第58話 開かないオルゴール

ルーツィアの部屋の前でルイスと別れ、リートはルーツィアと部屋に入った。
 ルーツィアがリートに手ずから紅茶を入れてくれたのでリートは驚いたが、彼女は召し使いを置かずに一人で暮らしているのだとリートに説明してくれた。
「ルーツィアのお父さんはここで医官として働いていたんだよね」
 ルーツィアが紅茶の入ったカップを受け皿に戻してうなずく。
「ええ。だから少しのあいだでも、ここで働けて嬉しいんです。父と同じものを見られますから。……メルヒオル様にはお見通しのようでしたが」
 ルーツィアが小さく笑い、そっと目を伏せた。
「父は貴族なのに医術をやるなんてと、ほかの貴族たちからは疎んじられていましたが、わたしは父を尊敬していました。わたしを産んだあとすぐに母が亡くなって、父はそれからずっとわたしを一人で育ててくれました。その父も数年前に亡くなってしまいましたが」
 リートはじっとルーツィアの話を聞いていた。エミリアが苦労していると言ったのはこのことだったのだ。
 医術はルーツィアにとって、父親と自分を結ぶ縁のようなものなのだとリートは思った。
 リートは勇気を出して口を開いた。
 言わなければならない。
 もともと、このことを言うために自分はルーツィアと話をしようと思ったのだ。
「ごめんね、ルーツィア。僕のせいでルイスを危ない目に遭わせてばかりで」
 リートがそう言うと、ルーツィアの瞳が驚きで見開かれた。
「最近あなたに元気がないって聞いたから。ルイスが僕の騎士になって厄介事に巻き込まれないか心配してるんじゃないかと思って。当然だよね。実際、ルイスは僕を守るために死にかけたし」
 リートがそう言った瞬間、ルーツィアの顔がさっと緊張でこわった。
「それは、どういうことですか?」
 リートはまじまじとルーツィアを見た。
「……知らなかったの?」
 リートは前夜祭での出来事をかいつまんでルーツィアに話した。
「そうでしたか」
 話を聞き終えてから、ルーツィアが静かにそう言うと、リートはうつむいた。
「ごめん。ルイスが黙ってたなら、僕が言うべきじゃなかったのに……」
「いいえ。教えてくださってありがとうございます。でないとずっと知らないままでしたから。悪いのは、ルイス様に気を使わせているわたくしのほうです」
 そう言って目を伏せたルーツィアを、リートは探るように見た。
「でも、やっぱり心配でしょう? 僕はあんまりいい主人とは言えないし。何度か危険な目に遭ってるくせに勝手なことをして、ルイスを困らせてばかりだし」
 言いながら、リートは無意識に手を握りしめていた。
 ライナスのように、ルイスまで死んでしまったら、いったい自分はどうすればいいのだろう。ここにいるあいだはずっと部屋にもっているしかないかもしれない。
「いいえ。リート様。それは違います」
 ルーツィアは顔を上げ、真剣な表情でリートを見つめた。
「ルイス様はいつもリート様のことばかりお話しになるんです。あなたは礼儀正しくてとても心優しい方だと。最初はリート様が心を開いてくれないことにずいぶん悩んでいらっしゃいましたけど、絶対諦めるつもりはないとおっしゃって。このあいだは、リート様が信頼してくれるようになったとそれは嬉しそうにしていらっしゃいました」
 ルーツィアの話を聞きながら、リートは内心ろたえていた。
 まさか、ルイスがそんなふうに悩んでいたとは思わなかった。彼はいつだって迷わないし、正しい答えを導きだせる。なぜか勝手にそう思い込んでいた。
「わたくしが見るかぎり、ルイス様はリート様に会われる以前より、今のほうがずっと楽しそうにしていらっしゃいます。それなのに、なぜわたくしがリート様を悪く思うでしょう。どうかご自分のことをお責めにならないでください」
「……ありがとう、ルーツィア」
 リートは心が温かくなるのを感じたが、同時に自分はなにをやってるんだろうと思った。
 ルーツィアがこう言うことは、半ば予想できたことだった。
 彼女は控えめな性格なのに、正面切って糾弾するはずがない。
 そのことを自分は心のどこかでわかっていた。
(僕は自分が楽になりたいだけだったんだ。ルーツィアに許してほしかっただけだ)
 それからリートたちの話題はルイスのことに移った。
「二人が出会ったときのこと、ルイスから聞いたんだ。昔、したルイスを助けたって」
 リートがそう言うと、ルーツィアが微笑んでうなずいた。
「ええ。でもそのすぐあとに、またお会いする機会があったんです。わたくしは礼拝のために毎週教会に行くのですが、そこでまたルイス様にお会いしたのです。ルイス様はだれよりも真剣に祈っていて」
 それはリートも見たことがあったから、ルーツィアの気持ちがよくわかった。
「父を亡くしてから、わたくしは孤独でした。でも、ルイス様と会って話をするようになってから、わたくしはまた昔のように笑えるようになりました。一緒にいるだけで心が安らいで、穏やかな気持ちになれるんです」
 そう言って優しいまなざしで語るルーツィアを見ながら、リートは首を傾げた。
「好きってそういうものなのかな。僕にはまだよくわからない」
 小説をいろいろ読んだことはあったが、リートには登場人物の気持ちがいまいちどれもピンとこなかった。
「でも、ルイスとルーツィアは見ていていいなって思う。お互いのことが大切なんだって、そういう気持ちが伝わってくるから」
「わたくしは、人それぞれだと思います。愛し方は人によって違いますから」

 ルーツィアがお茶を換えに席に立ったので、リートは部屋の中をぐるりと見渡した。
 リートと同じ賓客待遇の部屋(自分の部屋のほうが豪華だったので、リートはなんだか申し訳ない気持ちになった)は、暖色を基調とした調度品でまとめられていた。 おそらく女性専用の部屋なのだろう。リートはエミリアらしい気遣いだと思った。
 ふとリートは、戸棚の上になにかが載っているのに気づいて、よく見ようと立ち上がった。それは、てのひらに載るほどの大きさのえんけいもののようだった。ふたの部分には薔薇ばらの彫刻が施されたカメオがまれ、周りは宝石で縁取られている。
 使われている色は白と水色のみだったが、それがルーツィアのせいな雰囲気によく似合っていた。
「オルゴールなんです」
 リートがじっと見ていると、戻ってきたルーツィアが説明してくれた。
「昔、ある人からもらったものなのですが、鍵をなくしてしまって」
 リートがもう一度オルゴールを見てみると、確かに正面には鍵穴がついていた。
「開かないの?」
 ルーツィアがうなずく。
「鍵穴から合い鍵を作ったら?」
 リートがそう言うと、ルーツィアは小さく首を振った。
「そうすればいいのかもしれませんが、わたくしにはできません。もし、開けてしまったら……」
 そう言ってルーツィアは、オルゴールを手に持ったままうつむいた。
 黙り込んでしまったルーツィアを見ながら、リートは首を傾げた。どうして彼女はただこれを持っているんだろう。鍵がなければ、ただの置物でしかないのに。
「でもそうですね。わたくしったら、自分で開けようだなんて、リート様に言われるまで考えたこともありませんでした」
 ルーツィアはそう言って微笑むと、オルゴールを大事そうにそっと手で包み込んだ。
「でもいいんです。持っているだけで。そうすればいつか……」
 ルーツィアはそう言いながら、窓の外に視線を向けた。
 リートは不思議な気持ちでルーツィアの横顔を見つめていた。
 そうすれば、いつか。
 リートはその先に続く言葉を知りたかったが、彼女が続きを言う前に、ドアをノックする音がした。
「ルーツィア、わたしだ」
 ルイスの声だ。ルーツィアはすばやく元あった場所にオルゴールを戻し、扉を開けた。
「リート、そろそろ部屋に戻らなくては」
「うん。今日はありがとう。また来るね、ルーツィア」
 リートがそう言うと、ルーツィアが淡く微笑んだ。
「はい、また」

「話はできたのか?」
 廊下を歩きながら、リートはルイスにうなずいた。
「うん。あのね、ルイス」
 リートはルーツィアのオルゴールを知っているかと訊ねようとしたが、言いかけてから、ルーツィアの表情を思い出して口を閉じた。
「どうした?」
 ルイスの青に金のこうさいが散った瞳が心配そうに揺れたのを見て、リートは急いで首を振った。
「ううん、なんでもない」
 そのことはなぜか、ルイスに言ってはいけない気がした。
 夢見るような、しかしそれがかなわないと知っているような、そんな目だった。
(そうすれば、いつか)
 いつか、なんだというのだろう。
 リートはしばらく考えを巡らせたが、部屋に着く頃にはもう忘れてしまっていた。