第32話 ベギールデ

 次の日の朝、リートは昨日の爆破騒ぎが王宮でどう取り沙汰されているかをルイスに聞いたが、事態はまだ動いていないようだった。それもこれも、ミヒャエルがその時間帯に自分たちがルーデル大聖堂にいたことを伏せてくれたおかげだとリートは思った。この事がハインリヒに知られれば、またメルヒオルは糾弾されることになっただろう。
「僕、メルヒオルのところに行かなくてもいいの?」
 リートはそう訊いたが、ルイスは首を振った、
「大丈夫だ。メルヒオルには昨日わたしから事情を説明しておいた。君が呼ばれることはない」
「そういえば、メルヒオルに言ったの? 君がお祈りしてたせいで僕から離れたこと」
 リートは少し意地悪な質問をしてみたが、ルイスはまったく動揺したそぶりを見せなかった。
「言ったがとがめられなかった。メルヒオルはわたしの行動も織り込み済みでルーデル大聖堂を選んだらしい。ミヒャエルが来ることも考慮していたようだ」
「それはすごいね」
 いったい、メルヒオルはどこまで先を見通しているのだろうとリートは思った。王の最高顧問を名乗っているだけあって、彼の手腕は伊達だてではないようだ。
 思えば、自分の扱い方を改める際もメルヒオルの判断は迅速だった。
 ノックの音が響いたのはその時だった。
「失礼します」
 入ってきたのは、昨日リートが知り合ったばかりのハーナルの騎士だった。
「アルフォンス?」
 リートが驚いていると、昨日と同じく取り澄ました表情のアルフォンスが、事務的な口調で告げた。
「ミヒャエル様が、聴取のためにあなたに庁舎まで来てほしいと申しています」
「ミヒャエルが僕に?」
 リートはまた驚いて言った。
 ルイスが険しい顔でアルフォンスを睨む。
「なぜわたしたちがわざわざ出向く必要があるんだ。仕事なら向こうから来るのが道理のはずだ」
「ルイス」
 リートがためらいがちに名前を呼ぶと、ルイスはすぐさま口を閉じた。
 その様子を見て、リートは口元が上がりそうになるのをどうにかこらえた。昨日の命令をなかったことにせず律儀に実行してくれるなんて、彼は本当に真面目だ。
 今のはちょっと主人らしかったかなと思いながら、リートはまた口を開いた。
「行くよ。そうミヒャエルに伝えて」
「お連れするように申し使っていますので」
「わかった。ちょっと待ってて」
 アルフォンスを居間に残し、リートは支度に取り掛かった。
 服を選んでいるリートの横で、ルイスは不満そうな表情をしていた。
「本当に行くのか?」
「だって、ハーナル騎士団の庁舎に入れる機会なんてそうそうないよ。それに官庁街のほうは行ったことがなかったし」
 ミヒャエルは目的を果たすためなら大胆な行動に出るが、礼儀知らずではない。きっとなにか考えがあるのだろう。着替えながら、リートはルイスのほうをちらりと見た。
「ねえ、本当にミヒャエルとは昔なにかあったわけじゃないんだよね?」
 ルイスが答えるまでには、やや間があった。ためらうように一度口を閉じてから、ルイスが再度口を開く。
「……なにもない。ただ、なんとなく好きになれなかった。彼は大学では目立つ存在だった。いつも人に囲まれていて、教授たちにも気に入られていた。だれに訊ねても評判がよかった。でもわたしは……」
「そう思わなかった?」
 リートがあとを引き取ると、ルイスがややあってからうなずいた。
「しかし、これはわたし個人の意見だ。前にも言ったとおり、ミヒャエルをどう思うかは君が決めることだ」
「……うん」
 リートはうなずいた。
 なぜここまでルイスがミヒャエルに引っかかりを覚えているのか、リートにはよくわからなかった。
 自分のいた世界には、良くも悪くもそこまでリートの関心を惹きつける人間はだれもいなかったし、そもそも他人に関心を持つこと自体がリートにとっては稀なことだった。
 しかし、ルイスは自分のいた世界にいる人間とはまったく違っていた。
 彼はいつも生真面目で冷静なのに、ミヒャエルに対してはなぜか感情的になってしまう。そんなルイスのときどき矛盾したところにリートは興味があった。
 相性が悪い相手とは、だれでもそうなってしまうものなのだろうか?
 人づき合いの苦手な自分には、一生わからないかもしれないとリートは思った。

 ハーナル騎士団の庁舎は、白亜の美しい建物だったが、壮麗できらびやかな王宮に慣れてしまったリートの目にはいささか地味に映った。
 しかし、玄関ホールに一歩足を踏み入れた瞬間、リートが抱いた印象はたちまち吹き飛んでしまった。ホールは吹き抜けになっていて、床にはリヒトガルテンの国章である、羅針盤のような八芒星が細かいタイルで描かれている。さらにその周りには、八芒星をぐるりと取り囲むようにして、八本の柱が天井まで伸びている。王宮とは違うが、これはこれで品格のある建物だとリートは思った。
「リート」
 呼ばれて、リートが声のしたほうを見ると、八本の柱のうちの一本を背にして、ミヒャエルが軽く片手を挙げていた。
「では、わたしはこれで」
「ありがとう、アル」
 アルフォンスが一礼して去っていくと、ミヒャエルが話しはじめた。
「勝手なことをしてすまない。聴取は君の部屋で済ませてもよかったんだが、君はハーナルの仕事に興味があるようだったから来てもらったんだ。メルヒオルには話を通してある」
 ミヒャエルが優雅な仕草で胸に手を当てる。
「ハーナル騎士団の本部にようこそ、リート」
 ミヒャエルのいる部署は二階にあるというので、リートたちは階段を上って二階に出た。
「ここだ」
 ミヒャエルが視線で示したのは、階段のすぐそばに設けられた扉だった。ミヒャエルに続いて中に入ると、そこでは数人のハーナルの騎士たちがそれぞれの業務に励んでいた。
 リートは部屋に入った瞬間、視線が集中することを覚悟していたが、騎士たちはリートたちには目もくれなかった。全員が自分の仕事に没頭しているようだ。
 いや、違うとリートは思った。これはきっと自分たちが来る前に、ミヒャエルが騎士たちに気にするなと言い含めたに違いない。彼の気遣いにリートは頭が下がった。
 その時、一人の騎士がミヒャエルたちの姿を認めて近寄ってきた。
「ミヒャエル様、少しご報告したいことが」
「すまないが、あとにしてくれ」
 ミヒャエルはすげなく断った。
「エドゥアルト、この前提出した書類だが、全体的に決めつけが多いぞ。おまえが優秀なのはわかっているが、自分の能力を過信するのはよくないな」
 ミヒャエルがそう言うと、エドゥアルトは一瞬反論したそうに口を開いたが、不承不承の様子で頭を下げた。
「申し訳ありません」
「この件が終わったら、あとで話をしよう」
「承知しました」
 エドゥアルトが行ってしまうと、ミヒャエルは部屋にある自室にリートたちを通した。
 ミヒャエルの部屋は簡素で、必要最低限のものしか置かれていないようだった。彼の自宅にあった趣味のいい調度品は、すべてガブリエレの趣味だったらしい。
 リートたちに応接用のソファに掛けるように促しながら、ミヒャエルが話しだす。
「二三、確認したいことがあるんだ。言っていただろう、爆発が起こる前に会っていた人間がなにか言っていたと」
「ああ、うん。光がどうとか闇がどうとか。なんだっけ、すべてが闇に覆われるとき」
「新たなる光は生まれ出でん」
 ミヒャエルがあとを引き取ってうなずいた。
「間違いない、ベギールデだ」
「ベギールデ?」
「最近っている新興宗教の名前だ」
 そう言ってミヒャエルは黒い革張りの本を机の上に置いた。
「これは?」
「彼らの使っている教典だ」
 リートは目をみはった。それはあの時、自分が男に渡した本とそっくり同じものだった。
「あの人もこれと同じのを持ってたよ。鞄の中身をぶちまけて、そのまま落としていったから僕が届けに行ったんだ」
 リートがそう言うと、ミヒャエルは考え込む表情になった。
「そうか。だがその状況では、偶然かわざとかわからないな」
 リートは教典を手に取ってぱらぱらとページまくってみたが、自分がこの世界の文字を読めないことを忘れていたことに気づいて、すぐに本を閉じた。
 帰ったら、ルイスに頼んで字を教えてもらおう。リートはそう思った。
「この教典によると、彼らが信仰するドンケハイツはリヒトと表裏一体であり、同じ存在だと説いている。さっきわたしとリートが言ったのは、序文にある一節だ」
 ミヒャエルの説明を聞いた途端、それまで黙っていたルイスが目に激しい怒りの色を浮かべた。
「リヒトは相対的な存在ではなく、絶対的な存在だぞ。それを根底から否定するというのか?」
 リートは首をかしげた。
「絶対的ってどういう意味?」
 自分の世界にもそういう超越的な概念はあるし、信仰している人間もたくさんいるが、リートはそれがどういうものなのか、真剣に突き詰めて考えたことがなかった。
「なににも代わるものがない、唯一無二の存在だということだ。世の中の価値観は時代とともに常に変化し続ける。だが、リヒトはどんな時も決して揺らぐことがない。永遠不変の概念であり、この世の真理そのものなんだ」
 そう静かに熱を込めて語るルイスに、リートは目を見開いた。
「だから、ルイスはいつも迷わずにいられるの? 変わらないものがあるって信じてるから?」
「そうだ」
 ルイスがうなずく横で、ミヒャエルが肩を竦める。
「わたしは信じていないがな。変わらないものなど、この世のどこにもありはしないさ」
 ルイスが途端に険しい表情になり、ミヒャエルに鋭いまなざしを向けた。
「ミヒャエル、おまえがそう思うのは勝手だが、わたしの前でリヒトをけなすのはやめろ」
「わかったよ。わたしが悪かった」
 まだ憤慨しているルイスを残して、ミヒャエルは話を続けた。
「問題はそれだけじゃない。ドンケハイツは正当性があるなら罪を犯すことも肯定する。見逃せば犯罪を助長し、治安に悪影響を及ぼす可能性がある。教義どうこうよりも、ハーナルとしてはそちらのほうを危惧している。しかもこういう形で関わってくるとなると、本格的に調査する必要があるだろう」
 そこでいったん言葉を切ると、ミヒャエルが物憂げな表情になった。
「それに、内偵していたイェンス……部下が二日前から戻らないんだ。最後の通信文がこれだ」
 そう言って、ミヒャエルはリートたちに一枚の紙を見せた。暗号の下に書かれている解読された文字をルイスが読み上げる。
「ルーデル大聖堂――爆破された場所か」
「そして昨日の爆破だ。現場のすぐ近くにいたのはベギールデの人間。疑問を差し挟む余地はないだろう。イェンスはおそらくなにかを掴んだんだ。早くイェンスの居所を突き止めなくては」
「そんなことをしなくても、ベギールデの本部に直接乗り込んで話を聞けばいいだろう」
 ルイスがそう言うと、ミヒャエルはおまえらしいな、という顔で笑った。
「わたしもそうしたいのは山々なんだが、わからないんだ」
「わからない?」
 微笑むミヒャエルに、リートとルイスはそろって首を傾げた。

 話を聞いたエミリアが、菓子を片手に眉根を寄せた。
「教団の所在地をだれも知らないって……それでどうやって活動してるの? 施設がなければ集まれないじゃない」
「今行われている集会は、信者たちが自発的に開いているもので、教団はいっさい関わっていないらしい。教典はそこで配られているものだから、だれかが教祖の話した言葉を教えとして本にまとめたんだろうな」
 エミリアの向かい側の椅子に坐っているミヒャエルが、エミリアにそう答えた。
 リートの部屋には、エミリアとミヒャエルが来ていた。リートの傍らにはルイスがいつものように控えていたが、彼はこの状況が気に入らないという態度をまったく隠せていなかった。
 なにせ、部屋がこの状態に落ち着くまでひともんちゃくあったのだ。
 リートの部屋を訪れたミヒャエルを、ルイスは自分の部屋で仕事をしろと追い返そうとしたのだが、ここにいるほうが考えがまとまるのだと言ってミヒャエルは譲らなかった。ミヒャエルは、ここでリートやエミリアたちと話しているほうが有益だと考えているらしい。
 結局、リートとエミリアがルイスを取りなして、渋々ルイスは従った。
 ルイスは、この件にリートは関わるべきではないという一貫した姿勢を崩していなかった。それにも関わらず、リートを巻き込もうとするミヒャエルがどうしても許せないのだろう。
 騎士としてはおそらく出しゃばりすぎなのだろうが、ルイスの主張は間違っていないとリートは思っていた。これは、彼が自分のことを考えてくれているがゆえの行動なのだ。だが一方では、彼が感情的になるのは、単純にミヒャエルを自分に近づけたくないからではないかと疑ってしまうのも事実だった。
「イェンスは、どうやってベギールデに入り込んだの?」
 リートが訊ねると、ミヒャエルが肩を竦めた。
「それがよくわからないんだ。だが調査の結果、イェンスがよく行っていた場所があることがわかった。今日そこを訪ねてみたんだが、ただのはいきょで人の気配はどこにもなかった」
 エミリアが面白そうに笑う。
「なんだか怪談めいてきたわね。わたし、そういうのはまったく信じてないんだけど」
 ミヒャエルもうなずいた。
「わたしも信じていない。それに大聖堂の地下から木の破片が大量に見つかった。おそらくたるに火薬を詰めて置いていたんだろう。これは怪奇現象でもなんでもない。ただの犯罪だ。ハーナルでは火薬の出所を調査してる。この国で火薬を扱える人間は少ないから、入手経路がわかれば、ベギールデにつながる手がかりが得られるだろう」
「でも、ベギールデの正体は謎のままね。近づくには、信者になるのが一番手っ取り早いんでしょうけど、その方法もわからないし」
 考え込むエミリアの横で、リートは何気なく言った。
「僕が信者になるわけにもいかないしね」
 リートは冗談で言っただけだったのだが、ルイスとエミリアは顔色を変えた。
「絶対に駄目だ」
「あなたを死なせてしまったら大変だわ。ただでさえ二度も危険な目に遭ってるのに。あなたにはここでやることがあるんだから」
「やることって言っても……わからないよ。メルヒオルは具体的なことはなにも教えてくれないし」
 リートは言いながら下を向いた。
 今の自分は、ただの居候みたいなものだった。
「べつにここにいるのが不満とか、そういうわけじゃないんだけど」
 リヒトガルテンでの生活は不便なこともあるが、向こうの世界のしがらみから解放されたぶん、リートは元気になった気がしていた。それに、ここでは自分が変わっているとか、そんなことは気にしなくていいのだ。
 だが、自分はまだ字も読めないし、なんの役にも立っていない。
 ルイスがリートをまっすぐに見つめた。
「リヒトのすることには必ず意味がある。君がここにいる理由も必ずある」
「そうね。ここでできることをすればいいのよ」
 エミリアがいいことを思いついたとばかりに口元を上げる。
「その集会を開いているベギールデの幹部をここに呼ぶの。お父様やメルヒオルじゃ警戒されるから、わたしが馬鹿な王女のふりをして、その相手をして実態を聞き出すの。ついでにリートも一緒にね」
 突然自分の名前が出てきて、リートは驚いてエミリアを見た。
「僕も?」
「馬鹿なことを言うな。危険すぎる」
 ルイスがすぐさま却下したが、エミリアは不敵に笑ってみせた。
「そうかしら。国内でここより安全な場所はほかにないわよ。警備も厳重だし、なにかあればすぐ対応できるわ」
「どこの世界に、犯罪組織の一員かもしれない人間を呼びつけて話をする王女がいるんだ。君のすべきことはそういうことではない。その上リートまで巻き込むつもりなのか?」
「だって、リートだけ蚊帳の外なんて可哀想だし、いつも部屋でじっとしてるだけなんてつまらないじゃない」
 エミリアの言い分に、リートは反論できなかった。確かに自分は役に立っていないことを気にしているし、なにかできることがあればいいと思った。
 エミリアはそんな自分に気を使ってくれたのだ。
 だが、会話や接待は不得意中の不得意だ。そんな場に自分がいても、置物にしかならないかもしれない。
「確かにな。我々が聴取すれば不審に思われるが、王女なら断れないし、なにか話すかもしれない」
 ルイスの言葉を遮ってミヒャエルがそう言うと、エミリアがたくらみを持つ人間特有の笑みを浮かべてみせた。その様子はまるで、次の獲物を定めた狩人かりゅうどのようだった。
「メルヒオルに話をしてみましょう」
 自分を無視して勝手に話を進める二人に、ルイスがため息をついた。
 そんなルイスを見ながら、リートは心から同情した。