第3話 雨上がりの街で

 歩きながら、シュンはため息をつきたい気分だった。
(女の人に街を案内するって、あの有名な映画じゃあるまいし)
 とある国の王女が公務で訪れた滞在先を抜けだし、お忍びで街を散策して、案内してくれた男性と恋に落ちる。そんな一日を描いたロマンス映画。
 しかし、その相手役が自分なのはいただけない。
(実際にやるより見てるほうがいいよ……)
 自分では絵にならない。そしてヒロインの相手役が務まるような器でもない。
 だいたい、この街には観光名所になるような場所がどこにもない。
 シュンが住んでいる地方都市は、車がなくても困らない程度には都会で、電車に乗れば二十分程度で都心に出られるが、利点はそれくらいしかなかった。
 海も山もなく、風光明媚ふうこうめいびには程遠い。街中にはグループ会社が運営する量販店、スーパー、ファミレス、ファーストフード店、コンビニなどが並び、商店街はとうの昔につぶれてしまっている。地域の特色などなにもない。
 そう思いつつも、いつもと同じ街並みのはずなのに、シュンは彼女が隣にいるだけで、心なしか景色が鮮やかに見える気がした。
 そんなことを考えてしまって、シュンは思わず顔をしかめた。
(浮かれすぎだろ、俺)
「ねえ、あれはなに?」
 シュンは女性が指差している方向を見た。
 彼女が指差していたのは小さな屋台だった。赤地の布に、黒字でたい焼きという文字が大きく書かれている。雨が止んだので、営業を再開したらしい。
「鯛焼きを売ってる店だよ」
 シュンがそう説明すると、女性が首を傾げた。
「鯛を丸ごと焼くの?」
 シュンは笑いだしそうになるのをどうにかこらえた。
 どうやら、彼女のいる世界に鯛焼きは存在しないらしい。
「そうじゃなくて、そういうお菓子なんだ」
 シュンが鯛焼きを二つ買って片方を女性に渡すと、女性は興味深げに鯛焼きを観察しはじめた。
「ほんとに鯛の形をしてるのね。お菓子なのに、わざわざ魚の形に似せて焼くなんて、変なの」
「最初はいろいろな形があったんだ。でもこれが一番売れたらしいよ」
「そうなの? どうして?」
 シュンはおもむろに咳払いしてから言った。
から」
 しかし、女性はきょとんとしていた。
「なにそれ」
「だから、鯛とおめでたいをかけた洒落だよ」
 結局説明するはめになって、シュンはじくたる思いだった。
 洒落を説明するほど恥ずかしいことはない。
「そうなの? よくわからないけど」
「それより早く食べたほうがいい。冷めたら美味しくないし」
 気まずさをごまかすために、シュンはそう促した。
 女性はしばらく手に持った鯛焼きをくるくる回していたが、頭の部分を慎重にひと口かじり、すぐにぱっと顔を輝かせた。
「美味しい。すっごく美味しい」
「……それはよかった」
「これ、向こうでも再現できないかしら。毎日でも食べたいわ」
「あの型があればできるんじゃないか?」
 シュンは屋台に置かれた黒い焼き型を指差して言った。広げられた鉄板の上には、五匹分の鯛の型が半分ずつ掘ってある。それに生地を流し込み、餡を入れてから合体させて焼くのだ。
(型、か)
 シュンは苦い気持ちでうつむいた。
 鯛焼きの構造はどれも同じだが、人が焼いている以上、ひとつとして同じものはない。 人間だってそれは同じはずだ。それなのに、学校という場所はその違いを無視して、無理やり同じ形にしようとする。そのくせ、子供の個性を尊重するなどと口では言いながら、型に嵌まれない人間を爪弾きにする。
 だから自分はいつも、学校で独りだった。
「そうね。でも全部同じ形じゃつまらないわ」
 女性がそんなことを言うので、シュンは心を読まれたのではないかと思ってどきりとした。
「どう? 試しに作ってみたけど」
 彼女手のひらの上には、丸い形をした物体が乗っていた。
 シュンは思わず笑っていた。
「……それは大判焼きって言うんだよ」

 それから二人はベンチに坐り、黙って鯛焼きをかじった。
 かじって頭がなくなった鯛焼きを見ながら、シュンはなんとなく口を開いた。
「俺さ、今の世界は、頭と尻尾にしか餡が入ってない鯛焼きみたいだって思うんだ」
「面白いこと言うのね」
 女性がそう言って笑ってくれたので、シュンは少し気を良くした。
 特に、それがどういう意味だと説明を求めないあたりが。
「みんな、なんでもわかった気になることに時間を費やしてる。映画だって早送りで見るんだ。でも、中身のない鯛焼きを美味しいのかどうかもよくわからず食べて、それを美味しいってことにして、いったいなにをしようとしてるんだろう」
「自分で美味しいかどうかもわからないの?」
「うん。判断できないんだ。だれかが美味しいって言わないと、それは美味しいことにならない」
 女性が肩をすくめる。
「訳がわからないわね。自分が美味しいと思うならそれでいいのに」
「うん。俺もそう思う」
 けれどこの国では違う。みんな同じでなければならないのだ。
 テレビや雑誌やSNSのインフルエンサーが美味しいと宣伝しなければ、なにが美味しいのかも決められない。そして、
 だから問題は存在しない。本当は、問題が存在しないことが問題なのに。
「あなたはなにを美味しいと思うの?」
「俺は食べ物にはそこまで興味がないんだ。……それよりも」
 シュンはそこで迷ったが、思いきって言ってみた。
「ゲームを、作りたくて」
「ゲーム?」
「うん。今までとは違う、まったく新しいゲーム」
 シュンは言いながら、無意識に自分の指先を合わせ、口の前に持っていった。
「今の携帯ゲームの構造はつまらない。ルールは複雑だし、ゲームを有利に進めるために、作っている人間に余計に金を払わなければならない。作っている人間だけが得をして、ゲームに参加した人間は金と時間を搾取されているだけ。今の世の中と一緒だ。そしてクリアしても、終わってしまうとすぐに虚しさに襲われる。だからまたやる。その繰り返しだ」
 そこまで言ってから、シュンは合わせていた指を離し、両手を頬に当てた。
「でも、どうやったらそこから抜け出せるのかわからない」
「なんだか難しいことで悩んでいるのね」
「やっぱり、考えすぎなのかな」
(シュンはなんでも深く考えすぎだよ)
 学校の同級生たちは、みんな口を揃えてシュンにそう言った。
 そっちが考えなさすぎるんだよ。そう、何度言い返したかったことか。
「どうしてルールを複雑にしたがるの? 簡単なほうが覚えやすいのに」
「そのほうがいろいろごまかしやすいからかな。不公正なことが行われていても、見破るのが難しくなるし。そうやって金を騙し取ろうとするんだ」
 ゲームに限らず、なんだってそうだ。
 携帯電話の料金体系も、学校や社内の規則も、法律も。ルールを作る側の都合ばかりで、それに従わなければならない人間の気持ちなんてまるで考えていない。
「俺は、自分が価値があると思うものに金を払いたいのに」
「価値のあるものって、なに?」
「それは……わかんないけど」
 問われてシュンは考え込んでしまった。自分で言っておきながら、その価値の詳細については、一度も真剣に考えたことがなかった。
(俺が価値があると思ってるものって、なんだ?)
「また考え事?」
 女性に指摘され、シュンは苦笑いした。
「ごめん」
「いつもそうやって考えてるの?」
「うん、たいていは」
「それにあなたって、無口なのにときどきすごくお喋りになるのね」
「興味のあることは話せるんだけど……世間話が苦手なんだ」
 シュンは、昔から中身のない話をすることができなかった。そもそも他人の話している内容に同意も共感もできないことがほとんどで、関心も持てない。
 人はコンピュータと違って、意思疎通を図るのが難しすぎるし、手間もかかりすぎる。他人と話す時間は無駄でしかないと思っていた。なのになぜか、今日初めて会ったばかりの彼女とは普通に会話している。そのことが不思議だった。
「今何時?」
 かれてシュンは腕時計を見た。
 携帯電話が普及した今ではつけない人間も増えているが、シュンは外出するときは必ずつけていた。単純にこのほうが携帯を取り出すより早いし、便利だからだ。
 時計の針は五時を指していた。今は六月だから、日が沈むのが遅い。
「そろそろ帰るわ」
「ちゃんと帰れるのか?」
 シュンがからかうように言うと、女性が眉をきゅっと吊りあげた。
「馬鹿にしないで。自分の家までの帰り道を忘れる人なんていないでしょう?」
 それは確かにそうだとシュンは思った。
 女性がまた微笑む。
「今日はつき合ってくれてありがとう。楽しかったわ」
「うん。俺も楽しかったよ」
 反射的にそう返してから、シュンは恥ずかしくなってうつむいた。
(なに言ってるんだよ、俺は)
 これではまるで、デートしてから別れるつき合いたてのカップルみたいだ。
(そんなのじゃないのに)
 だいたい、自分は彼女の名前も知らない。
 そうだ。それを訊くのを忘れていた。
「あの、そういえば、君の名前……」
 しかしシュンが顔を上げたとき、女性の姿はどこにもなかった。
 彼女は瞬間移動で帰ったらしい。
 拍子抜けするような思いで、シュンはしばらくそこにたたずんでいた。
 彼女が戻ってくると思ったわけではなかったが、なんとなくその場を立ち去りがたかった。そのとき腹の虫が音を立てて、シュンは自分が空腹だということを思い出した。なにせ、昼は鯛焼きを食べたきりだ。
(……スーパー寄ってから帰ろ)
 シュンはパーカーのポケットに手を突っこんで歩きだした。

 いつもより手間のかかる料理を作って食べ、食器を洗い終わってから、シュンはソファに坐ってテレビをつけた。
(いつもこれくらい時間にゆとりがあればいいのに)
 会社が六時に終わっても、通勤の時間やスーパーで買い物をする時間も含めれば、アパートに着くのは七時を過ぎてしまう。
 一日のうちの八時間を仕事、もう八時間を睡眠、三時間を通勤と家事に使ってしまうと、完全に自由でいられる時間は五時間ほどしかない。
 しかし、自分はまだ恵まれているほうだと、シュンは暗い気持ちで自分に言い聞かせた。残業と通勤時間のせいで、帰宅が深夜になる人間だって少なくないのだから。
 シュンはリモコンで国営放送のチャンネルに合わせ、画面から流れてくるニュース映像に目を走らせた。テレビを見るのは久しぶりだった。最新のニュースは、SNSで報道機関のアカウントをフォローしていれば勝手に入ってくるし、ほぼリアルタイムで更新されるから、今時わざわざテレビでニュースを見る価値はほとんどない。
 どうせ見たところで、どのチャンネルもワイドショーやバラエティ番組しかやっていないし、ドラマも低品質のものばかりでつまらないので、シュンはネットで配信されている商業作品コンテンツ――映画やドラマ、アニメなどを見るのが常だった。
 画面では、四十代くらいの男性アナウンサーが、この国の財政状況がかんばしくないことや、不況で失業率や自殺率が上がっていることを深刻ぶった表情で伝えたあとで、株価が三十年ぶりの高値を記録したことを報じていた。
「……景気がいいのか悪いのかどっちなんだよ」
 シュンは思わずそう突っこんだ。
 ニュースの見方なんてわからない。義務教育では経済についてほとんど教わらなかったし、政治だって用語を暗記するだけでつまらなかった。
 でも、今更勉強したところでどうにもならない。この世界はいつだって自分のあずかり知らないところで回っていて、決まったことをあとから報告されるだけなのだ。選挙に行ったところで、それが変わることもない。
 天気予報を見終わると、シュンはテレビの映像を消してソファに寝転んだ。
「変な一日だったな……」
 会社をサボっただけで、こんなことになるなんて。
 でも、悪くはなかった。
 だれかと街を歩くのも、他愛のない会話をするのも、買い食いするのも。
 学校の同級生たちとしたときはまるで楽しくなかったのに、彼女とは苦痛に感じなかった。
(もう会えないよな)
 彼女は名乗らなかったし、自分も同様に名乗らなかった。
 名前も知らない、異世界から来た女性。しかも、不思議な力を使える女性。
 だが明日になれば、いつもと変わらない日々がまた始まってしまう。
 そしていつか、自分はこの日のことを忘れてしまうのだろう。いや、忘れないとしても、現実に起きた出来事だと断言できなくなる日が来る。
 そう思ったとき、なぜか胸にかすかな痛みが走った。
 だが、きっとそれが生きるということなのだ。
 シュンはそう自分に言い聞かせ、シャワーを浴びるためにソファから立ちあがった。