「聴取の内容はおまえが記録してくれ。おまえのことだから、速記もできるんだろう?」
庁舎に戻ったミヒャエルがルイスにそう言うと、ルイスが怪訝な表情になった。
「できるが、おまえの部下はアルフォンスだろう。頼めない理由でもあるのか?」
ミヒャエルはうんざりした気持ちになった。
なぜいつもルイスは、無自覚に自分の急所ばかり突いてくるのだろう。しかも、自分がまったく構えていないときにかぎって。
アルフォンスとはガブリエレのことで話をしてから、ずっと事務的な会話しかしていなかった。自分のような人間は、部下に慕われる資格がない。ミヒャエルはそう思っていた。
答えないミヒャエルに、ルイスが眉を上げた。
「アルフォンスと話したくないから、わたしを代わりに使っていたのか?」
「悪いか? わたしはもともとこういう人間だ」
苛立たしい気持ちを隠せず、ミヒャエルは突き放すように言った。
きっと、手元に置いて嫌がらせをしてやろうと思った自分が馬鹿だったのだ。
ルイスはそんなつまらない悪意に引っかかる人間ではない。
それはわかっていたはずだったのに。
「……べつに悪いとは言っていない。悪いと思っているのは、おまえのほうじゃないのか」
そう言って、ルイスは青に金色の虹彩が散った瞳をまっすぐにミヒャエルに向けた。 瞳に映った自分の姿から目を背け、ミヒャエルはつぶやくように言った。
「……だからわたしはおまえが嫌いだよ、ルイス」
ルイスの瞳が一瞬揺らいだが、すぐにまた元に戻った。
「……安心しろ。わたしもおまえが嫌いだ」
ミヒャエルはルイスを伴って聴取室に入った。
青年は椅子に坐り、腕を組んで瞼を閉じていた。二人が入室しても、青年は身じろぎひとつしなかった。
「君の氏名と住所を教えてくれ」
しかし青年はその問いに答えず、ミヒャエルを静かに見つめた。
「言ったはずだ。俺を王に会わせろと。それ以外のことは、だれにもなにも話すつもりはない」
ミヒャエルは呆れた。この男は自分がなにを言っているかわかっているのだろうか。
「身元不明の人間が国王に会えるはずもないだろう。本当にそれがおまえの目的だというなら、高位の貴族か王族でも人質に取って、脅すくらいはしないとな」
「俺はそんな卑怯な真似はしない」
「なら、人を殺そうとするのはいいのか? 本来ならおまえは不法侵入だけではなく、殺人でも逮捕されていたんだぞ」
幸いユーリエがいたおかげで、ルイスもリートも死ななかったが、それは結果論にすぎない。ミヒャエルはそう考えていた。
しかし、男は冷静な表情のまま、ミヒャエルの瞳をまっすぐに見つめ返した。
「自分のしたことを正当化するつもりはない」
表情には出さなかったが、男の言葉にミヒャエルは内心驚いていた。
仕事柄、ミヒャエルはさまざまな犯罪者を見てきた。
量刑を軽くしてもらうために事実をすべて話さない者、同情心に訴えようと言い訳を並べ立てる者、自分はやっていないとひたすら否認する者、開き直って嬉々として自分のやったことを語る者、一切黙秘を貫く者――。
しかし、この男はミヒャエルが会ったどの犯罪者とも違っていた。
「……潔いのは結構だが、それなら身元も明らかにしてほしいものだな」
それでもミヒャエルは態度を変えるつもりはなかった。一瞬、この態度にはなにか深い事情があるのかもしれないなどと思った自分を叱咤する。
――冷徹でいなければ。ミヒャエルはそう自分に言い聞かせた。
この男は犯罪者だ。いくら潔い態度を見せようが、腹の中ではなにを考えているのかわかったものではない。ミヒャエルは、この男は目的のためなら手段を選ばない性質の人間だと直観していた。現に、この男はルイスを刺している。
男がまた黙ってしまったので、ミヒャエルは内心でため息をついた。
理屈の通じない、頑なな人間と会話をするのはルイスでかなり慣れたと思っていたが、この男はそれを上回る頑固さだ。
「わたしはおまえがわざと狂ったふりをしてると思ってる。そうすれば、裁判に持ち込んだとき有利だからな」
ミヒャエルは、いつもルイスにやるようにあえて馬鹿にした口調で言ったが、青年はミヒャエルの挑発に応じなかった。
「俺がまともなのか狂っているかを、俺自身の手で証明するのは不可能だ。それを判断するのはおまえの仕事だろう」
ミヒャエルは黙り込んだ。
彼の言うとおりだった。しかし、皮肉にもその言葉こそが、この男が正常であることの証しであるようにミヒャエルには思えた。
こんなことを言える人間が狂っているとは思えない。
「だが、おまえはわたしになにも言うつもりはないと言った。それではここから解放されないぞ」
「かまわない。どこにいようと同じだ。俺はずっと囚われの身だからな」
相変わらず淡々とした青年の言葉に、ミヒャエルは眉をひそめた。
「それはなにかの比喩か?」
「いや、事実だ」
それから青年は再び瞼を閉じ、黙り込んでしまった。
これ以上続けても埒が明かない。そう思ったミヒャエルは、いったん聴取を切り上げることにした。
二人が席を立ったとき、青年が不意にルイスのほうを見て言った。
「君はあのヴォルヴァに傷を治してもらったのか?」
「ああ」
ルイスが硬い表情でうなずくと、青年はふっと視線をうつむけた。
「……そうか」
青年はそれだけ言うと、また黙ってしまった。
部屋を出たあと、ルイスがミヒャエルに話しかけた。
「彼はこのままなのか?」
「ああ。調書が作成できなければ、司法省に身柄を引き渡せないからな」
ミヒャエルはそう答え、先ほどのやりとりを反芻した。
(どこにいようと同じだ。俺はずっと囚われの身だからな)
あの男はなぜあんな表現をしたのだろう。そのことが、ミヒャエルの頭の片隅にいつまでも引っかかっていた。
青年の態度は次の日も同じだった。
彼は王に会わせてくれないかぎり、自分のことはなにも話すつもりはないと言い張り、あとの質問には黙秘を貫いた。
ルイスは昨日と同じようにミヒャエルと共に取調室を出たが、廊下に出た途端、驚いて足を止めた。
「ヴェルナー」
そこには、いつも通り気軽な笑みを浮かべたヴェルナーが立っていた。
「久しぶりですね、ルイス様」
先に行っていると言い残して、ミヒャエルはさっさと行ってしまった。
取り残されたルイスは、なにを話していいかわからず黙っていた。
ルイスがヴェルナーと話すのは、彼が自分に真っ向から言い返したとき以来だった。
まさか、ヴェルナーにあんなことを言われるとはルイスは夢にも思っていなかった。
ヴェルナーは文句こそ多いが、いつも自分の味方だった。
しかし、ルイスの葛藤をよそに、ヴェルナーはルイスの姿を上から下までさっと見たあとで、口元を上げ、いつものように気軽な調子で言った。
「……その制服、似合ってませんね」
数分後、二人は庁舎の中庭にある長椅子に並んで坐っていた。
ルイスは改めて自分の格好を見下ろしてみた。
ミヒャエルに着ろと言われて仕方なく着ていたが、特段変だとは思わなかった。色が違うだけで、制服の形はソリンのものとたいして変わりはない。そもそも制服というものは、万人に似合うようにあえて無個性に作られているのではないだろうか。
「そんなに変か?」
ルイスが訊ねると、ヴェルナーがからりと笑った。
「そういう意味じゃないですよ。あなたにはもっと似合う服があるでしょう」
その言葉で、ルイスはヴェルナーが言いたかったことを悟った。
だが、今の自分がソリンの制服を着るのに相応しい人間だとは到底思えなかった。
「せっかくだから、俺もミヒャエル様に雇ってもらって着ようかな。俺もあなたと同じようなものですし」
「どういう意味だ?」
「辞任したんです。メルヒオル様にはべつにいいって言われたんですけど、最初から覚悟してましたから」
「……そうか」
だからヴェルナーはあそこまで強気だったのだとルイスは納得した。
自分に言われるまでもなく、彼はとっくにわかっていたのだ。
「リート様をお守りするのは大変ですね」
ヴェルナーはしみじみとした口調で言った。
「やってみてよくわかりました。リート様の意思を尊重したら全然守れないし、かといって閉じ込めるわけにもいかないし……」
確かにそうだとルイスは思った。
リートを守るのは難しい。
最初の頃は、メルヒオルの方針通り、会う人間や情報に制限を加えていたが、リートはそれを嫌がってミヒャエルについていってしまった。
しかし、リートが興味を示す大半のことは危険と隣り合わせだった。
その上、知りたいことのためなら、リートは目の前のなにもかもが疎かになってしまう。生活習慣を無視してのめり込み、四六時中なにかを考えて一日を過ごす。
リートはそんなふうに生きている。
「俺はこういうのはどうも向いてないみたいです。ルイス様は、よくもったほうだったんですよ、きっと」
「一か月もたなかったおまえに言われても説得力がないし、嬉しくない」
「……ひどいな」
ヴェルナーは苦笑いしたが、すぐに気を取り直したようにまた口を開いた。
「ミヒャエル様が聖殿に侵入した犯人を捕まえたそうですね。ハーナルの手柄になって、ソリンじゃ皆残念がってます。ベギールデの件に関しては、俺たちは完全に蚊帳の外ですから」
「そうか」
「俺も残念です。ルイス様の仇を討ちたかったのに」
「そういう考え方はよせ、ヴェルナー。犯人が捕まったんだから、それでいいだろう」
ルイスが鋭く言うと、ヴェルナーは口を閉じてしばらく沈黙していたが、ふっと息を吐いた。
「ねえ、ルイス様。ちょっとだけ、らしくないこと言っていいですか?」
ルイスが返事をしないうちに、ヴェルナーはもう話しだしていた。
「俺はね、昔からなににも必死になれない人間なんですよ。軍に入ったのだって、身体能力に自信があったからってだけの理由ですし。仕事でもなんでも、必死になる奴はみんな馬鹿だと思ってました。……あなたに会うまでは」
そう言って、ヴェルナーがルイスのほうを見てふっと微笑んだ。
「こんな世界、つまらないしくだらないと思っていたけど、あなたに出会ってからは楽しかった。あなたといると、予想外のことばかり起きて飽きないし、つまらない自分にも価値があるように思えて――でも、そうやって逃げてたんです。本当は、俺自身がつまらない人間なんだって、認めたくなかった。俺ってそんな奴なんですよ」
ヴェルナーはそう言って、自嘲ぎみに笑った。
「俺は、なにかに必死になれることがある人間が羨ましかったんです。口では馬鹿にしてたけど、本当はライナスが羨ましかった。あいつは自分に自信がなかったみたいだけど、いつも一生懸命で、俺から見たらじゅうぶん輝いてた」
ルイスは話を聞きながら、内心驚いていた。ヴェルナーは嫉妬や羨望といった感情とはまったく無縁の人間だと思っていた。
「ライナスが死んでから悩んでたんです。あいつみたいに真剣に生きてない、いいかげんな俺がソリンにいていいのかなって。でも、リート様の騎士をやってみて、やっぱり俺って危険なことが好きで、予想外のことが起きたらそれを面白がっちゃう性格で……それはルイス様がいなくても変わらないんだって思ったんですよ。だから俺みたいな性格でも、それで結果的に助かる人がいるならそれでいいかなって。まあ、ルイス様はそういう考え方は気に入らないと思いますけど……」
「おまえがそう思ったならそうすればいい。仕事に支障が出ないなら、わたしは他人の事情に口を挟むつもりはない」
ルイスがそう言うと、ヴェルナーがはにかむように笑った。
「あなたならそう言うと思いました。だからこれまで通り、いろいろ言われても好きにさせていただきます」
「始業ぎりぎりに来るのを直す気はないのか」
「それについては善処します。って、そんなことはいいんですよ。あーもう、自分語りなんて恥ずかしいことをする予定じゃなかったのに」
ヴェルナーは椅子から身軽な動作で立ち上がると、ルイスを真剣な表情で見つめた。
「俺が言いたかったのは、今のあなたはらしくないってことです。俺やライナスが知ってるあなたは、ちゃんとしてるのに馬鹿で、でもただの馬鹿なんじゃなくて……真剣に馬鹿なことをやってるから、俺たちはあなたと一緒にいたんです」
「……おまえの言っている意味がよくわからないんだが」
ルイスが困惑しながら言うと、ヴェルナーがふふっと笑った。
「いいんですよ、わからなくて。俺たちが勝手にそう思ってるだけですから」
