次の日も、シュンはずっとメグと一緒に過ごした。昼は前にやっていたように力を使ってゲームをして、飽きたらまたお互いの身体に触れて愛し合った。
彼女に気持ちを伝えるには、何度抱いても愛し足りない。そう思った。行為が終わったあとは、昔の話をいろいろした。だれにも打ち明けられずにいた気持ちを話したとき、身体よりもっと深い場所で繋がれた気がした。
処遇が決まったのは、こちらに来て三日が経過したときだった。
シュンが役所の指定された部屋に行くと、そこにはジーンが待っていた。
「君がこの世界に来られなかった原因は、我々管理者側にある。よって、君の要求通り、半年だけこの世界で彼女と暮らすことを許すことに決まった」
揉めるだろうと思っていたのに、あっさり決まって瞬は拍子抜けした。
「よくこんな短時間で結論が出たな」
「言っておくが、すべてはメグの幸せを考えてのことだ。君が彼女を利用して、この世界で横暴に振る舞うようなことがあれば、君は父親のように追放される」
「……わかってるよ」
もともと無理を言っているのは自分のほうだ。
けれど、自分の望みは彼女と一緒にいることだ。
それを叶えられるなら、不自由になってもかまわない。
向こうの世界だって、自由なようで不自由だった。自由を与えられてもなにをしていいかわからず、持て余し、結局他人の言うことを聞いていた。
「最初に君がここに来た一か月間、天気が急に変わることはなかった。今もそうだ。そのことが決め手になった」
「それはよかったけど……あの虹っていつ消えるの?」
シュンは気まずい気持ちでそう言った。
彼女と一緒に夜を過ごした翌日から、空にはずっと虹がかかっていた。
自分たちの仲が周りの人間に天気で判断できてしまうのは、ちょっと恥ずかしい。
(……治ったわけじゃないんだよな)
メグは今の自分を変えるためには、別の世界に行って、ある人間に出会わなければならないとは言われたが、それで症状がなくなると言われたわけではない。
たぶん彼女はこれからも、自分の体質とつき合っていかなければならないのだろう。
「さあな。君が彼女を怒らせるようなことをすれば消えるんじゃないのか?」
真顔でそんなことを言うジーンに、シュンは眉を下げてジーンを見た。
「……それ、冗談で言ってるんだよな?」
「君の好きにとってくれてかまわない」
ジーンはしれっとした顔で答えると、手の中に丸めた書類を出現させた。
「これが誓約書だ」
「……ありがとう」
今度はいったいどんな呪いがかかっているのだろうと思いながら、シュンは誓約書をジーンから受け取った。
この世界のことはだれにも言っていないが、誓約を破ったらどんな災いがふりかかるか未だに教えてもらっていない。一生知らずにいられたらいいのだが。
「記憶を消せばずっとこちらにいられるが、それはいいのか? そのほうがこちらとしても手間が省けるのだが」
「それもちょっとは考えたんだけど……向こうの世界を見捨てていくのは、なんか違うなって」
自分が育ったのは、この世界ではない。どんなにひどくても、嫌な思い出がだらけでも、その事実を変えることはできない。
「ずっと昔から思ってたよ。俺がいるべきなのは、こんなところじゃないって。でも、どんな場所に行っても欠点はあるから」
理想郷なんてどこにもない。
あるとすればそれはきっと、なにもかもが完璧に統制された世界なのだろう。
しかしすべてが完璧なら、なにも目指す必要はないし、進む必要もなくなってしまう。
「それに俺はもう子供じゃなくて、大人だから。ただゲームを作ってるだけじゃだめだと思ったんだ。俺は一応社会の一員で、そのことにうんざりすることのほうが多いけど……そのシステムに生かされてる以上、自分を取り巻いてる世界に無関心じゃいけないんだって。仕事して納税してはいおしまいじゃなくて、俺たち自身の力で、少しでも社会をマシなものに作り変えていかなきゃいけないんだって。……それが大人の責任だと思うから」
社会を作っているのは、政府でも企業ではなく、自分たち国民だ。
ならばきっと変えられる。いや、変えていかなければならない。
「こっちに住んでる人たちは、アイオーンに保護されなきゃ、爪弾きにされたりいじめられたりして、自殺してたかもしれない。生きてたとしても、ひどい暮らしをしてたかも。でも、俺はそうじゃないから。運良く生き残っただけなのかもしれないけど……俺はまだ、なにもかも諦めたくない。でもそのためには、まず俺自身が幸せでいることから始めようって、そう思ったんだ」
部屋に帰ると、メグが心配そうな表情でソファから立ちあがった。
「うまくいったよ、メグ」
シュンがそう言うと、メグがぱっと顔を輝かせた。
「ほんと? よかった」
「本当なら、母さんに君を紹介したかったんだけど」
「わたしも会いたかったわ。ごめんなさい、わたしのせいで」
うつむくメグに、シュンは首を振った。
「いいんだ。向こうにいても、君はいないのと同じことになっちゃうし」
住民登録できなければ、彼女は公共サービスを受けられない。
それに彼女のような優しい人間が、自分がいた世界で生きていくのは困難が多すぎる。 男の自分でさえつらいのだから、女性はもっと不利だろう。
移動するのは自分だけでいい。
「だからって、半年会えないあいだに浮気したらわかってるわよね、瞬」
圧の強い笑みを浮かべたメグに、シュンは顔を引きつらせた。
「……どこでそんな言葉を」
「テレビで言ってた」
彼女にはずっと可愛いままでいてほしい。
それが叶うかどうかは、自分の行動にかかっているとシュンは自分に言い聞かせた。
彼女が幸せでいられる世界は、きっと自分にとっても幸せな世界のはずだ。
……たぶん。
「瞬のお母さんって、どんな人なの?」
ちょっと考えてから、シュンは答えた。
「いい人だよ。好きなところも嫌いなところもあるけど……俺が世界で一番尊敬してる人」
なのにいつも、自分には愛される価値がないと思っていた。
愛してくれたのに、拒絶していた。そのくせ、母の言動に傷ついてもいた。
母だってひとりの人間なのだから、至らないところもある。
そのことを、ずっと受け入れられずにいた。
「それから、結婚しよう、めぐり」
メグが一瞬目を見開いてから、はにかむように笑う。
「ええ」
シュンは照れを隠そうと横を向いた。
「ええっと、こっちではどうすればいいのかな。俺の世界ではこういうとき男が指輪を贈るんだけど……うわ」
言葉の途中でシュンは、勢いよくメグに抱きつかれていた。
「なんでもいいから、お互いに同じ物を贈り合うのよ。時計とか首飾りとか。だからわたしもあなたに指輪をあげる」
「君もくれるの?」
「ええ」
向こうの世界では、指輪を贈る男はいても、彼女から指輪を貰える男なんて、ほとんどいないに違いない。
「……ありがとう」
シュンを抱きしめたまま、メグがまた口を開く。
「あのね、訊こうと思ってたことがあるの」
「なに?」
「あなたはどうやってこっちの世界に割って入ったの? あそこは強力な結界が張ってあるところだったのに」
シュンは少し考えてから、軽く片目を閉じてみせた。
「俺は君がいればなんだってできるし、どこにでも入れるんだよ、メグ」
メグは笑ってくれたが、ちょっと眉を上げてシュンを見た。
「瞬? 本当のことを教えて」
メグが引き下がる気配を見せないので、シュンは肩を竦めて答えた。
「実は、助けてくれた人がいたんだ」
シュンが地面に坐り込んでいると、突然だれかが目の前にかがみ込んだので、シュンは顔を上げてみて驚いた。そこにいたのは、いつも図書館で会う男だった。
男がシュンに手を差しだし、ほがらかに笑う。
「図書館以外で会うのは初めてだね、青年」
「……なんで」
男の手を取って立ちあがりながら、シュンは困惑していた。
これが偶然とは到底思えない。
「はい、これ舐めて」
男がシュンの手に載せたのは、ビー玉のような青くて透明な丸い物体だった。
「なんですか、これ」
「向こうの世界の飴。それから、と」
男がパチンと指を鳴らした瞬間、急に周囲の気温が一、二度下がった気がして、シュンははっと周りを見まわした。温度だけではない。空気の質感が明らかに違う。
「この中なら移動できるよ」
「……あなたいったい」
シュンが男をまじまじと見ると、男が片目をつむった。
「これも仕事でね。ほら、早くしないと間に合わなくなる」
なにに? とシュンが訊ねる前に、男は真剣な顔つきになって言った。
「行きなさい。ただし、向こうに着いてからは君次第だよ」
「……ありがとう」
「それで向こうの世界の飴をくれて、結界みたいなのを張ってくれたんだ」
シュンが説明を終えると、メグが目を見開いた。
「わたしたちの恩人じゃない。だれだったの?」
「それがわからないんだ。あえて向こうに残った人だったんだろうけど……」
彼はこれも仕事だと言っていたが、なんの仕事だったのだろう。
自分の世界には、人助けという職業はない。本当に人の助けになることは、残念ながら儲からない。いや、そもそも彼らは無報酬で仕事をするのだ。
また会ったらお礼をしないと。
そう思いながら、シュンは机のほうに視線を向けた。
抽斗が開き、そこから紙がひらりと飛び出して、シュンの手に収まった。
メグが横から覗きこむ。
「それはなに?」
「新しいステージの構想。昨日思いついたんだ。一対一の関係が安定したら、ほかのプレイヤーが世話してるキャラクターと交流できるようにするんだ。クラブとかチームを作ったり、ゲームをしたり、友達や伴侶を作ったり、職業についたり」
「それは素敵ね」
「それから、今はプレイヤーが尽くしてばかりだから、仲良くなったらキャラクターのほうからもいろいろしてくれるようにしようかなって。誕生日を祝ってくれたり、励ましてくれたり……」
「そうだ、瞬。もうひとつ訊きたかったことがあるんだけど……」
「なに?」
「Rita(リタ)ってどういう意味なの?」
「ああ、それか……」
シュンは苦笑いした。
どうして自分は、彼女に何度訊かれても教えたくないと思っていたのだろう。
「あれは君の名前から思いついたんだ」
「そうなの?」
「メグはこっちではマーガレットの愛称なんだけど、リタっていうのもあるんだ。それだったら、利他とかけられるなって」
「どういう意味?」
「人に利益を施して救済する。これは自分が癒やされるためじゃなくて、他人に尽くすゲームだから」
でも、自分はまるでわかっていなかった。
好感度を上げるために尽くしても仕方ない。利他的だと言いながら、自分はとても利己的だった。好かれるために愛情を注ぐわけじゃない。愛情を注ぐから好きだと思えるし、幸せを感じられるのだ。
「あんまりひねりがないかなぁと思ったんだけど、覚えやすいしいいかと思って……」
そう言いながらメグのほうを見て、シュンはぎょっとした。
「な、なんで泣いてるの?」
メグが鼻をすすり、目元を指で拭いながら言う。
「だって、あなたの大事なものにわたしの名前からつけるなんて……」
「大事だからだよ。このゲームは君と俺の合作みたいなものなんだから。君なしじゃ絶対成功しなかった」
「あなたはわたしがいなくても成功する運命だったわ」
「そうかもしれないけど、幸せそうに見えなかったんだろ? だったら、今が俺にとっての成功なんだよ。半年ごとに移動しなきゃいけなくて、大変だとしても」
直後、シュンはまたメグに抱きしめられていた。
「……愛してるわ、瞬」
そう言われても、もう戸惑ったりしない。
その言葉を口にできることが、奇跡のようなことだと知っているから。
「俺も愛してるよ、メグ」
「でも、ひとつだけ言っていい?」
「なに?」
「あなたがわたしを大事に思ってくれているのはわかったけど……すごくわかりにくいわ。これからは、さっきみたいにちゃんと言葉にして」
「ごめん……俺は君みたいに言葉で表現するのが苦手だから」
「なら、態度で表現して」
シュンは持っていた紙を抽斗に戻し、そっとメグの唇に口づけると、抱き上げてソファに降ろした。服の上から身体を触ると、メグがほっと息を漏らした。
こうやって、なんのためらいもなく彼女に触れられることが幸せだと思った。
本当はずっと前からわかっていたのに、ずっと戸惑ってばかりだった。
その力の強大さを恐れていた。彼女が持つ力以上に強力な、引き合う力に。
「なんで今回は名前を隠してたの?」
「あなたに名前で呼ばれると、泣きそうになるから」
「俺は呼ばないほうがいい?」
シュンはメグを見つめたまま言った。
彼女を拒絶し続けた自分はいつも、めぐりと名前で呼んでいた。
その時のことを思い出して、彼女がつらい気持ちになるなら。
メグは一瞬驚いたように動きを止めたが、すぐに微笑んで言った。
「あなたの好きなときに呼んで」
「君がそれでいいならそうする」
そう言うと、シュンは今度は深くメグに口づけた。
口づけを交わしながら、シュンはあの男の言ったことを思い出していた。
ああ本当に、今なら思える。
愛するって、こんなに簡単なことだったんだと。
