第10話 夢とひらめき

 熱い。
 そう思いながら、シュンは一糸纏わぬ姿のメグに口づけていた。揺れる胸を寄せながら、メグが細くくびれた腰をシュンの昂りに擦りつけ、開いた脚をシュンの腰に回す。
 ああ、すごくいい。
 心地よいとうすい感が頭を支配して、なにも考えられない。
 シュンが胸の頂きを口に含み、優しく吸うと、メグが背中を反らして声をあげた。
「ああ……瞬」
 それを何度も繰り返しながら、シュンはメグの脚のあいだに手を伸ばし、指の腹で円を描くように感じやすい場所を触った。
 息を弾ませながらメグが囁く。
「もう来て、瞬……」
 言われるままシュンが身体を起こし、メグの前に坐ると、メグが脚を開いた。
 シュンは昂りの先端を入り口に充てがおうとしたが、そこで動きを止めた。
 なぜか、そうしてはいけない気がした。
「お願い……」
「でも……俺は」

 シュンはそこではっと目を覚ました。
 起きあがり、髪を掻きあげながらため息をつく。
(……なんて夢を見てるんだよ、俺は)
 起きているときに、そんなみだらな想像をしたことは一度もないのに。
 自分はそんなに欲求不満だったのだろうか。行動こそ監視されているものの、衣食住に関してはなにひとつ不自由のない暮らしをしているのに。
 この部屋がだれにも監視されていなくてよかったと、シュンは心から思った。
 あの男――ジーンに感謝するのは嫌だったが。
(あいつはこういうことで悩まないのかな……)
 つい、シュンはそんなことを考えてしまった。
 そもそも、子供が欲しいとしか思わないなら、こちらの人間は性別問わず、性欲自体が薄いのかもしれない。
(……それは羨ましいかも)
 どうせ性交渉をする相手がいないなら、性欲なんてあっても持て余すだけなのに。
 シュンはため息をつきながら、また枕にあおけに倒れ込んだ。
(しかし、なんであそこで躊躇するかな、俺は)
 どうせ夢なのだから、最後まですればいいのに──。
 そんなことを考えてしまい、シュンは自分の不純さに落ち込んだ。
(……夢だとしてもだめだろ、それは)
 彼女が欲しい。
 そう考えるのは、いけないことなのに。

 いや、欲求不満なわけじゃない。昨日メグと結婚や恋愛の話をしたからあんな夢を見たのだ。シュンは公園の中を歩きながらそう思い直した。
 公園には、部屋に置いてある姿見から直接出られるようにメグが細工をしてくれたのだが、シュンは運動不足に陥らないために、待ち合わせの時間より前に来て公園の中を歩くようにしていた。
 ジーンがメグがシュンの部屋を訪れることを禁止したので、あの日からメグとは公園でしか会っていない。どうせあの男は、部屋が監視されていないのをいいことに、自分がメグにらちな行為に及びかねないとでも思っているのだろう。
(するわけないだろ、婚約者がいるのに)
 そう突っこんでから、シュンははたと立ち止まった。
(……それは裏を返せば、婚約者がいなきゃしてるってこと?)
 夢で見た光景がよみがえり、シュンは両頬を思いきり叩いた。
(やめろ。そういうことは考えるな)
 だが、思い返してみれば、初めて会ったときから、自分は彼女の身体を性的な対象として見ていた。
(もしかして、それが好きってことなのか?)
 じんじんしはじめた頬をさすりながら、シュンは軽く失望した。
 だとしたら、フィクションの恋愛とずいぶん違う。欲望まみれでまったく美しくない。
 それなのに、なぜわざわざ美化して描く必要があるのだろう。
(いや、そうじゃなくて、恋愛したら勝手に美化してしまうものなのかも)
 最悪だ。そんなもの、周りから見ればきっと滑稽に違いないのに。
 それはそうとして、今まで深く考えたことはなかったが、彼女はいったい自分のことをどう思っているのだろう。
(探らなくていいからな)
 シュンはそう自分に釘を刺した。なにせ彼女は博愛主義者なのだ。探ったところでなにも出ない。
 しかし彼女は自分に会いたくて雨を降らせた。それはどういうことだろう?
(やめろ、変な期待なんかするな)
 彼女はきっと異世界人である自分のことを珍しがっているだけなのだ。
 そうだ、そうに決まっている。新しい玩具に夢中になっている子供と同じだ。彼女が飽きれば元の世界に戻れる。きっとそうなる。
 シュンはそう自分に言い聞かせ、早足でまた歩きだした。

(……早く来すぎた)
 シュンはベンチに坐ってため息をついた。
 違う。時間の調節を間違えただけだ。彼女に会うのが楽しみだったからじゃない。断じて違うはずだ。……たぶん。
「おはよう、瞬」
 どこからともなく現れたメグが、シュンに微笑みかけた。
 メグはいつもシュンの背後やすぐ隣に現れて驚かせようとするので、それはやめてくれと言ったのだ。
 今日の彼女は、水色のチェックのワンピースだった。裾はふわりと広がっていて、袖はパフスリーブになっている。
 すごく可愛い。いや、そうじゃなくて。
「……おはよう」
 シュンが視線を逸らしたまま挨拶を返すと、メグが首を傾げた。
「どうしたの? 変な顔」
 直球で言われ、シュンは口ごもった。
「ちょっと変な夢を見て」
「変な夢? どんな?」
 彼女と性交渉している夢だとは絶対に言えない。
(いや、最後まではしてなかったし! セーフだってセーフ。いや、やっぱりアウトかも……)
 脳内で葛藤を繰り広げる自分を無視して、シュンは答えた。
「べつに、つまらない夢だよ。納期に間に合わない夢とか、学校にいるときの夢とか」
 言いながら、シュンはちらりとメグを見た。
 最近は慣れてきたが、やっぱり彼女はきれいだと思った。髪は染めていないし、パーマも当てていない。ピアスやネックレスのような装飾品はおろか、たぶん化粧もしていない。でも、なぜかそういうことはまったく気にならなかった。むしろそういう要素は、彼女の魅力の邪魔になるような気がした。
 もともと、女性の容姿にはあまり関心がなかった。シュンとしては、自分と会話になるかどうかや、一緒にいて楽しいかどうかのほうが重要だったからだ。だが彼女のことはなぜかいろいろ気になってしまう。
 今まで異性と一緒にいても、こんなふうにはならなかったのに――。
「学校がつまらなかったの?」
「……うん」
「それはどうして?」
「さあ、なんでだろ。話し相手もいなかったし、授業を聞いてても、それが生きていく上で本当に大事なことだとは思えなかったから……かな」
 シュンが考えながら言うと、メグが首を傾げた。
「本当に大事なことって、なに?」
 問われてシュンは押し黙った。
 まただ。彼女に価値のあることとはなんなのかとかれたときも同じだった。大事なことだと思えない。自分にとっては大事じゃない。そこまではわかっているのに、なにが大事だとは答えられない。
 自分にとって価値のあること。生きていく上で大事なこと。
 いったいどうすればわかるようになる?
 シュンが考え込んでいると、メグがシュンの顔をのぞき込んだ。
「また考え事? わたしが質問すると、あなたはすぐに黙ってしまうのね」
「……君がそんな質問をするからだろ」
 顔を近づけられて内心動揺しながら、シュンはバツの悪い顔で言った。
 彼女の質問はいつも難しい。
「だって知りたいんだもの、あなたのこと」
 言われた直後、シュンは突然ジェットコースターで急降下したときのような、内臓が宙に浮く感覚を味わうはめになった。だんだん動悸が早くなる。
(言わないでくれ、そんなこと)
 知られたくない。自分の身体が無意識に彼女を求めていることを。口づけたいと思っていることを。触りたいと思っていることを。性的な欲望の対象にしていることを。
「……メグ」
「なに?」
「どうして君は俺に会いたかったの?」
(馬鹿、なんでそんなこといてるんだよ)
 少しでも彼女が自分に気があるのではないかという材料を探して、それでどうしようというのだろう。
 彼女には婚約者がいるのに。
 メグはしばらく黙っていたが、おもむろに口を開いた。
「……ときどきね、とても虚しくなることがあるの。わたしは願えばなんでもすぐに実現できてしまうから」
「そういうもの?」
 シュンにはその感覚が理解しがたかった。自分なんて、いつも願っても叶わないことばかりだ。メグの悩みは、シュンにはとてつもなくぜいたくに思えた。
 メグがうつむく。
「わかってるわ。自分がすごく贅沢なことを言ってるってこと。こっちでもなかなかわかってもらえないから。でもそう思ってしまうの。難しいと思うのは、建物を作るときくらい。でも、この世界は人口も少ないし、そんなにたくさん大きな建物や橋はいらないの。だからつまらなくて。それで違う世界に行ってみようと思ったの」
 そこでメグは言葉を切ると、シュンに微笑んだ。
「それであなたに出会った。でもあなたがなにを考えてるか読みづらいから、面白いと思ったの。あなたがここに来てから、わたしは毎日楽しくなった。無理やり連れてくることになって、申し訳ないとも思っているけど」
「それはまあ、もういいよ。しばらく仕事も休めてよかったし」
 シュンは心から言った。仕事をしなくていいというだけで、こんなに晴れやかな気持ちになれるとは思わなかった。やはり自分には、だれかの下で働くこと自体が向いていないのだろう。
(この快適な環境下で仕事ができたらいいのにな……)
 シュンはメグの声を聞きながら、ぼんやりそう思った。
「ここに来たときのあなたは怒ってたし、あまり喋ってくれなかったけど、だんだん今みたいに話してくれるようになった。そういうのがね、なんだかいいなと思ったの。もしかしたら、力を使わずにやることのほうが難しいし、やりがいがあるんじゃないかって……」
「それだ」
 シュンは無意識にメグの両肩を勢いよく掴んでいた。
「それだよメグ!」
 シュンが突然大声を出したので、メグは目をしばたたかせた。
「あ、ごめん」
 シュンは慌てて彼女の肩から手を下ろした。だが幸いなことに、今ので邪な気持ちはどこかに飛んでいってしまっていた。
「わかったよ」
「なにがわかったの?」
「新しいゲームの内容だよ」
 シュンは勢い込んで言った。
「そういう異世界から来たキャラクターと交流するんだ。プレイヤーは一定期間、そのキャラクターの面倒を毎日見ることになる。でも、こっちの世界にいるときは、人が愛情を注がないと死んでしまうんだ。嘘をついたり、ごまかしたり、無理やり従わせようとすると寿命が縮む。プレイヤーが試されるんだ。ずっとここにいたいと言わせたらクリアで、帰る期限が来るまでに相手がここにいたくないと言ったらゲームオーバー」
「ゲームオーバー?」
「最初から、全部やり直しってこと」
 連鎖的にアイディアが思い浮かびはじめ、シュンはメグに紙と鉛筆を出してもらってアイディアを書き留めた。
「ねえ、瞬」
「なに?」
 紙にペンを走らせながら、シュンはうわの空で返事した。今はあとで読み返してもわかるように、判読可能な文字を書くことで頭がいっぱいだった。
「さっきのわたしの話、聞いてた?」
「えっと……なんだっけ? ごめん、ちょっと今は話しかけないで。俺、話しながら同時にいろいろできないから……」
「わたし、結構いい話をしていたと思うんだけど……」
 そうぼやくメグの声を、シュンはもう聞いていなかった。

 部屋に帰ってから、シュンは寝台に寝転んで、手書きのメモを眺めていた。
 アイディアを思いついたはいいものの、ここにはコンピュータがない。あったとしても、この世界には電気が通っていないから使えない。
(頼んでも帰らせてくれるわけないよな……)
 これから君はずっと、我々の管理下で暮らすんだ。
 ジーンにはそう宣告された。
(まあ、そんなに困ってないしな……)
 もともと、恋人どころか親しい友人もいない。会社にだって行きたくなかった。
 向こうで気にかかるのは母のことだけだ。でも自分なんて、いてもいなくてもたいして変わらない。名ばかり正社員だし、いつも文句ばかり言っているし、周りにいる人間たちは自分の存在を持て余している。
 シュンがちらりとペンに視線をやると、ペンは勝手に飛びあがって自分の手の中に収まった。
(ここにいるほうがいいよな……それに、俺がいないと天気が大変なことになるらしいし)
 帰って人生ゲーム続行は嫌だ。母子家庭出身で、大学にも行っていない自分はスタート地点からして不利だし、頑張ったところでこれ以上の発展は望めない。
 自分には、死ぬまであとどれくらいの時間が残されているのだろう。
 なんのために払っているのかわからない税金や保険料を払い続けながら、真面目に働き続けたとしても、ある日事故や災害に見舞われれば、有事に備えていないおまえの責任だと切り捨てられる。自分の住んでいる国はそんな国だ。そんな場所で、死ぬまでにいったいなにができるだろう。
 でも今の自分にはやりたいことがある。形にしたいアイディアがある。
 ここにいるのは楽だ。でも自分のやりたいことはできない。やり残して死ぬのは嫌だ。
 そんなことを考えているうちに、シュンはいつのまにか眠っていた。