それからシュンは毎日メグと会って、力の使い方を教えてもらった。メグに会う以外の自由はなかったが、もともと人づき合いは苦手だし、休みの日も部屋に引きこもっていることがほとんどだったので、シュンはたいして気にならなかった。
時間のほとんどは力を使う練習にあてた。というよりも、それしかすることがなかった。部屋に携帯電話やコンピュータを出現させても、こちらの世界には電信技術そのものがない上に、使っている人間がだれもいないので、出しても意味がなかったのだ。それに、ゲーム機でゲームをするより、彼女と練習しているほうが楽しかった。
メグの指導方法は、やり方を最初に実演して、あとはシュンと一緒に遊んでいるだけだったのだが、いつのまにかそれでシュンは上達していた。自分の世界のような、できるまでひたすら同じことを繰り返す練習とは大違いだとシュンは思った。こちらの学校では、練習は楽しんでやるものという考え方が当たり前のようだった。
自分につき合ってもらってばかりで、仕事をしなくて大丈夫なのかとシュンは思ったが、メグによると、この世界では全員が個人事業主のようなもので、好きなときに好きなだけ働けばそれでいいらしい。企業は存在せず、しかも税金も徴収されない。なんとも羨ましい話だとシュンは思った。
ほかにもメグとはいろいろな話をした。向こうの世界では、だれもが自分と考え方が違いすぎてまともに会話にならず、孤独を感じるだけだったが、メグと長い時間話しても、そんなふうには一度も感じなかった。
どうでもいい話でも、彼女と話しているのは面白かった。
「ほんとに? 結婚してなくても肩身が狭くないの?」
「ここにいる人たちはね、みんな自分が心から打ち込みたいことを見つけて、それにひたすら情熱を注いで生きているの。絵を描いたり、音楽を作ったり、写真を撮ったり、お芝居をしたり、新しい道具を開発したり、運動したり、踊ったり、ずっと旅をしたり……でも、みんな自分のやりたいことに夢中だから、家族を作ることには消極的なの。子孫を残したい人は結婚するけど、少数派ね」
「好きだから結婚するんじゃないの?」
「わたしたちは平等に他者を愛するの。そんな発想をする人間はここにはひとりもいないわ。結婚相手は一緒に子育てするための相手で、それが終わったら別れることもあるし」
「なら、みんな死ぬまでずっとひとりで暮らすの?」
「基本的にはね。でも寂しくないわよ。普段からみんなで助け合って生きているし、週末は人を家に呼んでパーティーもするわ」
「それ、だれかを除け者にしたりとかはないの?」
シュンの質問に、メグがびっくりしたように目を瞠った。
「どうしてそんなことをしなきゃいけないの? 気に入らないことがあるなら直接相手に言うし、話し合って解決するわ」
「そうなんだ……」
それができるからこそ、彼らの世界には法律がないのだ。すべてを話し合いで解決する時間と、精神的な余裕があるから。
「ジーンは、わたしの才能を受け継いでる子供が欲しいんですって」
「……そんな直接的な」
シュンは思わず口に出して言った。
しかも、どちらかというとそれは女性の発想のような気がする。
「じゃあ、あなたたちはどうして結婚するの?」
「それは」
シュンは言葉に詰まった。
「……愛し合うため」
とっさに言ってしまってから、シュンは顔をしかめた。
(なんで俺、こんなこと言ってるんだろ)
愛がこの世に存在する。そう思ったことは一度もないのに。
シュンはこれまでまともに異性とつき合った経験がなかった。職場の先輩に誘われて何度か性交渉をしたことはあるが、それだけだ。自分が性的少数派とは違うことはわかっていた。自分は異性愛者で、性的関心も性欲もある。
しかし、だれかを好きだとか、愛していると思ったことは一度もなかった。
恋愛映画なら何本も見たが、しょせんそれは創作だ。映画の恋愛と現実の恋愛は違う。現実では劇的なことはほとんど起きないし、起きても泥沼化するだけでまったく美しくない。人の醜さを見せつけられるだけのことだ。
現に、性交渉をしたところでなにも起きなかった。
(なにもって……俺はいったいなにを期待してたんだ?)
なにかドラマが始まることを? まさか。
未だに自分は、そんな映画のような美しい恋愛をすることを夢見ているのだろうか。 両親が離婚しているのに、恋愛や結婚にいい感情を抱けというほうが無理な話だ。もし両親が愛し合っていたなら、父は自分と母を残して家を出ていくことも、養育費を踏み倒すこともなかったはずだ。
「それはわたしたちの言う愛とは違うの?」
メグの声で、シュンは現実に引き戻された。
「うん、違うよ。だってそれは、特別な相手にだけ向けられる感情だから」
「どうして特別な人を作る必要があるの?」
「それが好きってことなんだよ。どうしても相手を求めてしまうんだ。自分では制御できない」
シュンが映画の内容を思い出しながら答えると、メグが首を傾げて微笑んだ。
「それはずいぶん危険なことのように思えるけど」
「危険だよ。そのせいで死ぬ人もいるし」
「死ぬの? そんなことで?」
「それくらいつらいことなんだよ」
「あなたの世界にはつらいことがたくさんあるのね」
「うん。つらいことだらけだよ。でも、だから好きになるんだと思う」
(そんな経験したことないけど……)
自分で言っていて、シュンは虚しくなってきた。
(……俺みたいなやつじゃ、だれかに好きになってもらえるわけがない)
自分には、誇れる要素なんてなにもない。
いつもこうやって考え事をしているだけなのだから。
「わたしたちの世界ではね、ただ惰性で日々を過ごしたり、人に依存したり、自分の頭で物事を考えず、だれかの言いなりになったりすることは恥ずべきことなの。自分のやりたいことを見つけて、それにひたすら情熱を注いで生きる。それがすべてなの」
「俺は、それがわからない。自分のやりたいことがわからないんだ」
「新しいゲームを作りたいんじゃなかったの?」
「でも、なにも思い浮かばないし……」
「それはだれかのせいというより、あなたのせいね」
「なんだよそれ、俺だってべつに好きで悩んでるわけじゃ」
「いいえ。あなたは悩みたいから悩んでいるのよ。そうすることで、やりたいことをやらなくてもいいようにしているの」
メグの言った意味がすぐには飲み込めず、シュンは考え込んだ。
そうなのか?
(俺は、自分で自分に制限をかけているだけなのか?)
でも、それはなぜ?
自分に才能がないことがはっきりわかってしまうから。
下手だとわかってしまうから。
それを知るのが怖いから。
そんなつまらない自尊心が自分の邪魔をしている。
ならやっぱり、自分は本気でやりたいと思っていないのだ。力を使えなかったときと同じように。考え込んでいるシュンの横で、メグはシュンの腕時計を覗きこむと、慌てて立ちあがった。
「いけない、ジーンと約束してた時間に遅れそう」
シュンはそのままメグが挨拶をして姿を消すのだろうと思っていたが、彼女はくるりとシュンのほうを振り返ると、口元を上げた。
「ひとりで帰れる?」
彼女は向こうで別れたときのやりとりを覚えていたらしい。
シュンは笑って言った。
「馬鹿にするなよ。帰り道がわからなくてももう帰れる」
「たくさん練習したものね。じゃあまた明日ね、瞬」
「うん、明日」
メグが姿を消すと、シュンはため息をついた。
(婚約者、か)
ジーンと会っているメグの姿を想像したとき、シュンは胸の辺りを針でつつかれたような、そんな不愉快な気持ちになった。
(……なんで)
まさか、嫉妬?
違う、そんなわけない。
「……そんなわけないだろ」
シュンは自分に言い聞かせ、移動するために意識を集中させた。
メグは玄関の前に着くと、急いでノックしてから扉を開けた。
「ジーン」
メグが声をかけると、台所に立った黒いエプロン姿のジーンが振り向いた。
「そんなに慌てなくても大丈夫だぞ。ちょうど今できたところだ」
「ごめんなさい、今日は早く来て手伝おうと思ってたのに」
メグが小声で言うと、ジーンが微笑んだ。
「気にするな。君は料理が苦手なんだから、無理にやらなくてもいい」
ジーンの口調は優しかったが、メグはうつむいた。
「……そうなんだけど」
昔から、メグは家事に力を使うのが不得意だった。
床を雑巾がけさせようとしてもうまく水が絞れないし、洗濯物はきれいに畳めない。洗い物をしようとしても皿を割ってしまう。包丁も巧く使えない。挙げればキリがなかった。かたやジーンはなにをやらせても完璧だ。床はいつもぴかぴかに磨かれていて、洗濯物は皺ひとつなく畳まれているし、料理だって自分の大雑把な料理とは違い、繊細な味がする。具材の大きさも店で食べる料理のようにきちんと揃っている。
「メグ、君は道具を使って家事をするのが苦手なだけだ。ほかのことはなにもかも、自分の思い描いたとおりのことを実現できるだろう。いつだって部屋を清潔な状態にできるし、料理も出せる。そしてなにより、建造物をひとりで作りだせる。君にしかできないことだ」
「洗濯物は?」
「畳まずにかけておけばいい。いつもそうしているだろう?」
「そうなんだけど……」
「それより早く食べよう。せっかく作ったのに料理が冷めてしまう」
ジーンに促されて、メグは仕方なく椅子に坐った。
仕掛け作りや力の使い方で負ける気はしないが、ジーンに言葉で反論するのは難しい。彼の言うことはいつも理路整然としていて、崩す隙がない。
だから瞬がジーンに言い返すのを聞いているのは面白かった。なにかを主張したいとき、彼はなかなか流暢だ。
(自分の話もあれくらいしてくれればいいのに)
もっと瞬のことを知りたい。メグはそう思いながら、目の前に並べられた料理と、磨かれて曇りひとつない食器を眺めた。
「……いつもここに来るたび思うけど、あなたはわたしの旦那様にぴったりね」
メグが思わずそうこぼすと、ジーンが笑顔になった。
「そう思ってくれるなら嬉しい」
そんな婚約者を見ながら、メグは改めてジーンはきれいだと思った。
あの態度には腹が立つが、顔は文句のつけようがないと瞬も言っていたくらいだから。それに、劇に出てくる美形の悪役のようだとも言っていた。
しかしメグは、よくできた彫刻や絵画を見るような目でジーンを見てしまうのが常だった。きれいな顔。それ以上の感情を抱けない。彼と結婚できるなんて羨ましい。メグの近所に住んでいる女性たちも、仕事で出会った女性たちも口々にそう言うけれど、メグはいつもどこか他人事のように感じていた。
「どうだ?」
料理を口に運ぶメグを、ジーンが不安そうに見つめていたので、メグは苦笑した。
「そんなに心配しなくても、あなたの料理はいつも美味しいわ」
文句のつけようのないほど完璧に。劣等感を抱くにはじゅうぶんなくらい。そうメグは心の中で付け足した。
ジーンが安心したように微笑む。
「……よかった」
食事がひと通り終わってから、メグは口を開いた。
「こうやって二人で過ごすのは久しぶりね」
「ああ、仕事が立て込んでいたからな」
「それはわたしのせいね。ごめんなさい」
メグが静かに言うと、ジーンがしまったという顔になった。
「いや、それとは別件で――」
「いいの。わがままなのはわかってるから。みんな迷惑してるわよね。わたしのせいで、あなたまでみんなに悪く思われていないといいんだけど」
メグが自嘲するように言うと、ジーンは真剣な表情でメグを見つめた。
「そんなふうに考えるな、メグ。君の力が強すぎるのは、君だけのせいじゃない。そのことをみんなわかっているし、なんとかしようとしてくれている」
「……そうね」
メグはそう言ってからうつむいた。でも、いつもそのことに引け目を感じている。
気を使われることに。配慮されることに。
感謝できない。どうしても。
「でも、わたしが頼んだとしても、瞬はずっとここにいないわ」
「……君はそれでいいのか?」
メグは小さく笑ってジーンを見た。
「変なの。あなたはさっさと帰ってほしいんでしょう?」
「わたし個人としてはそうだが、君が悲しむところは見たくない」
うつむいてしまったジーンを見ながら、メグはくすりと笑った。
「あなたを見ていると、真面目すぎるのも大変だとよく思うわ」
「だから君がいてくれると助かる」
言いながら、ジーンがメグの手にそっと自分の手を重ねた。
「わたしには君が必要なんだ」
「……そう言ってくれてありがとう」
でも、あまり嬉しくないと思ってしまう。こちらでは結婚自体はたいして価値をもっていないし、配偶者はあくまで一緒に子育てをするための契約相手だ。子供が成人すれば、一緒に住む必要もない。それでも結婚した友人たちは、自分を選んでもらえると嬉しいと言っていた。
(なら、どうしてわたしは嬉しくないの?)
「あのね、ジーン。結婚したら、あなたはわたしと性交渉をするのよね?」
メグがいきなりそんなことを言ったので、ジーンは目をしばたたかせた。
「そうだが……なんだ、突然」
「子供を作るために結婚するのは変だって言われちゃったの」
「だれに?」
「瞬に。向こうの世界では、人は愛し合うために結婚して、性交渉をするんですって」
ジーンがため息をつく。
「……メグ。この世界はあの男のいる世界とは違う。わたしたちが性交渉をするのは子孫を残すためだ。それ以上でも以下でもない。それにあの男の言っていることは正しくない。向こうの世界の人間は愛し合っていなくても、結婚していなくても性交渉をする。自分の快楽のためにするんだ」
「じゃあ恋愛は?」
「脳が引き起こすエラーだ。理性を失わせ、正しい判断力と思考力を奪う。恋愛は残酷なものなんだ。だから我々はしないし、そもそもできない」
「そうなの?」
「ああ。学校で習っただろう?」
メグは曖昧に笑った。
「そのあたりは真面目に聞いていなかったの」
メグはデザインの勉強以外はまったく熱心ではなかったので、教師たちは放任を貫いていた。この世界では、教師が生徒に無理やり勉強させるということがない。罰則の類もないし、学校の成績で人生が決まることもない。留年も飛び級もできるし、一度やめてまた入り直すこともできる。
しかし、難しい理論がよくわからなくても、メグは力を使うことにまったく支障を感じなかった。瞬は未だになにもないところから物体を出現させることに苦戦していたが、メグは昔から苦もなくそれができた。
この話題を打ちきるように、ジーンがひとつ咳払いしてから言った。
「それより、今度のデザートはなにがいい? 今回は君に訊かずに用意してしまったからな」
「鯛焼きがいい!」
思わず大声で言ってしまい、メグは慌てて口を押さえた。
ジーンが眉根を寄せる。
「鯛を丸ごと焼くのか?」
「そうじゃなくて……鯛の形をしたお菓子なの」
「わざわざ魚の形にするのか? 菓子なのに?」
ジーンが自分とまったく同じことを言ったので、メグは噴き出してしまった。
