまえは昔からそういうことをしていたから、やってみなければわからないなどと言えるわけか」
「仕方ないだろう。そうしないとみんな死んでいたかもしれないんだ。べつにわたしはいつも無謀なことをしているわけじゃない。ただ、わたしなりに確信があるからそうしているだけだ」
「それで俺は軍を辞めて、ソリンに入ることにしたんです。もともと軍は規律が厳しくて俺には向いてなかったし、ルイス様と一緒に仕事ができたら退屈しないだろうなと思って」
「それで転職したんだ」
 リートがそう言うと、ヴェルナーが誇らしげにうなずいた。その様子を見ていたミヒャエルがにやりと笑ってアルフォンスを見る。
「おまえとはえらい違いだな、アルフォンス」
 アルフォンスが気まずそうに視線を逸らし、水を飲んだ。
「それはどういう意味なの、お兄様」
 ガブリエレの問いかけに、ミヒャエルが笑いながら口を開く。
「アルフォンスはもともとソリンにいたんだが、ほかの人間とまったく合わなかったんだ」
「ミヒャエル様!」
 アルフォンスが焦ったように声を上げる横で、ルイスが驚いた顔になる。
「そんな理由で辞めたのか?」
 アルフォンスが苦々しい口調で言った。
「周りから浮いていても、気にならないあなたにはわかりません」
「わたしにはよくわかるぞ、アルフォンス。無能な人間が一掃されたとはいえ、そもそもソリンは礼節や忠誠、それに団結心に人一倍うるさい組織だ。わたしもソリンに入るのだけは御免だ」
 ミヒャエルがうんざりした調子で並べ立てた言葉に、リートも同意した。
「僕もわかるかも。そういうのは苦手だから」
「でも、アルフレート様が試験内容を変えてからは、血統は良くても実力のない人間は落とされるようになったし、みんないい奴ばかりですよ。クラウスとその取り巻きを除けばですけど」
 ヴェルナーがそう言うと、ミヒャエルが皮肉っぽく笑った。
「……いい奴だから困るんだよ」
「それはどういう意味だ、ミヒャエル」
 ルイスが首をかしげたが、答えたのは意味ありげに微笑を浮かべたガブリエレだった。
「善意は時として人を追い詰めることがあるのですわ、ルイス様」
「そうなのか? だが言ってくれれば相談に――」
「あなたにだけは絶対に相談しませんでした」
 語気も荒く言い切ったアルフォンスに、ガブリエレがうなずく。
「それはわたくしも同意見ね」
「こいつに同意するのはしゃくですけど、俺もしませんね」
 ヴェルナーが駄目を押すと、ミヒャエルが笑いの発作を起こしてしまい、ルイスが不機嫌そうに黙り込んだ。
「あの、そんなよってたかってルイスをいじめなくても」
 リートが恐る恐るそう言うと、四人が一斉にこちらを向いたので、リートはひるんだ。
 ミヒャエルがにっこり笑う。
「よかったな、ルイス。リートがここにいて」
「まったくですわ」
「優しいですねぇ、リート様は」
「同感だ」
 しみじみとした口調の四人についていけず、ルイスとリートは顔を見合わせるしかなかった。

「ねえ、ルイス。僕らって変なのかな」
 帰りの馬車の中で、リートは窓の外に広がる景色を見ながらそうこぼした。
「そりゃ、僕は向こうの世界でも浮いてたんだけど。それにしたってなんだか釈然としないような」
 そこまで言っても反応がないので、リートはそこで初めてルイスのほうを見た。
 彼の視線は外を向いていたが、その目には何も写っていないようだった。
「ルイス?」
 リートに呼ばれて、ルイスはやっと気づいたようだった。
「すまない。少し考え事をしていた」
「そう」
 彼が自分といるときに考え事をするのは珍しい。
 だが、深く追求するのは気が引けて、それ以上リートはなにも言えなかった。
 本は色々読んだし、自分なりに考えてきたつもりだったが、リートは本当に大事なことをまだ知らないような気がした。
 窓に映った自分自身を見つめながら、リートは一瞬考え込んだ。
 大事なこと。それはいったいなんなのだろう?
 しかし、答えにたどり着くための糸口を掴めないまま、その問いは馬車の窓に映る宵闇の向こうに消えてしまった。