「……だめだ。全然売れない」
シュンは公園のベンチでがっくりと肩を落とした。
何度か改良しても、SNSで宣伝しても、ゲームのダウンロード数はまったく増えなかった。
「デートだって、最近は君とこうやって鯛焼き食べてるだけだし」
そう言いながら、シュンは隣に坐っているメグを見た。
二人は初めて会ったとき同じように、公園のベンチに坐って鯛焼きを食べていた。
(……結局、ここに戻ってきたか)
シュンはそう思ってため息をついた。
これでは学生のするデートと変わらない。いや、アルバイトをしている学生ならもっと遊んでいるかもしれない。
大人になって働くようになれば、高級店を梯子して買い物するとか、夜景の見えるレストランに行くとか、毎年海外旅行に行くとか、そんなことが普通にできるのだと思っていた。だがそれはこの国が景気のよかったときの話で、今そんなことができるのは、金持ちの資産家か高級取りか、金遣いの荒い人間だけだった。
そういうことに価値があると思ったことはない。
これはただの見栄だ。そういうところに自分は恋人を連れていけるんだぞと周囲に見せつけて、優越感に浸りたいだけだ。
シュンは何度もそう自分に言い聞かせた。
メグが鯛焼きを食べながら、屈託のない様子で言う。
「わたしはべつになんでもいいわ。鯛焼きは好きだし」
しかし、今のままではさすがに格好がつかない。デートで鯛焼きしか食べさせられない彼氏なんて、甲斐性がなさすぎる。あまりにも情けない。
なぜ彼女は自分がよかったのだろう。いくら考えてもわからない。
(これじゃ本当にゲームの主人公だよ)
上司が考えていた企画書のタイトルが頭をよぎる。
(やめろ。俺はゲームの主人公じゃない)
なんの根拠もなくただ好かれるなんて、現実でそんなことはありえない。
ご都合主義もいいところだ。
「……メグ」
「なに?」
「君はなんで俺を好きになったの?」
メグが鯛焼きを食べる手を止め、ゆっくりとこちらを見る。
「それ、訊いてどうするの?」
「どうするって……ただ知りたかったから」
「わたしがあなたをどう思っているか?」
「……うん」
シュンが頷くと、メグが少し考えるような表情になった。
「そうね……あなたは寝坊だし、わたしが言わないと食事せずに仕事をし続けるし、いろいろ冗談を言っても笑ってくれないし、料理の指導の仕方は全然優しくないし、考え事をしてるときは、あんまりわたしの話を聞いてないし……」
「……もういいよ」
訊いた自分が馬鹿だった。
気落ちしているシュンの横で、メグが笑い声をあげる。
「でもね、好きなの。なんだかんだで、あなたはわたしを追い出さずに部屋に置いてくれているし。切符だって持って帰れるようにしてくれたし、わたしが電車でふらついてたら手を繋いでくれた」
「それは……俺が好きだから嬉しいと思ったんだろ? 好きになった理由じゃない」
「そんなのわからないわ。気づいたら好きになっていたんだもの」
メグは鯛焼きを食べ終えると、じっとシュンを見た。
「あなたはどうだったの、瞬」
「それは……なんでかな」
(そもそも、なんで知りたいなんて言ったんだ、俺は)
自分はなにを知りたかったのだろう。
彼女がいろいろ理由を言ったら、納得したのだろうか。
「瞬。わたしはね、あなたと一緒にいられればなんだっていいのよ」
メグの笑顔が眩しすぎて、シュンは直視できなかった。
本当に、どうして彼女は自分のことを好きになったんだろう。
「そんなに落ち込まなくても、いざとなったらわたしがなんでも出してあげるわ」
「……それは嫌だ」
「あなたも頑固ね。大丈夫よ、無一文になって部屋を追い出されても、あの映画みたいにデパートに泊まればいいんだし」
「いや、実際にやったら捕まるから……」
メグが不敵に笑う。
「瞬はわたしがそんなへまをすると思ってるの? 機械なんて全部止められるし、透明になれるから平気よ」
「あ、そうか……」
忘れていたが、彼女はこの世界では万能な存在――チートキャラのようなものなのだ。
そう思えば、少しは気が楽になる気がした。
「じゃあ、あそこは? あの鉄格子付きの部屋」
「そりゃ確かに三食ついてくるし、寝られるけどだめ。それにあそこは男女別だから」
「え、そうなの? 離れ離れは困るわ」
顔をしかめたメグを見ながら、シュンはこらえきれず笑いだしてしまった。
(……君は面白いよ、ほんとに)
こうやって笑えるうちは、まだ自分は大丈夫なのだと思える。
メグがふっと目だけで笑う。
「そうやってもっと笑えばいいのに」
「え……」
「笑うの、苦手なの?」
問われてシュンは言葉に詰まった。確かに、昔から笑顔を作るのは苦手だったし、写真を撮るときに笑顔を強制されるのも嫌いだった。子供の頃はもっと笑っていたような気がするが、いつの頃からかシュンは、心から笑えなくなった。それどころか、やたらと愛想のいい人間を不気味だとすら思うようになった。
「俺は、本当に楽しいと思ったときしか笑わないんだよ」
シュンが苦しまぎれに言うと、メグが首を傾げた。
「そうなの?」
「うん」
本当はそれだけではないような気もしたが、自分がなぜ笑うことに抵抗があるのか、シュンにはよくわからなかった。
「じゃあわたしと一緒ね」
「君はいつも笑ってるだろ」
「だって、あなたと一緒にいるといつも楽しいもの」
さらりとそんなことを言われ、シュンは胸が詰まる感覚に襲われた。
どうして彼女は、そんなふうに自分の気持ちを素直に言葉にできるのだろう。
そしていつも、その言葉に影響されてしまう。
能力を使わなくても、彼女には不思議な力がある。
家事も苦手だし、わがままだし、行動もぶっ飛んでいるが、彼女はとても――。
(とても、なんだ?)
そこまで出かかっているのに、わからない。
今の自分に欠けているもの。
もしかしたら、それは自分の作ったゲームに欠けているものと同じかもしれない。
(それはいくらなんでも飛躍しすぎか……)
だが、彼女は自分にはないものを持っている。
だからこそ自分は、こんなにもメグに惹かれているのかもしれない。
「今日の夕ご飯はなににするの?」
「炊き込みご飯と天ぷら……じゃなくて、あのさ」
しかし、そこでシュンは口を閉じた。
最近ずっと考えていたことだったが、これがいい選択なのかどうかはわからなかった。
でも現状は行き詰まっているのだから、なにかを変える必要はある。
「なに?」
意見を聞くだけだ。シュンはそう自分に言い聞かせ、メグをじっと見つめた。
「俺の作ったゲーム、見てほしいんだけど……」
夕食が終わってから、シュンが携帯電話の画面を操作してゲームを見せると、彼女は興味深げに見つめていた。
「すごい、これを瞬が作ったの?」
「うん、でも全然売れなくてさ」
広瀬がプレゼンテーションした内容ならそこそこ売れていたのかもしれないが、瞬はその安易さが嫌で仕方なかった。
「それで、わたしはなにをすればいいの?」
「キャラクターを懐かせるんだ。台詞が出てくるから、そこから気持ちを推測して、どうすればいいか自分で考えるんだ。いろいろ選択肢が用意してあるから、その中から選んで……」
メグが困った顔になる。
「シュン、わたしは字が読めないから、この子の気持ちが全然わからないわ」
「字……」
そうだ。そのことを考えていなかった。これでは海外には売り出せない。
「それに……デザインがあまりよくないわね」
「やっぱりそう思う?」
絵には自信がなかったので、デザインは外注に出したのだが、あまりお金をかけられなかったのだ。
「わたしならこう描くわ」
そう言うが早いか、メグは紙とペンを出現させると、一分もかからないうちに書き上げてシュンに見せた。
「どう? あなたの説明した性格からイメージして描いてみたんだけど」
メグが描いた絵を見て、シュンはその完成度の高さに言葉を失った。
でもなんというか、すごくゆるい。
(俺に足りなかったのって、こういうのなのかな……)
「……採用」
シュンが複雑な気持ちで言うと、メグがぱっと顔を輝かせた。
「ほんと? ありがとう」
もう一度自分でゲームをやってから、シュンは修正点を紙に書き出してみた。
「よし、これでいこう」
これでうまくいくかどうかは分からないが、できることはすべて試さなければ。
その時、メグがためらいがちに口を開いた。
「あのね瞬、もうひとつ気になったことがあるんだけど……」
「なに?」
「気難しい子ばかりじゃだれにも可愛がってもらえないと思うわ。人だって、素直な人ほど好かれるものでしょう?」
「うっ」
シュンはずばりと言われて肩を落とした。
(やっぱりそうなのか……)
「そういう子もいていいと思うけど、一匹だけにしたら? わたしはあなたの気難しいところも含めて好きだけど」
メグが付け足すようにそう言ったので、シュンは少しむっとして、ソファに膝を抱えて坐った。
「……いいよ、慰めてくれなくて」
「怒ったの?」
「怒ってない」
そう言ったものの、シュンは自分に腹を立てていた。
自分から訊いておいて、ダメ出しされて不機嫌になるなんて幼稚なことこの上ない。
しかし、メグがじっと自分のほうを見ていたので、シュンは眉を上げた。
「……なに?」
メグが笑顔で答える。
「もちろん、あなたを見てるの。怒ってるあなたは珍しいから、ずっと見ておこうと思って。もっとそうしてていいわよ」
まったく――怒っているのが馬鹿らしくなって、シュンはメグに見えないように手で顔を隠しながら、つい笑ってしまった。
「あら、もう終わりなの? つまらない」
メグがそんなことを言うので、シュンはついに我慢できなくなった。
ここまで言われて黙っているわけにはいかない。
シュンが後ろからメグをがばっと抱きしめると、メグが小さく悲鳴をあげ、声を立てて笑った。
「もっと怒らせたい?」
耳元でシュンが言うと、メグがこちらを向いて挑戦的に微笑んだ。
「そうしたらどうなるの?」
「それは――」
顔を近づけようとして、シュンははっとした。
まずい、やりすぎた。
シュンはメグから身体を離し、なんとか冷静さを装って言った。
「それより、そうと決まったら修正しないと。ほかのも描いてくれたら、俺が読み込んでデジタル化するから」
メグがじっとシュンを見つめる。
「……キスしてくれないの?」
シュンは迷った。キスはあの時以来、一度もしていなかった。
本音を言えばしたいけれど、したくない。キスしたら、もっと欲しくなってしまう。お腹がすいたときに少しだけ食べてやめると、余計にお腹がすくのと同じ理屈で。
シュンは唇をメグの唇に押し当てて、すぐに離した。
メグが不満げに眉を上げる。
「それだけ? もっとしてくれたら頑張るのに」
「だめ。そういう取り引きはしない」
そもそも、取り引きするようなことじゃない。
「君は、そんな理由で俺にキスされて虚しくならないのか?」
シュンが言うと、突然メグがはっとした表情になり、一瞬泣きそうに顔を歪めた。
「……ごめんなさい」
シュンは、うつむいてしまったメグをまじまじと見つめた。
なにが彼女にとってそこまでショックだったのか、シュンにはよくわからなかった。
謝らなければならないのは自分のほうだ。
そこまで彼女に我慢させているのは自分なのだから。
一応、恋人ということになっているのに。
「メグ」
シュンは今度は前よりしっかり唇を重ねた。メグが口を開くと、シュンは自分の舌で、メグの舌にそっと触れた。メグが小さくくぐもった声をあげる。
シュンは一瞬飛びかけた理性を総動員して身体を離した。
「どうして、してくれないの?」
胸が苦しくなるのを感じながら、シュンはなんとか言葉を絞りだした。
「……痛くなるから。心と身体が」
「痛いの?」
「言葉で話すより、もっと距離が近くなるんだ。だからやり方を間違えたら、言い争いになったときより深く傷つく。暴力にもなるし、支配の手段にもなる。だから、簡単にしちゃだめなんだよ」
「あなたは、そんなことしないわ」
シュンは首を振った。
彼女は自分に夢を見すぎだ。
「……俺は君を傷つけたくないんだ」
お腹がすいたのと同列に考えているなら、それはただの性欲でしかない。
そんな理由でしたくない。
(でも、本当にそうなのか?)
もうひとりの自分が問いかける。
彼女と関係を持つのをためらっているのは、本当にそれだけが理由なのか?
(でもだめだ)
終着駅までは行かないと決めた。
彼女はそれまでに自分に愛想を尽かすかもしれない。でも、そうなったらそうなったで仕方がない。深い仲になるよりは、そのほうが傷が浅くて済む。
「やりましょう、続き」
メグの言葉に、シュンはどきりとした。
「……なんの?」
メグが微笑む。
「さっきの続きよ。修正するんでしょう?」
「……うん」
そうだ。今はまだしなければならないことがある。
生活費のために、少しは妥協しなければ。
「ねえ、これってどういう意味なの、瞬」
メグが指していたのは、携帯電話の画面に表示されているアイコンの名前だった。
Rita(リタ)。そう表示されている。
「このゲームの名前」
「どういう意味なの?」
シュンはちょっと迷ったが、ぼそりと言った。
「……秘密」
「どうして?」
「恥ずかしいから」
メグが首を傾げる。
「……そんなにいかがわしい意味なの?」
「そ、そういうことじゃなくて!」
「じゃあなんなの?」
「……とにかく秘密!」
デザインを変えた効果はすぐに現れた。
「……すごい」
先週よりも、明らかにダウンロード数が増えていた。
(これならいけるかも)
コンピュータの画面でレビューを見ながら、シュンは首を傾げた。
(なんでコメントが全部外国語なんだ……?」
SNSを海外表示に切り替えてみて、シュンは驚いた。
「すごいバズってる……」
「バズるってなに?」
「んー、急に人気が出るってことかな」
「瞬、人気者になったの? すごい!」
「いや、俺じゃなくてゲームがだけど」
メグが不思議そうな顔になる。
「嬉しくないの?」
「いや、嬉しいけど……」
このぶんなら、自分の国でも話題になって、ニュースサイトが取り上げてくれるかもしれないかもしれない。
「でもそのあとが心配かな……」
人気が出ると必ずケチをつけたり、重箱の隅をつついて目立とうとしたりする人間が現れる。そうやって他人の足を引っ張るのだ。
会社にいたときも、そんな話はしょっちゅう耳にした。
「そんなの、問題が起きたときに心配すればいいのに。とりあえず今は喜んだら? そうしないともったいないわ」
メグの言葉に、シュンは思わず笑みを漏らしていた。
彼女のこういう楽観的なところに、いつも助けられてばかりだと思う。
「うん、そうする」
そう言った途端、身体の奥からじわじわと嬉しさがこみ上げてきて、シュンは指で目元を拭った。メグが心配そうに顔を覗きこむ。
「……どうしたの? 泣いてるじゃない」
「こっちの世界の人間は、嬉しくても泣くんだよ」
また目元を拭ってから、シュンは画面を見た。
喜んでばかりもいられない。ユーザーが増えたら、課金の仕方を考えなくては。
そこでシュンははっとした。
「そうだ、君にもお金を払わないと」
「いいわ、そんなの。作ったのはあなたなんだから」
「でも……」
「瞬。わたしたちは報酬を貰うために仕事をしないの。お礼を受け取ることはあるけど、それだけよ」
メグの言葉に、シュンは驚いて言った。
「生活するためにお金を稼ぐ必要がないの?」
「ええ。生活に必要なぶんは配られるから。わたしの世界ではね、みんな自分でたいていのものは作りだせるから、お金はたいして価値を持っていないの。お金を出すのは、自分で作れないものか、自分がお金を払う価値があると認めたものだけ。わたしはお金が欲しいから描いたんじゃなくて、あなたの頼みだから描いたの」
「でも、こっちじゃお金がないとなにもできないし。いくらか自分で持ってたほうがいいよ」
それに、もう少しお金に余裕ができたら、彼女にいろいろ買ってあげなくては。
とりあえずは携帯電話だ。そう思いながらシュンはブラウザーを操作して、通信会社のページを開いた。
その様子をメグが浮かない顔で見つめていることに、シュンは気づかなかった。
