リートは、ハーナル騎士団の庁舎にある中庭の長椅子に腰掛けて、ミヒャエルが来るのを待っていた。傍らには近衛騎士が立っている。
今は近衛騎士二人が交代でリートの護衛をしていた。
それは、ヴェルナーが責任を取って辞めると申し出たせいだった。
リートはヴェルナーを引き止めなかった。
もともと、彼はリートの頼みを引き受けたときにすでに覚悟を決めていたのだ。その気持ちを無下にするわけにもいかなかった。
ソリンに属する人間はだれも彼も潔い。ライナスもルイスも、そしてヴェルナーも。
だからこそ余計に申し訳ないことをしたとリートは思った。
自分のした選択を後悔してはいない。だが自分が望むことは、いつも規則に抵触してしまう。やりたいようにやるとあとで問題になってしまう。
今からやろうとしていることだってそうだ。
あのあとで、リートはエルフリードとまた話をした。
「この事をだれにも話さなくていいの?」
リートがそう訊ねると、エルフリードはすぐにうなずいた。
「いいんだ。僕はただ、ユストゥスがエヴェリーンに危害を加えるのを防ぎたいだけだから。それに僕はここにいる人間のことは信用してない。みんな僕を殺そうとした連中だ。力になってくれるわけがないよ」
「でも、ユストゥスを捕まえたあとはどうするの?」
「べつになにも。これまで通り君の中にいるさ」
「君はそれでいいの?」
リートがそう言っても、エルフリードは肩を竦めただけだった。
「仕方ないよ。だって、僕が君になるわけにはいかないしね」
だが、本当にそれでいいのだろうかとリートは思った。
それでは、エルフリードの存在はこの世から抹消されたままだ。
しかし、彼の存在を証明する方法がないのは事実だった。彼の身体はもうないし、記録も残っていないのだから。
リートは、どうしたらいいのかよくわからなかった。
だれかに言ったほうがいいのはわかっていたが、この件はベギールデのこととは関係ない。ルイスたちに相談しようかと思ったが、ルーツィアが死んだ件もあって、リートは言い出しづらかった。
それに、エルフリードは王宮にいる人間を信用していないのだ。それを考えると、自分一人でやるしかなかった。
「リート、どうしたんだ?」
ミヒャエルがこちらにやって来るのを見て、リートは長椅子から立ち上がった。
「手紙、読んでくれた?」
「ああ、読んだが……君は文章も書けるようになったんだな」
「理由はわからないけどね」
リートはしらばっくれながら、それをごまかすために微笑を浮かべた。
しかし、内心は不安だった。
彼を騙すことなんて、本当に自分にできるのだろうか。
「あのね、提案があるんだけど。明後日に、聖殿にハーナルの騎士を配置してもらえないかな」
ミヒャエルがなにか言う前に、リートはまた口を開いた。
「思い出したんだ。おまえをエヴェリーンには会わせないって、あの男がそう言ってたこと。それで本で調べたんだけど、明後日はエヴェリーンの命日なんだ。だから、またあの男が来るんじゃないかなと思って」
「だが、あの男はまだ二十歳かそこらだったんだろう? エヴェリーンと面識があるはずがない。あったとしても、もうとっくに死んでる」
「理由は僕にもわからない。でも、あの男はエヴェリーンのことに執着してるのかも。だってほら、エヴェリーンを演じたフィオナは、本物のエヴェリーンと同じ銀髪に緑の目だったよね? それであの日は舞台を観にきたついでに、聖殿に侵入したのかもしれない。ただ執着しているだけで危害を加えるつもりがないなら、結界の中に入れた説明もつくし」
仮定の連続に、リートは話しながら自分でも苦しいなと思った。
いつもの自分なら、こんなふうにあやふやな想像だけに頼った話し方はしない。これではミヒャエルには怪しいと勘づかれてしまう。
「あの男がもしエヴェリーンがまだ生きてると思い込んでいて、今も彼女を探してるなら、その日にまた聖殿に忍び込んでくるかも」
リートの話を聞きながら、ミヒャエルはしばらく考え込んでいるようだったが、不意に顔を上げて笑った。
「リート、君はわたしに気を使ってそんな提案をしてくれているんだろう?」
「え」
思いかげないミヒャエルの言葉に、リートは一瞬目が点になった。
「あー、そうなんだ。やっぱりミヒャエルにはわかっちゃうんだね」
とっさに話を合わせながら、リートは内心ほっとした。ミヒャエルがそう取ってくれたなら、話は早い。
彼を騙し通すなんて、自分の話術では到底無理だ。
「わかった。通るかどうかはわからないが、団長に進言してみよう」
「ほんと? でもなにも証拠のない話なのに」
「捜査に行き詰まっているから、団長なら聞き入れてくれるかもしれない」
「だといいんだけど」
去っていくミヒャエルの後ろ姿を見ながら、リートは自分に言い聞かせた。
(……これでよかったんだよね)
自分の提案があっさり了承されてしまったので、ミヒャエルはリューディガーの精神状態が心配になった。
リューディガーは相当追い詰められているらしい。
部署に戻ると、ミヒャエルは自室に来るようにルイスに目で促した。
「リートが来ていたのか?」
部屋に入るなり、そう問いかけてきたルイスに、ミヒャエルはうなずいた。
「ああ。心配しなくてもおまえより元気だ。明後日はエヴェリーンの命日だから、罠を張ってはどうかと提案してくれた」
「あの男を捕まえるのか? ならわたしも――」
「再戦したい気持ちはわかるがだめだ。おまえは外す」
ミヒャエルがそっけなく言うと、ルイスはむっとした顔で黙ってしまった。
椅子に坐り、ミヒャエルは考え込んだ。
リートの言ったことは、到底ありえそうにないことのようにミヒャエルには思えた。
なにもしないよりはマシ。
昔から、そういう考え方は嫌いだった。
世の中というものは、なにもせず事態が悪化することより、余計なことをしてさらなる事態の悪化を辿ることのほうがはるかに多いのだ。
だが自分はなにもしなかったせいでルーツィアも、彼女との未来も失った。
ミヒャエルはため息をついた。
仕方ない。やると決まった以上、そのための計略を練らなければ。
あの時はなにも準備していなかったからしてやられたが、今度は捕まえられる。
ミヒャエルはそう思った。
エヴェリーンの命日になり、リートはそわそわしながら夕方になるのを待っていた。
エルフリードの予想では、ユストゥスはエヴェリーンが死んだ時間帯に来るとのことだった。
〈リート、ユストゥスが来た〉
耳を通さず、頭の中に直接エルフリードの声が響く。
リートは声に出して話しかけた。
「ほんと?」
エルフリードは自分の中にいても、ユーリエのように千里眼が使えるらしい。
〈見せてあげるよ〉
エルフリードがそう言った瞬間だった。
なにかを思う暇もなく、リートはいつの間にか聖殿に移動していた。
あまりに一瞬のことに、リートは口を開けた。
「なにこれ! どうなってるの?」
思わず声を上げてしまったあとで、リートは両手で口を慌てて塞いだ。
エルフリードがくすくす笑う。
〈大丈夫だよ、僕らの存在は向こうには見えてないから。幽霊みたいなものさ。ほら、ユストゥスが来た〉
螺旋階段を下りる音が聞こえてきた。
抜き身の剣を片手に持っているところを見ると、彼は見張りに立っている近衛騎士たちを倒してきたらしい。
ユストゥスの様子は、リートが彼に初めて会ったときとまったく同じだった。
仮面を着けたように決して動かない表情。
揺るがない足取りでユストゥスは祈り場を目指していた。
聖殿にはユストゥス以外だれもいない。
リートはじりじりしながら事の推移を見つめていた。
ミヒャエルはいったいどんな作戦を立てたのだろう。このままでは、あの時と同じように祈り場に入られてしまう。
ユストゥスは結界をくぐろうと一歩踏み出した。
しかしその瞬間、祈り場にひそんでいたハーナルの騎士たちが一斉に現れ、ユストゥスに剣を向けた。
ユストゥスは逃げようとしたが、後ろからも同様に騎士たちが現れ、剣を向けた。
完全な挟み撃ちだった。
「剣を捨ててその場に跪け」
その声とともに、ユストゥスを取り囲んだハーナル騎士たちの後ろから、ミヒャエルが現れた。そばにはアルフォンスが控えている。
「おまえは囲まれている。入り口も、おまえが前に使った隠し通路も塞いである。どこにも逃げられない」
ユストゥスはミヒャエルたちを一瞥したが、言われたとおりに剣を床に捨ててその場に跪いた。
「俺を捕まえたいならそうすればいい。俺は抵抗しない」
「前夜祭のときに、聖殿に侵入したのはおまえだな」
ミヒャエルが確認したが、ユストゥスはそれには答えず、ミヒャエルをまっすぐに見つめた。
「そんなことはどうでもいい。今すぐ俺を王に会わせろ。それ以外の人間と話をするつもりはない」
そこでリートはまた自分の部屋に戻っていた。
〈ありがとう、理人。君のおかげで僕はまたエヴェリーンに会える〉
「うん……よかった」
エルフリードにそう答えながらも、リートはなんだか釈然としなかった。
ストーカーのように精神状態がまともではないなら、自分をエヴェリーンに会わせろと真っ先に言うのではないだろうか。
ユストゥスはなぜ、王に会わせろと言ったのだろう?
