つまらない会合だ。
そう思いながら、ミヒャエルは目の前に並ぶ面子を観察した。
ミヒャエルの正面には、一人掛けのソファに坐ったハインリヒがいた。そのすぐ横に縦向きに置かれた二人掛けのソファには、側近であるブロスフェルト卿と秘書のディートリヒが坐っている。
ハインリヒが満足げな表情でミヒャエルのほうを見た。
「思っていた以上に順調だな、ミヒャエル。どんな手を使ったのか知らないが、こうも早く天啓者を懐かせるとは」
「恐れ入ります、閣下」
ミヒャエルはにこやかな笑みを浮かべ、ハインリヒに頭を下げた。
「おまえの同級生はなにをやらせても優秀だな、ディートリヒ」
ブロスフェルトが含みのある口調でそう言うと、今度は秘書のディートリヒが恭しく頭を下げた。
「はい。閣下のおっしゃるとおりです。わたしはいつもなにをやっても彼に敵いませんでしたから」
「謙遜ですよ、閣下。わたしは要領が良かっただけで、成績ならディートリヒのほうが上です。彼は真面目な男ですから」
(――心にもないことを)
ミヒャエルの中にいるもう一人の自分が、笑顔で話す自分に冷ややかな口調でそう言った。しかし、なにも言わないわけにはいかない。ブロスフェルトは、ディートリヒを使って自分を褒め殺しにしたいのだ。肯定すれば傲慢だと思われてしまうし、黙っていれば暗に自分が優秀だと認めていることになる。ディートリヒを立てつつ、自分の謙虚さをさりげなく強調する。それが最善の策だった。
(……馬鹿馬鹿しい)
こういったやりとりをするたびに、ミヒャエルは自分の中でなにかが乾いていく気がした。宴ではリートの手前なんでもないように振る舞っていたが、本当は、ミヒャエルは社交辞令や馴れ合いが大嫌いだった。
さっさと用件を済ませてしまおうと、ミヒャエルはハインリヒのほうを見た。
「それで、今日はなんのご用でわたしをお呼びに?」
今ミヒャエルがいるのは、王宮から程近い場所にあるハインリヒの屋敷だった。
通常の来客なら、ハインリヒは王宮にある自分の執務室を使用するが、宰相を訪問した人間はすべて記録に残ってしまうため、ハインリヒは密談するときはいつも自分の屋敷に人を呼んでいた。
「明後日、天啓者が市街地に出る。おまえも一緒に行ってこい。行き先はルーデル大聖堂だ」
「ルーデル大聖堂、ですか?」
「なんだ、なにかあるのか」
「いえ、なにも」
内心の動揺を押し隠し、ミヒャエルはいつもの穏やかな笑みを浮かべた。
「しかし、わたしが同行することをメルヒオル様はよく思わないのでは」
ハインリヒがにやりと笑う。
「天啓者がいいと言えば、メルヒオルはなにも言えまい。ルイスがおまえを邪険に扱えば扱うほど、おまえの信用は高まり、天啓者は反感を持つ。なにも心配する必要はない」
ハインリヒの言葉を聞きながら、ミヒャエルはルイスの険しい顔を思い出した。彼はいつだって自分の意思に忠実で、融通の利かない生真面目な男だ。
あらゆる意味で、ルイスは自分とは別種の人間だった。
だからだとミヒャエルは思った。リートは、ルイスにはない別の価値観を知りたいと思っている。ならば、それを演じるのが自分に課せられた役割なのだ。
そう結論づけたあとで、ミヒャエルはまた口を開いた。
「閣下、一つだけお訊きしたいことがあるのですが、よろしいですか」
「なんだ?」
「メルヒオル様がなぜルイスを選んだのか、お聞き及びではありませんか」
ハインリヒは少しのあいだ沈黙したが、苦い顔で首を振った。
「わからん。そもそもメルヒオルはおまえを世話役にするつもりだった。それをなぜか独断で変えたのだ」
ブロスフェルトが大袈裟に顔をしかめる。
「血迷ったとしか思えませんな。ルイスは自己主張が強くて協調性に欠ける、組織の人間としては欠陥のある男です。わざわざそんなに人間に天啓者を任せるとは――」
そのまま二人はいつものように、メルヒオルとルイスの悪口を並べはじめた。
ミヒャエルは機械的に相槌を打ちながら、頭の中では市街地に出発する日のことを考えていた。
突然自分が王宮の車寄せに現れたら、リートたちはどんな顔をするだろう。そのことを考えたほうがよほど楽しかった。
ひとしきり愚痴を言い終えたところで、またハインリヒが口を開いた。
「奴らのことはもういい。それよりローゼンベルク卿の件だ」
それを聞いてミヒャエルは居住まいを正した。どうやら本題はこちらだったらしい。
「今回は、召し使いの個人的な怨恨による殺人だということで片づけることにした。卿の愛人が絡んでいると知られては体裁が悪いからな」
「承知しました。ミヒャエル、なんとかなりそうか?」
ブロスフェルトに問われ、ミヒャエルはまた微笑を浮かべた。
「もちろんです。お任せください」
「ミヒャエル」
ハインリヒの屋敷を辞し、門まで続く小径を歩いていたミヒャエルは、その声で振り返った。追いかけてきたのはディートリヒだった。
本心を探ってこいとでもブロスフェルトに言われたのだろうか。そうミヒャエルは推測した。ブロスフェルトが自分のことを信用していないのは明らかだったが、ミヒャエルは気にしていなかった。自分が手を結んでいるのはハインリヒ個人だ。王権派ではない。
ディートリヒが申し訳なさそうな表情を浮かべる。
「すまないな。おまえにこんなことをさせて」
「気にするな。彼らと仲良しごっこをするのはなかなか楽しいからな」
ミヒャエルは笑みを浮かべながらそう答え、ハインリヒの屋敷地に広がる広大な庭に目を移した。
実際、リートたちと関わるようになってからは、ハーナルの捜査以上に予想外の事ばかりだった。
だいたいあんなふうに――ルイスのことだが、真正面からおまえのことが気に入らないという態度を取られることはミヒャエルにとって新鮮だったし、エミリアのように、恋愛の駆け引き抜きで普通に話せる異性と過ごせるのは気楽でよかった。
そして、リートはといえば。
ハインリヒは順調だと言ったが、ミヒャエルはそうは思っていなかった。
わかっているのは、彼があの年齢ですでに独特の価値観を持っているということだ。だからこそリートは何事にも懐疑的で、ミヒャエルが褒めても簡単には真に受けない。しかし、一見すると世間慣れしていない、ただの自信のない気弱な少年にも見える。一方で、目的のためなら手段を選ばない大胆さもある。リートの態度には未知数のところが多かった。
成功してはいる。だが、リートは自分に心を許しているわけではない。
ルイスはいったいどんな方法を使って、あの少年を手懐けたのだろう。ミヒャエルはそれが気になっていた。だがディートリヒに言ったとおり、結局すべては仲良しごっこでしかないのかもしれない。
「これからはずっと王権派の天下が続く。神聖派には国を支える力はない。メルヒオルがどう出ようと、わたしを排除することはできないさ。それに、わたしが協力すればすべておまえの手柄になるからな」
ミヒャエルがそう言うと、ディートリヒが心外そうな顔になった。
「そういう言い方はよせよ」
「だがそうだろう? ブロスフェルト卿はおまえを過小評価しているようだが、わたしの言ったことはすべて本心だ。おまえはわたしより優秀だよ、ディートリヒ」
そう言いながら、ミヒャエルはディートリヒの肩を叩いた。
「そう心配するな。わたしはこの劇が続いているあいだはとことん楽しむつもりだ。それより、あの部屋にいるときから気になっていたんだが」
ミヒャエルはディートリヒの肩を掴んだまま、もう一方の手でディートリヒの手首を捉え、一気に袖をまくった。その腕には包帯が巻かれていた。
「……ブロスフェルトから折檻でも受けてるのか?」
「ただの打撲だ」
袖を戻しながら、ディートリヒが自嘲ぎみに笑った。
「あの方は気が短いからな。たいしたことじゃない。……俺の仕事が遅いというだけの話だ」
リートの外出は、ルイスの不機嫌な第一声で始まった。
「なぜここにおまえがいるんだ」
「なぜって、リートの案内をするために決まってるだろう?」
答えたのは、いつもの騎士団の制服ではなく、私服姿のミヒャエルだった。
リートたちがいるのは、宮殿にある屋根付きの車寄せだった。三人の前には立派な二頭立ての四輪馬車が停まっている。お忍びでの外出なので、宮殿所有の馬車だとはわからないように紋章はすべて隠されていた。
「おまえは過保護すぎるからな。それに市井のことはおまえよりわたしのほうが詳しいぞ。仕事柄慣れているからな」
ミヒャエルがにこやかな笑みを浮かべてそう言うと、ルイスがぐっと押し黙った。
「それにメルヒオルにも許可は貰っている。おまえがなにかしでかしても、わたしがいれば大丈夫だと思ったんだろう」
「そんなことはしない。しでかすならおまえのほうだろう。わたしはおまえを信用していない」
リートは始まった二人の言い争いに思わず天を仰いだ。こうなったときのルイスは頑固だ。だれの言うことにも耳を傾けようとしない。そしてミヒャエルは、そんなルイスをからかうことに余念がない。
しかし、この状況に終止符を打ったのは、この場にいたもう一人の人間だった。
「なんでもいいですけど、早く出発しません? 時間も限られてますし」
そう言ったのは、御者役で駆り出されたヴェルナーだった。二人の言い争いなど心底どうでもいいという表情で、馬車に凭れ掛かっている。
「ヴェルナー、どういうつもりだ」
思わぬ裏切りに遭ったルイスが険しい顔になったが、ヴェルナーはミヒャエルを横目で見ながらあっさり言い放った。
「警護の人数は多いほうがいいでしょう。いざというときは囮にしちゃえばいいんですよ」
「ヴェルナー、それは……」
さすがにそれは可哀想だと思ったリートは口を挟んだが、ミヒャエルは笑顔を崩さなかった。
「わたしはかまわないぞ。囮でも盾でもなんでも好きに使ってくれ」
「ではそういうことで。ほらルイス様、行きましょう」
まだ納得のいかないルイスを無視してヴェルナーは話を打ち切ると、リートの耳元で囁いた。
「リート様も、ルイス様に振り回されてちゃ駄目ですよ。一応主人はリート様なんですから、ビシッと言わないと」
「そ、そうだね……」
リートは言いながら自分が少し情けなくなった。だが、貴族でもない自分がいろいろ言ってもいいのだろうか。
リートの世界では、主従関係などという封建的な制度はとうの昔に廃止されている。
リートは時代劇で見た主人と従者を思い出した。
主人は立派な人格者で、従者はそんな主人を尊敬し、仕えることに誇りを持っていた。反対に、尊大な主人と、主人に恐怖から服従している従者もいた。
自分はといえば、ルイスに振り回されてばかりだ。しかし、そもそも人を使うなんて恐れ多いことだ。馬車に乗り込みながら、リートはそう思った。
