第37話 ハーナルの騎士団長

 リートとエミリアは、王宮の入り口の所でルイスとミヒャエルの帰りを待っていた。
 二人の周りには、トリスタンとほかの近衛騎士たちが控えている。
「ほんとに、二人はここに戻ってくるの?」
「そのはずよ。ミヒャエルがルイスの言うことを聞いていればだけど」
 エミリアはさっきから、じりじりした様子でその場を行ったり来たりしていた。
 確かに彼女は、ここでただ帰りを待っているより、馬に飛び乗って二人を助けに行くことを選びそうだし、そのほうがよほどエミリアに似合っているとリートは思った。
「……来てほしくないほうが先に来たわね」
 エミリアが低い声でそう漏らした。
 エミリアの視線の先には、エドゥアルトを先頭にして、ハーナルの騎士たちがこちらにやってくるところだった。
 リートはエミリアに囁いた。
「彼はミヒャエルの同僚の騎士だよ。ミヒャエルとうまくいってないみたいだった」
「なるほどね」
 エミリアはそうつぶやくと、エドゥアルトに視線を向けた。
「殿下、お部屋にお戻りください」
「いやよ。ミヒャエルが帰ってくるまでここを動くつもりはない」
「危険です。相手はベギールデと通じているかもしれない人間ですよ。我々に捕まる前に殿下と王妃様に嘆願を申し出れば、命は助かると思っているのです」
「あなたこそ、ミヒャエルを失脚させて次の隊長にでもなるつもり? ミヒャエルは人殺しなんてしない。たとえ裏切ったにしても、あなた方よりわたしたちが話を聞くのが先よ」
「殿下」
「半日、いえ三時間でいいの。あなたたちの言うように、彼がベギールデと繋がっているとわかったら、すぐに身柄を引き渡す。約束する」
 しかし、エドゥアルトに聞くつもりはないようだった。
 エドゥアルトが手を挙げると、ハーナルの騎士たちが周囲を包囲した。エミリアとリートの周りを固めている近衛騎士たちが一斉に剣の柄に手をかける。
 エドゥアルトがトリスタンをじろりと睨む。
「近衛騎士風情が我々に逆らうつもりか、トリスタン。我々はおまえたちのように要人の横で突っ立っているだけで務まる警備員じゃない。内務省管轄の捜査官なんだ。早く王女を部屋までお送りしろ」
 しかし、トリスタンは動かなかった。
「確かにおまえたちのような権限は持っていないが、王女がここにいると言っている以上、それを守るのが近衛騎士であるわたしの務めだ」
 エミリアも周囲を警戒しながらエドゥアルトを見つめた。彼女の目つきは、すでに無邪気な王女のものではなく、戦う人間特有の鋭いものに変化していた。
「トリスタンたち相手に本気でやり合う気? やめておいたほうがいいと思うけど」
 一触即発の状況にリートは緊張した。
 まさかハーナルの騎士たちがこの騎士たちに危害を加えるとは思えなかったが、この状態はしゃになっていない。
 しかし、その状態も長くは続かなかった。

「なにを騒いでいる、エディ」
 現れたのは、ハーナルの制服に身を包んだ壮年の男だった。
 短く刈った銀髪に青灰色の瞳を持つ、どことなく尊大な雰囲気を漂わせた男は、周囲を鋭く見渡した。それだけで、リートは周囲の空気が張り詰めていくのを感じた。
「団長」
 エドゥアルトがそう呼んだので、リートは驚いた。
 彼がハーナル騎士団の団長らしい。
「事情が変わった。ミヒャエルの身柄はわたしが預かる。おまえたちは庁舎に戻れ」
 男がそう言うと、エドゥアルトが目を見開いた。
「団長! ブロスフェルト卿のご命令に逆らうおつもりですか」
「逆らってなどいない。これは王命だ」
 王命という言葉に周りがざわめいた。
「どのみち、ミヒャエルが捕まるのは時間の問題だ。こんなところでやり合う理由がどこにある。おまえたちのやり方には方々から苦情が出ているんだ。よりにもよって王族の不況を買うようなをするとは。今後の捜査に影響が及んだらどうする」
 男が有無を言わせない目つきで団員たちを睨む。
「庁舎に戻れ。これは命令だ」
 エドゥアルトたちが不満げな様子で引き上げていったあと、エミリアが男に近寄った。
「ありがとう、リューディガー」
「わたしは王命を受けてここに来ただけです」
 騎士団長はそっけなくそう言ったあとで、エミリアをじっと見つめた。
「ですが一言だけ。殿下が軽はずみな真似をして責めを負うのは殿下ではなく、いつも周りの人間たちです。そのことをお忘れなく」
「……気をつけるわ」
 エミリアがそう言うと、リューディガーは礼をして去っていった。
 馬に乗った二人が駆け込んできたのはその直後だった。
「ミヒャエル! ルイス!」
 リートがほっとして名前を呼ぶと、ミヒャエルが困惑した表情で二人を見た。
「エミリア。リートまで――」
 彼の余裕のない態度を見るのは、なんだか変な感じだとリートは思った。
 エミリアがミヒャエルに笑いかける。
「無事でよかった。こうでもしないと、あなたが逮捕されるかもしれないと思って。わたしとリートがいれば、向こうは手出しできないでしょう?」
 ミヒャエルが得体の知れないものを見る目でルイスを見た。
「なぜおまえは彼女の行動が読めるんだ」
 ルイスが首を傾げた。
「なぜと言われても、ミリィならそうすると思っただけだが……だれでも普通そうするだろう?」
「だれも言わないから言うが、おまえの普通はおかしい」
 ミヒャエルの指摘に、ルイスが心外だと言わんばかりに眉を吊り上げた。
「リートを誘拐したおまえに、普通がどうのこうのと言われたくない。街に出かけたときも勝手についてくるし、おまえのほうがよほど非常識だ」
「ルイス、それは僕が悪かったんだって。それに、ミヒャエルがいてくれて楽しかったし」
 リートはそう取りなしたが、ミヒャエルが頭を抱えてしまったので、慌てて声をかけた。
「大丈夫? ミヒャエル」
「……頭がついていかない。君たちといると、信じられないことばかり起きる。今生きているのが信じられない」

「団長に向こうであったことは説明してきた」
 ミヒャエルはリートの部屋に入るなり、三人のほうを見て言った。
「だが証拠がある以上、イェンスを殺した犯人がわからないかぎり、わたしはベギールデの思惑通り捕まりそうだな」
「そんな――」
 リートは思わず声を上げたが、ミヒャエルは力なく笑っただけだった。
「仕方ない。これも自分が招いたことだ」
 そう言ってミヒャエルは椅子にと、改まった顔でリートのほうを見た。
「この際だから白状しておこう。わたしは君の監視を頼まれたんだ」
 監視。そう言われてもリートには今ひとつピンとこなかった。
「……だれに?」
「ハインリヒだ。もともとわたしは彼に個人的に協力して、政府高官や大貴族の表沙汰にできない案件を処理してきた」
 ルイスが険しい視線を向ける。
「なぜそんなことを」
「ハーナルの力では限界があるからだ。事件が明るみに出たら、傷つかなくていい人間まで傷つくことになる。そうなるのがいやで協力していたんだ。その代わり、ハーナルでは手に入れられない情報まで提供してもらっていた」
「褒められたことではないわね」
 エミリアが腕を組んだまま、ミヒャエルをじっと見つめた。
「それで、ハインリヒはなにをしようとしてたの?」
「リートがメルヒオルとルイスから距離を置くよう仕向けたかったんだ。最終的には王権派の駒として使いたかったんだろう。天啓者としての力はなくても、政治の道具としては使えるからな」
 それでミヒャエルは、自分とルイスの仲を裂こうとしていたのかとリートは納得した。
 だとしたら、最初からルイスはまったくの勘で、ミヒャエルを怪しいと思っていたのだろうか。だが、そもそもルイスは昔からミヒャエルのことをよく思っていなかったのだから、ただの偶然なのかもしれない。
 考え込んでいるリートの横で、エミリアが口を開いた。
「まさか、聖殿が襲撃を受けたのも、ハインリヒが仕組んだことなの?」
 ミヒャエルが真剣な表情で首を振る。
「いや、それは違う。ハインリヒは人を虐殺するような計略は立てない」
 リートは首を傾げた。
「なら、いったいだれがミヒャエルを嵌めたの?」
 普通に考えるなら、ベギールデと結託してミヒャエルを失脚させたいだれかの仕業なのだろうが、そんな人物をリートは知らない。
 可能性があるとすればエドゥアルトだが、彼がわざわざエミリアやペトロネラを敵に回してまでミヒャエルを嵌めようとするとは思えない。彼はただ仕事熱心なだけだろう。
 だいたい、この件はあまりにも展開が急すぎた。なにかを考える余裕すらないまま、自分たちの動きとは関係なく、事態だけがどんどん進行していく。
「実を言うと、目星はついてるんだ。だが証拠が無い。問い詰めても自白するかどうか――」
 ミヒャエルはそう言ってうつむいてしまった。
 リートはミヒャエルの推理を聞いてみたかったが、ミヒャエルがさっきから腕をさすっているのをなんとなくとがめた。
「腕を怪我したの?」
 ミヒャエルが微笑む。
「いや、大したことはない。君の騎士にちょっと強く掴まれただけだ」
「そんなことをしたの?」
 リートが驚いてルイスに視線を向けると、きまり悪げにルイスが横を向いた。
「過失は認めるが、必要な措置だった。おまえがまだ起きてもいないことのために、なにもかも諦めようとするのが悪い」
「そうだな。まさかおまえの経験則が、わたしの予想をりょうするとは思わなかったよ」
 ミヒャエルは皮肉交じりにそう言ったが、そのとき、ふとなにかに気づいたように動きを止めた。もう一度、今度はゆっくりと腕をさする。
 それからミヒャエルは、ベルトに挟んでいた短剣を取り出し、さやを抜いた。
 刀身を見つめ、ミヒャエルがふっと笑う。
「……エミリア」
「なに?」
「君に口づけしてもいいかな。いや、それともここにいる全員にするべきか」
 ミヒャエルの突拍子のない言葉に、リートがなにも言えずにいると、傍らにいたルイスが呆れた顔になった。
「おまえはなにを言ってるんだ」
「すまない、冗談だ。それぐらい嬉しかったんだ」
 まだ顔をしかめているルイスと、面白そうにこちらを見ているエミリアに笑みを見せたあとで、ミヒャエルが真面目な顔になる。
「質問がある。エミリア、君は嫌いな人間に自分の弱みを打ち明けるか?」
「そんなわけないじゃない。むしろ徹底的に隠すわ」
 エミリアが肩をすくめて言うと、ミヒャエルは今度はルイスのほうを見た。
「おまえはどうだ、ルイス」
「わたしは他人に教えて困る弱みなどない」
 ルイスがきっぱりと言い切ると、その場が沈黙に包まれた。
 ミヒャエルがやれやれという顔でため息をつく。
「すまない。おまえに訊いたわたしが馬鹿だったな」
「なにかわかったの?」
 どういう意味だと憤慨しているルイスを無視してリートが問いかけると、ミヒャエルがにやっと笑った。
「ああ。これでやっと無実を証明できそうだ」