第19話 エミリアの憂鬱

「宴の日取りが来週に決定した」
「そう」
「行きたくないか?」
 リートはルイスに苦笑いしてみせた。
「人が大勢いるのは疲れるだろうなと思って」
「わたしも乗り気はしない。だが個人的にリートには出てほしいと思っている」
 そう言ってルイスはいつも以上に真剣な表情でリートを見つめた。いつもと様子が違うルイスにリートは若干たじろいだ。
「ど、どうして?」
「それは」
 ルイスが切り出そうとしたその瞬間、ノックの音がして勢いよく扉が開いた。
 いつものミモレ丈のドレスに、足首まである深靴ブーツを履いた姿のエミリアが入ってくる。
「おはよう、リート」
「返事をする前に入ってくるな、ミリィ」
 話が中断したせいもあって、ルイスが不機嫌そうに注意したが、エミリアはどこ吹く風で、リートの向かい側の椅子に腰掛けた。
「なあに? 男同士でわたしに聞かせられない話でもしてたの?」
「そんなわけないだろう」
 ルイスはすぐさま否定したが、そのあいだずっとエミリアから目をらしていたので、なにかを隠しているのがばればれだった。
 そんなルイスの様子を見て取って、エミリアがにやりと笑う。
「そう。なら、なにも問題はないわね」
 エミリアのあとに続いて侍女のレーネが静かに入室し、いつものようにてきぱきと茶の支度が調えられた。
 レーネが紅茶を注ぎ終えて後ろに下がると、エミリアが口を開いた。
「宴の日取りが決まった話はもうしたの?」
「していたら君が入ってきたんだ」
「……そう」
 さきほどとは打って変わり、エミリアは気のない調子でそれだけ言うと、おもむろにため息をついた。皿から取った菓子を摘まみ、すぐには口に入れず指先でもてあそぶ。
「……ゆううつだわ」
「どうしたの?」
 元気のないエミリアを見たのは初めてだったので、リートは心配になった。
「宴でミヒャエルと踊らなきゃいけなくなったの」
「ミヒャエル……ハーナル騎士団のミヒャエル・フォン・シェーンドルフか?」
 ルイスがそう言うと、エミリアがうなずいた。
「ええ。わたし、ミヒャエルと婚約することになったから」
「なんだと?」
「ああ、あなたにはまだ言ってなかったわね。正式に発表されるのはまだなんだけど、宴では一緒にいろと母に言われてしまったの」
「また決闘する気か?」
 ルイスが警戒した目つきで言うと、エミリアが吹き出した。
「しないわよ。もう決まったことだもの」
「決闘って?」
 リートがたずねると、ルイスはさっと目を逸らした。
「わたしはなにも説明しないぞ」
「じゃあわたしから言うわ。昔はほかの国や領邦からちらほら縁談があったんだけど、わたしが条件を出したの。決闘してわたしに勝ったら婚約成立。負けたら破談。単純明快でいいでしょう?」
「勝ったの?」
 リートが驚いて聞くと、エミリアが得意げに胸を張った。
「もちろん、全員負かしてやったわ」
「その言い方は正確じゃない。一度影武者が来たときに君は負けた」
「ああ、あれは面白かったわね。最終的に返り討ちにしたけど」
 その時のことを思い出して面白そうに笑うエミリアを、リートはまじまじと見つめた。彼女の剣の腕は相当なものだろうと思っていたが、まさか他国の王子たちに勝つほどとは思わなかった。
「まあ、そんな訳で、わたしは母に決められた国内の貴族と結婚することになったってわけ」
 ルイスがいぶかしげな表情でエミリアを見る。
「なぜ承諾したんだ? それでは今まで決闘してきた意味がないだろう」
「特別な理由はないわよ。ただ年貢の納め時かと思っただけ」
 納得できないという表情のルイスを置いておいて、エミリアがにっこり笑った。

「それでね、今度、僕のために宴を開くんだって」
 そう言ってから、リートはユーリエを見た。
 ゾフィーから会いに来てもいいという許可が出たので、リートはユーリエの仕事の邪魔にならないように、仕事が始まる前か、昼の休憩の時間にときどき会いに行っていた。
 あのあとユーリエの力はすぐに元に戻り、医官や官吏たちは日々の疲れによる一時的な力の減退だという結論を出したらしい。
 ルイスの言ったとおり、力が戻らなかった原因がリートにあったのかはよくわからないままだった。王宮ではリートはゾフィーと騒ぎを起こしただけだという扱いになっているようで、ルイスは事の成り行きに不満そうだったが、リートはべつにそんなことはどうでもよかった。
 自分が原因であるにせよないにせよ、力が元に戻ったのだから。そして、ユーリエとは前よりも話せるようになったのだから。
「僕は人が大勢いるところは苦手だから、できれば出たくなかったんだけど」
 そう言いながら、リートはため息をついた。昔から人の多い場所は苦手だった。楽しむどころか、ただそこにいるだけでも精神を消耗してしまう。しかも、片隅で大人しくしているだけではすまない。残念ながら自分は主役なのだ。
(主役、か)
 主役になるなんて、そうそうないことだ。
 幼い頃は、そんなことは考えなくても生きていけた。だが、リートは年齢を重ねるたびに、いつの間にか気づいてしまっていた。学校に通いはじめれば、いやでも気づかされる。自分より運動神経の良い人間、成績の良い人間、容姿の優れた人間、芸術の才能がある人間、人を率いることができる人間、話すのが達者でいつも人の輪の中心にいる人間――。自分はそのどれでもない。
 そんな彼らを差し置いて、自分は主役になれないし、主役になれる器でもない。いつも遠くから見ているだけの、取るに足らない存在なのだ。
 だがリートは、いまだにそんな自分を受け入れられずにいた。
「リート様?」
 ユーリエの声で、リートははっと我に返った。
「ごめん。考え事してた」
 気になると、相手を置き去りにして思考にふけってしまうのがリートの悪い癖だった。
 よくないことだとはわかっていたが、自分でも気がつかないうちに別世界に飛んでしまう。
「なにを考えていらしたのです?」
「うーん、僕は主役って柄じゃないよなぁって。ルイスもミリィ様もまさに主役って感じだけど、僕は地味すぎるよね」
 リートがそう言って自嘲ぎみに笑うと、ユーリエは首をかしげた。
「おっしゃる意味がわたしにはよくわかりませんが……リート様はわたしを助けてくださいました。わたしにとっては、主役のようでしたが?」
「そ、そうかな」
 あの時は必死で、そんなことはまったく考えていなかった。ただ腹が立っただけだし、それにひどく感情的だった。
 もう少し気の利いた方法で解決できれば格好よかったのに。
(主役だとしても、格好悪い主役だよ)
 面倒な事態はできれば避けたいし、とやかく言うのも言われるのも好きではない。ルイスやエミリアを見ているほうが楽しかった。
(……あれでよかったのかな)
 リートは先日のやりとりを思い出して、複雑な気分になった。
 メルヒオルが仲裁に入ってくれたからよかったものの、リートは結局、ゾフィーとはわかり合えないままだった。
 言いたいことは言ったが、自分のことはゾフィーにはよく思われていないに違いない。だが、ユーリエがどうしたいかを尊重するというリートの考え方は、今も変わっていなかったし、それだけは間違っていないと信じたかった。
「そういえば、ユーリエは宴には出ないの?」
 リートがふと気になって訊ねると、ユーリエがうなずいた。
「ヴォルヴァは宴に出ないのが慣例です。ヴォルヴァは俗世間のことに関わるべきではないと考えられていますから」
「そうなんだ。でも、慣例ってことは出てもかまわないんじゃ」
「わたしはまだ成人年齢ではありませんから」
 ああそうか、とリートは思った。こちらの世界では十六で成人なのだ。リートが自分の年齢を明かしたとき、エミリアとルイスにはずいぶん驚かれてしまったが、あれはリートが成人していると思われていなかったのも原因の一つだった。
 僕が出ても絶対場違いだよね。
 ルイスは普通にしていれば問題ないと言っていたが、そんなはずがない。
 たとえ天啓者という肩書きがあったとしても、子どもの自分が大人たちに混ざって宴に出るなんて、わざわざ恥をかきに出るようなものだ。どうにかして目立たないように乗りきらなければ。
 リートはそう決意を固めた。
「でも……」
「どうしたの?」
 リートは先を促したが、ユーリエは首を振った。
「いえ、なんでもありません」
「……そう」
 それきり沈黙してしまったユーリエに、リートはなんと言葉をかけていいかわからなかった。
 思っていることを口にするのは、ユーリエにはまだ難しいようだった。