第14話 契機

 シュンはぼーっとしていた。
 会議室では、同僚たちが筆記用具を準備したり、隣近所で談笑したりしていたが、シュンは持ってきたタブレット型端末の電源も入れず、ぼんやりと机の前に坐っていた。
 集中しなければならないことはわかっていたが、どうにも身が入らない。
 舞花と食事をしてからひと月が経とうとしていたが、精神状態は最悪だった。
 もう会社に行きたくないという葛藤すらない。機械的に一度目のアラームで起きて、出社して、適当に仕事をして定時になったら帰る。そんなふうに、毎日を流れ作業的にやり過ごしていた。
 あらゆるすべてがどうでもいい。
 明日地球が滅んでしまっても、べつにかまわないとさえ思った。やりたいことなどないし、これから先もきっとない。ただ同じ毎日を無意味に繰り返すだけなら、すべてなくなったほうがマシだ。
 それか、できるなら生まれ変わりたい。
 ネット小説によくある、異世界に転生してやり直す話をシュンはいつも馬鹿にしていたが、今なら主人公の気持ちがよくわかった。今度生まれてくるなら、絶対に金持ちの家がいい。ちゃんとした父親がいて、母が朝から晩まで働かなくてもいいくらい収入があって、私立の学校に通って、大学に行って、新卒で大企業に就職して――。
(ああ、でも俺って社会不適合者なんだった……)
 どんなに環境に恵まれていたとしても、集団や組織が苦手では、学校でも社会でもうまくやれないし、確実に低収入だろう。
(やっぱりな、俺)
 そう思いながら、シュンは配られた資料にぼんやり目を落とした。
 結局、シュンはあの企画書は出さず、代わりに適当に考えたものを提出した。ゲームディレクターから、広瀬の案を採用することに決めたのだと発表があったのは、つい先日のことだった。そしてこれは、その記念すべき一回目の会議だった。
 しかし、そこに書かれている内容を見た途端、シュンの頭は一気に覚醒した。
(これ、俺が考えたやつ……)
 信じられない気持ちで、シュンは勢いよく企画書のページをめくった。いろいろ変わっているが、一定期間同居して世話をし、だめなら帰ってしまうというルールは、シュンが考えたのとそっくりそのまま同じだった。
 しかし、自分が考えていたものとは構想がまるで違う。
(なんで恋愛シミュレーションゲームになってるんだよ……)
 企画書には、センスのかけも感じられないポップ体で、異世界少女〜僕と彼女の秘密の三か月〜というタイトルがつけられていた。
 シュンの企画書では、キャラクターは異世界人ではなく異生物で、あえて性別は設定しなかった。そのほうが年齢や性別に関係なく、だれでも楽しめると思ったからだ。
 だいたい、このゲームはキャラクターをのが目的ではない。愛情を注ぐのが目的なのだ。同じことだろうという人間は多いかもしれないが、シュンの中ではそれらは天と地ほど違う。
(俺が作ろうとしてたのは、こんな欲望まみれのゲームじゃない)
 シュンは椅子から立ちあがり、プレゼンしている広瀬にゆっくりと歩み寄った。気づいた社員たちがいっせいに視線を向けたが、シュンはまるで気にならなかった。
 上座に坐っている社長が顔をしかめる。
「おい、まだ会議中だぞ。なにを勝手に」
「それ、俺が考えたやつですよね」
 シュンは社長の言葉を無視して話しだした。
 広瀬はちらりとシュンの顔を見たが、顔色ひとつ変えず言い放った。
「証拠でもあるのか?」
 シュンは手のひらを痛いほど握りしめた。
 証拠ならある。自分の作った企画書には提出した日付が印字されているし、データの属性情報プロパティにも作成日の履歴が残っている。それを突きつけてやればいい。
 それが可能なはずだった。……先月までは。
 企画書のデータは、外部記憶装置に残していたものも含めてすべて消去してしまったし、企画書はごみに出してしまった。
 捨てたのは自分だ。彼は自分の捨てたものを拾っただけ。盗用したと立証できないのに、自分はそれに言いがかりをつけている。それが客観的な事実だった。
 シュンは瞼を閉じて息を吐いた。
 静まり返った会議室に、そのかすかな音だけが響く。
「……辞めます」
「は?」
「辞めます、会社」
 シュンがそう告げると、広瀬の顔に一瞬動揺が走ったが、すぐに笑いだした。
「冷静になれよ、時任。おまえは前の案件でちょっと疲れてるだけだって。少し休職すれば考えも」
「この上なく冷静ですよ、俺は」
 こんな男のことはどうでもよかった。
 シュンは自分に失望していた。
 なぜいっときの感情に流されて、簡単に捨ててしまったのだろう。
 あれは自分のすべてだったのに。
「二週間後に辞めるんで、手続きよろしくお願いします」
「二週間だと? おまえには常識ってものが」
 目を剥く広瀬を、シュンは鼻で笑った。
「他人のアイディアを平気で盗用する人間に、常識どうのこうの言われたくないんですけど。そっちこそ非常識かよ。あと、辞めるって言ったのに二週間で契約が解除されなかったら、そっちが法律違反なんで」
 シュンがぞんざいな口調で話しだすと、周りにいる社員たちは驚いて顔を見合わせていた。舞花も目を白黒させている。
 シュンは心の中でわらった。
(そうだよ、ほんとは俺ってそういうやつなんだ)
 馬鹿には面と向かって馬鹿と言いたいし、目上だろうが年上だろうが、嫌いなやつには思ったことをとことん言う。他人にどう思われるかなどたいして気にしていなかったが、今となっては心の底からどうでもよかった。
 勝手に無礼なやつだと怒っていればいい。どうせ彼らには、それ以外のことはなにひとつできやしないのだから。
「心配しなくても、だれにも言いふらしませんよ。掲示板でもSNSでも。そこまで落ちぶれる気ないんで」
 彼ごときに使う時間が無駄だ。
 時間は限られている。いくら金があっても、時間は買えない。
 こうしているあいだにも、時間はどんどん過ぎ去っていく。
 どうせ減っていくのなら、すべて自分のために使ってから死にたい。
「あ、それからあとひとつだけ」
 ぜんとしている広瀬に、シュンは口元を歪めて言った。
「……やるならもっと上手に盗めよ」

 帰宅早々、シュンは着替えもせずに寝台に倒れ込んだ。
 退職しても、解放感はまるでなかった。
 やっと辞められた。感想はそれだけだった。
 辞めるまでの二週間、さんざん周りの人間から嫌味を言われ続けた。
(この会社で勤まらないのに、ほかで通用するわけがないだろ)
(……知ってるよ)
 シュンはそう心の中でつぶやいた。
 そんなことは、自分が一番よくわかっている。
 そもそも自分は、だれかに雇われて働くのが嫌なのだから。
(でもいいんだ、もう)
 ずっとあそこにいるよりは、このほうがマシだ。
 たとえ、なにも残っていないとしても。

 退職して最初の二週間は、徹底的に自堕落に過ごした。おかげでだいぶ精神状態はマシになり、頭もはっきりしてきた。
(俺、このまま死ぬのかな)
 シュンは寝台に寝転がったまま、ぼんやりそう思った。
(……それは嫌だな)
 世間では、自分の価値は取るに足らないものでしかない。
 どこにも居場所がない。
 なら、自分で作るしかない。今までは合わない環境に無理やり自分を適応させていた。だがそれで居場所ができるはずもない。
 自分はなにも持っていないし、からっぽだ。
 それでも。
 ないものだらけでも、やるしかない。
 これを完成させなければ、死ぬときに絶対後悔する。
(大丈夫だ)
 シュンは自分に言い聞かせた。
 企画書のデータも、いくつか書いていたプログラムもすべて消してしまったが、大事なことはまだ頭の中に残っている。
 自分はなにを作りたかったのか。
 それは、すでに世に存在するあまのゲームソフトとどこが違うのか。
 思いついたときから、片時も忘れたことはない。
 設計思想さえあれば、あとの細かいことはどうにでもなる。たとえ真似されても、自分の思想や価値観まではだれも盗めないし、模倣できない。むしろすべて捨ててしまったぶん、あのときよりもやりたいことははっきりしていた。
 シュンはペンとレポート用紙を取り出し、仕様書を書いた。
それからは余計なことは考えず、シュンはひたすら手を動かし続けた。
 今の自分にできることはこれしかない。
 細かい部分は置いておいて、とりあえず完成させる。それだけを目標にした。
 ある程度形になったのは、二週間が経った頃だった。
 コンピュータの画面を見つめながら、シュンはぼんやりメグのことを思った。
 完成したら、まっさきに彼女に見せて、どんな反応をするのか知りたかった。
 ……会いたい。
(でも無理だよな)
 彼女はきっとジーンと結婚して幸せな日々を過ごしているのだろう。かたや自分はこのどうしようもない世界で、安定した暮らしを捨ててまで売れるかどうかもわからないゲームを作っている。
 帰ると言ったらバッドエンド。 それが自分の作ったゲームのルールだ。
 ならあのとき自分はやはり、バッドエンドを選んだのだろう。