「結局、今回の件はディートリヒが爆破の犯人で、それに気づいたイェンスが口封じのために殺されたということになった」
ミヒャエルが復帰し、リートの部屋にはいつもの四人が集まっていた。
「ブロスフェルト卿はハーナルの担当からは外れたけれど、それ以外はお咎めなし。ついでにベギールデも。お父様に抗議したけど、わたしも勝手に動いた手前どうしようもないって言われたわ」
摘まんだ菓子を片手に、エミリアが悔しそうに言う。
「でも、ルイスたちはイェンスが殺された部屋を見たんでしょう?」
リートがそう言うと、ミヒャエルが首を振る。
「殺されたかもしれない部屋だ。もう一度あそこにアルフォンスたちと行ってみたが、中は綺麗さっぱり片づけられたあとで、なにも残っていなかった。まるで、劇団が引き上げたあとの舞台さながらだったよ」
リートは考え込んだ。ミヒャエルが潜入することをベギールデはあらかじめ知っていたのだから、二人にわざわざ犯行現場を見せたことになる。よほど捕まらない自信があるのだろうか。
「よかったことといえば、王権派がしばらく大人しくしてることくらいかしらね。メルヒオルを失脚させるつもりが、身内の中に犯人がいたんだもの」
「この筋書きで事を収めたのは王権派だからな」
エミリアとミヒャエルの話を、瞼を閉じて聞いていたルイスが腕を組む。
「気に入らないな、なにもかも」
「気に入らないけど仕方ないわ。あなたたちが殺されなかっただけ幸運だと思わないと」
エミリアの言葉に思わずリートはうなずいてしまった。
エミリアの立ち回りがなければ、ミヒャエルは失脚し、真相を追及することは不可能だっただろう。
「だが、爆破事件についてはなにも解決していない。すべては」
「ベギールデね。彼らの正体を解明しないかぎり、真相はなにもわからない」
エミリアがあとを引き取ると、ミヒャエルがうなずいた。
「そういうことだ。嵌められたわたしが言うのもなんだが、爆破事件といい、今回の事といい、敵が用意周到すぎる。到底ディートリヒ一人の力では無理だ」
そう言ってミヒャエルはお手上げだという様子でため息をついた。
リートは、珍しいと思いながらその様子を見ていた。彼はどんな時でも余裕ありげな態度を崩さない。今の物憂げな表情も、嫌味なくらい絵になってはいたが。
「なんとも不気味な組織だ。いや、そもそも組織なのかもよくわからない。わざわざ犯行現場をわたしたちに見せて、これ見よがしにイェンスの短剣を置いておくなんて――ディートリヒが捕まろうと一向にかまわないということだからな」
「教祖に関する情報はないの?」
エミリアが訊ねると、ミヒャエルが答えた。
「ブロスフェルト卿の話では、ディートリヒが言っていたあの方というのはアルベリヒという男らしい。物腰の上品な三十代くらいの男だそうだ。特徴は、両目が内側に寄っていること。内斜視というやつだな」
その言葉を聞いた瞬間、リートは唐突に思い出した。
記憶の中の男がリートに上品に微笑む。
その目は内側に寄っていて、どこを見ているのかわからなかった。
心臓が痛いほど音を立てていた。
「僕、その人に会った……」
リートがそう言うと、三人が一斉にリートのほうを見た。
「なに?」
「本当なの?」
驚くルイスとエミリアの横で、ミヒャエルが真剣な表情になる。
「話してくれ、リート」
リートが三人にアルベリヒが大聖堂に忘れた教典を届けたことを説明すると、ミヒャエルが厳しい顔になった。
「やはり偶然じゃないな」
「最初から尾行されていたのね。その情報をブロスフェルト卿から聞いていたんだわ」
「しかし、こんな大掛かりなことをして、犯人の目的はいったいなんなんだ?」
ルイスの問いに、リートは考えながら答えた。
「それは、たぶんリヒトを否定したいんだと思う。あの幹部の話を聞いたかぎり、そんな感じがしたから」
自分で言いながら、リートは理路整然と説明できない自分が歯痒くなった。
だが、今の時点ではそんな感じとしか言いようがない。
「そうだとしても、犯罪の証拠がなければ、わたしたちは動けない。今の団長は憶測で動く人間じゃないからな」
「うん、そうだよね」
リートはうなずきながら自分に言い聞かせた。憶測だけで逮捕するわけにはいかない。犯人を捕まえるためには物的証拠がいる。それはわかっているのだが。
「でも、リートはすごかったのよ。あの幹部と議論してやっつけちゃったんだから。普段はあまり話さないのに、まるで別人みたいだったわ」
「なにを言ってるんだミリィ、リートはきちんと勉強しているし、論理立てて話のできる人間だぞ」
ルイスにそんなふうに言われて、リートは狼狽えた。
「そんなことないよ、僕はただ思ったことを言っただけだし」
ルイスが自分のことをそんなふうに評価していたなんて、リートには予想外だった。
エミリアが咎めるような視線をルイスに向ける。
「なんであなたはそういうことをもっと早くリートに言ってあげないのよ。あなたがなにも言わないから、リートは自分に自信を持てないんじゃない」
「宗教史の知識くらいだれでも持っているだろう?」
ルイスが不思議そうな顔で言うと、エミリアがため息をついた。
「これだから無駄に記憶力がいい人間って……」
「君たちは本当に仲がいいな」
ミヒャエルがルイスとエミリアを見比べながら、にこやかな表情を浮かべて言うと、二人はすぐに言い争うのをやめた。
ルイスが不服そうな顔をしている横で、エミリアはルイスとは目を合わせないようにしていた。
ミヒャエルがリートに微笑む。
「君は自分のいいところにまったく気づいていないんだな。わたしが王権派と神聖派の説明をしたとき、君の質問は本質を突いていた。わたしが解説しなくても、王権派も神聖派もたいして変わらないと君は見抜いていた」
「……褒めすぎだよ」
リートはうつむいてそう言った。
自分はミヒャエルのように、自分の能力を仕事に生かすことができて、人間関係もそつなくこなすことのできる人間ではない。
いつも考えているだけで行動が遅くて、人づき合いも会話も下手で、なにもできない。それが自分だった。
「これが役に立ったことってほとんどないんだよね。いつも人を不愉快な気持ちにさせるみたいで、両親にも怒られるし、相手が言ってることの矛盾ばっかり気になってだれとも会話にならなくて……」
「鋭すぎるのもなかなか大変なのね」
エミリアにしみじみとした口調でそう言われ、リートは曖昧に笑った。
鋭いと言われても、リートはピンとこなかった。べつにいつも鋭いことを言おうとしているわけではない。ただ、いつも思ったことを言っているだけだ。だが、なぜか人にはそのことをなかなか理解してもらえなかった。
そういうことが続いたせいで、リートはだれかと話すことも解り合おうとすることもやめて、自分の中に閉じこもるようになった。
できるなら、リートは普通になりたかった。
目の前の出来事に一喜一憂できるような、普通の人間に。
「とにかく、爆破の犯人を見つけることが先決ね」
「ああ、それならハーナルが動いてるところだ」
ミヒャエルが机の上に書類を投げる。
「ノルベルト・エプシュタイン。本部の記録にはなかったが、支部に記録が残っていた。犯歴はないが、何度か隣人に通報されていた」
「この男が爆破の仕掛けを?」
ルイスがミヒャエルに鋭い視線を向ける。
「わたしも団長もそう睨んでる。記録にある住所を捜索したが、数年帰った形跡がなく、今は行方知れずだ。部屋の中は怪しい実験器具だらけだった。もうすぐ降臨祭だから、国としてはそれまでに解決したいんだろうが……向こうもハーナルがノルベルトに目をつけることは予想しているはずだ。先回りされて消されないといいんだが」
「降臨祭って?」
リートが訊ねると、ルイスが即座に答えた。
「リヒトがこの地に降臨し、ヴォルヴァを介して初代女王アーデルハイトと契約を取り交わしたことを祝う祭りだ」
「ってことは、建国を祝うお祭り?」
リートがそう言うと、エミリアが首を振った。
「とは違うのよね。降臨祭は宗教的な意味合いが強い行事なの。だから王権派はいい顔をしなくてね。でも、建国当時から行われてきたお祭りだから、国民は大々的に祝うのよ。ゾフィーに言わせれば、降臨祭は世俗的な行事で、建国記念日は国家的な行事ってことらしいわ」
エミリアがそんなことを言うのは意外だったので、リートが目を丸くしていると、エミリアが片目をつむった。
「こう見えても、剣を振り回してるだけじゃなくて、ちゃんと勉強もしてるのよ」
「威張るなミリィ、王族なら知っていて当然の知識だ。それよりも君は、ゾフィー殿の授業に欠かさず出るべきだ」
ルイスがすかさず言うと、エミリアはそっぽを向いた。
「いやよ。知識だけならいいけど、ゾフィーはすぐにつまらない話を始めるんだもの。君主たる者はこうあるべき――そういうお説教はたくさん」
ルイスが反論しようとまた口を開きかけたが、ミヒャエルがそれを遮った。
「話が逸れているぞ、二人とも。降臨祭の話だろう」
エミリアが気を取り直して話を続ける。
「そう、それで降臨祭のあいだは一週間祝日になるんだけど、前夜祭の日の夕方にユストゥスとエヴェリーンっていう歌劇を王宮の庭でやるの」
「ユストゥスとエヴェリーン?」
リートが繰り返すと、ミヒャエルが説明してくれた。
「ヴォルヴァと騎士の禁じられた恋を描いた物語だ。元は戯曲なんだが、それを作曲家が歌劇にして広く世間に知られるようになった。話は一緒だが、演出家によって毎年解釈が変わる。だから毎回見応えがあるんだ」
エミリアが笑顔でリートを見る。
「一緒に見ましょうね、リート」
「え、でも……」
「あなたは王族と同じ貴賓席で見るに決まってるでしょう。あなたもよ、ミヒャエル」
エミリアはそう言うと、ミヒャエルににやりと笑いかけた。
「母は絶対あなたを呼ぶわ」
ミヒャエルが優雅な微笑みでそれに応じる。
「それは光栄だ」
「わたしたちの所にいれば警備は万全よ。というわけで、あなたはお役御免なんじゃないかしら」
そう言いながら、エミリアがちらりとルイスのほうを見ると、ルイスが憮然とした表情になった。
「君はそうまでしてわたしを除け者にしたいのか」
エミリアが意味ありげに口元を上げる。
「鈍いわね。わたしはルーツィアを誘えって言ってるのよ」
「彼女は人の多い場所に行きたがらない。それに……」
そう言葉を続けたルイスの瞳がふと翳った。
「最近、ルーツィアは元気がない」
「なら尚更誘わなきゃ」
勢い込むエミリアの横から、ミヒャエルが口を挟む。
「エミリア、ルイスはリートの騎士だ。ここはリートが決めるべきだろう」
「それもそうね」
「そんなの決まってるよ。ルイスにはいつも助けてもらってばかりだし」
リートがそう言うと、ルイスは少し慌てた表情になった。
「それはわたしの仕事だから、当然のことだ。君がそんなに気を使わなくても――」
「よかったわね、リートが話のわかる人間で」
エミリアがそこで話を強引に打ち切ってしまったので、ルイスは反論する機会を失ってしまった。だが、きまりの悪い表情をしていても、ルイスはそれ以上追及しようとしなかったので、内心は嬉しかったのかもしれない。リートはそう思うことにした。
それから、話題は劇の配役に移った。
「今年ユストゥス役をやるローデリヒは、とっても格好良くて演技力もあるし、素敵な声なのよ。母は彼に夢中で、暇さえあれば劇場に観に行ってるわ」
「確か一昨年はゴットフリート役だったな」
ルイスがそう言うと、エミリアがうなずく。
「そう。でもわたしは今年ゴットフリート役をやるベネディクトのほうが好きね」
「ゴットフリートって?」
「劇に出てくる王子の名前だ。エヴェリーンを愛していたが、葛藤の末に父親に命じられるまま、貴族の娘フリーデリケと結婚してしまう」
ミヒャエルがリートに説明すると、エミリアが肩を竦めた。
「ひどい男よね」
「大抵の男は愛より権力を選ぶ」
「あら、らしくないことを言うのね。あなたの愛好者が聞いたらがっかりするわよ」
「一般論さ」
二人の会話を聞きながら、リートはふとユーリエのことが頭をよぎった。
彼女は毎年祝祭日をどう過ごしているのだろう。
そう思っていると、ふと視線を感じてリートは顔を上げた。エミリアが自分の顔を覗き込んでいた。
「どうしたの、リート。浮かない顔をして」
「ユーリエは劇を観たことがあるのかなと思って」
リートがそう言うと、エミリアが考えながら答えた。
「そうね。前夜祭と本祭では儀式が行われるから暇じゃないし……あのゾフィーのことだから、今までも観劇は禁止だったんじゃない?」
そうだろうなとリートは思った。ゾフィーが恋愛模様を描いた劇を見せることを許可するとは思えない。エミリアがいたずらっぽく笑う。
「一緒に見たかった?」
エミリアに対抗すべく、リートはなんとか平静を装った。
ここで動揺を見せてはエミリアの思う壺だ。
「僕はただ、ユーリエが見たいと思ってるなら、見せてあげたいなと思って」
「それだけ?」
「それだけだよ」
つついても無駄だと判断したのか、エミリアはそれ以上なにも言わなかった。
「そう。なら、メルヒオルに頼んでみるといいわ。ユーリエを誘うのはそれからね」
「うん、頼んでみるよ」
エミリアとミヒャエルが帰ってから、リートは気になっていたことをルイスに訊ねた。
「ルイス、ルーツィアに元気がないって本当?」
「ああ。宴の直後からだ。彼女はなんでもないと言うんだが……」
あの日なにがあったか思い出そうとして、リートは記憶を辿った。
あの日は、初めてルイスからルーツィアを紹介されて挨拶をした。
(それってつまり――僕と会ってから?)
だとしたらどうすればいいんだとリートは狼狽えた。ルイスが首を傾げる。
「リート? どうしたんだ」
「な、なんでもないよ」
リートは慌てて考えを打ち消した。いくらなんでもそれは自意識過剰だ。
だが、リートの騎士になってから、ルイスが何度も危ない目に遭っているのは確かだった。
それはつまり、自分も危険な目に遭っているということだ。
接触を図ってきたベギールデの長だという斜視の男。漏れている情報。
ルイスは過保護だと思っていたが、そうも言っていられなくなってきた。これでは当分王宮の外には出られそうもないなと、リートは思った。
