第34話 メグの物語(2)

「あなたの夢はなに?」
 あるとき、めぐりがそう訊ねると、瞬の瞳がかげった。
「……ないよ、そんなの。だいたい、夢を持てるのも叶えられるのも、ほんの一握りの人間だけだから」
「どうして?」
「俺の国ではそういうことになってるんだ」
「今は違う世界にいるんだから、持っていてもいいでしょう?」
 めぐりがそう言うと、瞬はちょっと笑ってから答えてくれた。
 自分の仕事を持つこと、世の中のために貢献すること、自分で価値を作りだせる人間になること、自分にしか創りだせないものを創れる人間になること。
 自信がないわりに、瞬の夢はなかなか壮大だった。
「でも夢なんて……持ってても虚しいだけだから」
「そうなの?」
「……うん」
 うつむいてしまった瞬がなにを考えているのかは、めぐりにはよくわからなかった。
 ゲームの内容を思いついてからの瞬は、いつもそのことを考えているようで、めぐりと会っていても、うわの空になることが多くなった。
 めぐりはジーンに瞬を向こうに返してほしいと頼んだ。瞬は以前から、めぐりのことより新しいゲームを作ることに関心があったし、向こうでそれを実現したいと思っている。彼の自由を奪う権利は自分にはない。そう思った。
「メグ」
「なに?」
「……俺がいなくて平気か?」
 瞬がそんなことを言うので、めぐりは意地悪したくなった。
「変なの。前は向こうに返せって怒鳴ってたのに」
「それは」
(わたしが平気じゃないと正直に言ったって、信じないくせに)
 あなたこそ平気なの? 瞬。
 ……わたしなしでも。

 瞬の正体を知ったのは、瞬が帰ってしばらくたった頃だった。
「知ってたの? 瞬のお父さんがもともとこっちに住んでた人だって」
 めぐりが詰め寄っても、ジーンは落ち着いた態度を崩さなかった。
「彼は我々の世界から追放されたんだ」
「どうして?」
「彼の父親は、この世界に相応しくない振る舞いをした。もともとこの世界にいてはいけない人間だったんだ」
「それで瞬はずっと登録されなかったの? この世界に来る資格があるのに? ひどいわ。血が繋がってるからって、同じことをするとは限らないのに」
「彼はもう成人している。こちらには住めない。それが決まりだ」
「だってこちら側に不備があったんでしょう? だったら彼に謝罪して今からでも招待すべきだわ!」
「もう遅い。彼には向こうでの人生がある。それを奪うわけにはいかない」
 もっともらしい答えに反論できず、めぐりはジーンを睨みつけた。
 彼はいつも正しい。ずっと、その正しさに守られて生きてきた。
 けれど、今の自分が求めているのは理路整然とした答えではない。
「それは嘘よ。ジーンは瞬にこちら側に来てほしくないのよ」
 めぐりの反撃が予想外だったのか、ジーンが目を見開いた。
「メグ、君はわたしを疑っているのか? わたしが嫉妬して言っていると?」
「違うわ。でも、あなたはわたしを思い通りにしようとしているじゃない。わたしと別れて、ジーン」
「メグ……!」
「わたしはあなたの言うことは聞けない」
 彼が邪魔をするなら、仕方がない。
 メグは力を発動させて、管理者たちを回廊に閉じ込めた。
(ごめんね、ジーン。こうするしかないの)
 めぐりはそう心の中で謝った。
 それでもわたしは、瞬と一緒にいたいの。

 めぐりは向こうの世界に行く前に、巫女みこに会いにいった。
 彼女はあらかじめ自分が来ることがわかっていたようだった。
「あなたは、瞬を向こうの世界から回収したいからわたしと出会わせたの?」
 めぐりに詰問されても、巫女は表情を変えなかった。
「いいえ。わたしはアイオーンの意思通りに行動しただけ。託宣を信じたのはめぐりさん自身です」
 巫女がめぐりをじっと見つめる。
「めぐりさんは、これからどうしたいですか?」
「わたしは」
 問われてめぐりは考え込んだ。
「……また会いたいわ。運命でも、運命じゃなくても」
(そんなわたしを、あなたは迷惑だって言うかしら?)

 突然家に押しかけためぐりを、瞬は追い出さずに泊めてくれた。
 彼は自分がなんでも出せると言ってもなにも頼まなかった。自分よりもっと恵まれない条件下で生きている人間がいるのに、自分だけがズルするのはよくない。そう考えているらしかった。そういう公平さを重んじるところも好きだとめぐりは思った。
 彼の考えたゲームが人気になったときは、自分のことのように嬉しかった。
「はいこれ、今月分」
 瞬がめぐりに差しだしたのは、数枚の紙幣だった。
「いいって言ってるのに」
「だって、君は銀行口座を作れないから。携帯電話のときみたいに、俺の名義でもう一つ口座を作ろうか」
「いらないわ。お金を貯めても仕方ないもの」
 瞬が本で得た知識によると、この紙幣はこの国にある中央銀行というところが発行していて、この国の政府と銀行が貨幣であることを保証しているから、価値があることになっているらしい。けれどこの国の価値が下がると、ほかの国から輸入したものは、たくさん紙幣を出さないと高くて買えなくなってしまうのだという。
「どうしてこの国の価値を、ほかの国の人たちに決められないといけないのかしら」
 めぐりがぽつりと言うと、瞬はちょっと寂しそうに笑った。
「それが市場原理ってやつなんだよ。この世界では、自分で自分の価値を決められないんだ」
「言っておくけど、わたしはよ、瞬」
 めぐりは思いきって瞬の肩にもたれてみた。嫌がられるかと思ったが、瞬がなにも反応しなかったので、めぐりはほっとした。
「それは大変だな」
「どうして?」
 めぐりは薄目で瞬を盗み見た。
 携帯電話を操作しているのが気に入らない。もっと言うと、携帯を操作する余裕があるのが気に入らない。できるなら
(わたしも触られたいのに)
 あの時みたいに、余裕をなくしてほしいのに。でもそれをされると、我慢できなくて彼を襲ってしまいそうだ。……経験がないからやらないけれど。
「タダより高いものはないって言葉が、俺の世界にはあるんだよ」
「どういう意味?」
「タダだと思って喜んでたら、その代償は普通にお金を払うより高くつくって意味」
「そうかしら。わたしはそうは思わないけど」
「君はそうだろうけど……こっちは意地悪な人間が多いから。利益をあげるためには、それなりの代償が必要だって考えてるんだ。なにもかもタダだと、取り引きできなくなるから困るんだよ」
「つまらない考え方ね。わたしたちはこう教わるわ。わたしたちはなにかを得ることじゃなくて、与えることでしか豊かになれないって」
「与えることでしか?」
「そうよ。物はね、たくさん溜めこんじゃいけないの。利益がたくさん出たら、その人は他人に分け与えないと」
「それでよく反発が出ないね」
「だって、それが一番損だってみんなわかってるもの」
「独り占めすることが一番損だって?」
「そうよ」
 瞬が困惑した顔で首を傾げる。
「俺には、よくわからないな……」
「どうして?」
「だって、俺からなにかを貰って嬉しがる人がいるとは思えないから。警戒されるよ、きっと。なにか見返りを期待してるんじゃないかって」
「わたしは嬉しいわ」
 そう言ってめぐりが瞬の手に自分の手を重ねると、瞬がびくっとした。
「めぐり……」
「じゃあ、だれかになにかを貰うのは?」
 めぐりがゆっくり顔を近づけると、瞬が顔を背けた。
「……俺は、そういうことは望んでない」
「じゃあ、あなたはなにを望んでるの?」
 瞬が首を振る。
「……わからない。でもなにも押しつけられたくないし、なにも押しつけたくないんだ。取り引きしたくない。利用されたくない。そうなるくらいなら、俺はだれとも関わり合いにならずに、独りでいることを選ぶ。だから俺はこのゲームを作ったんだと思う。この世界なら、自分の好きなだけ愛情を注げるから」
「瞬……」
 言葉を失っているめぐりに、瞬は自嘲するように笑った。
「……俺はそういう人間なんだよ、めぐり」

めぐりが真相を打ち明けても、瞬の態度は変わらなかった。
 むしろ彼は、自分に別の目的があったことに傷ついたようだった。
「君は、アイオーンに言われたから俺のところに来たの? 力を制御できるならだれでもよかったわけ?」
「違うわ、わたしは――」
 それが目的だったわけじゃない。結果的にそうなっただけだ。
「わたしは瞬が好きだから」
 恋がしてみたかったから。
 運命の人に会いたかったから。
 めぐりは必死にそう言ったが、瞬は取り合わなかった。
「俺は運命なんて信じてない。愛も恋も。だれも好きになんてならない。ここまでやれたのは君のおかげだよ。感謝してる。でも俺は君と一緒にいるつもりはない」
 そう言って瞬は、めぐりに背を向けた。
「……帰ってくれ」
 ……どうして。
「……いや」
 思わず、めぐりはそう声に出していた。
 いやだ。
「わたしは瞬と離れたくない。ずっと一緒にいたい……!」
 めぐりがそう言った瞬間、部屋の中で突風が巻き起こった。
 カーテンがはためき、窓ガラがガタガタと音を立てて揺れはじめる。
 驚いた瞬が振り返り、めぐりに向かって手を伸ばす。
「めぐり……!」
 しかし、その手がめぐりに届く前に、辺り一帯を白い光が包みこみ、なにも見えなくなってしまった。

 自分でも、なにが起きたのかわからなかった。
 目を開けると、めぐりは雨の降る駐車場に立っていた。目の前をごみ袋を手に持った瞬が慌てて走っていく。
「瞬、待って」
 急に呼びとめられ、瞬が足を止めて振り返る。
「えっと……どこかで会いましたっけ?」
「……わたしを覚えてないの?」
「覚えてって……なにを?」
 瞬がそう言ったとき、めぐりはなにが起こったのかを理解した。
「ごめんなさい、わたしの勘違いだったわ。よく似てたから……」
 言いながら、めぐりはこらえきれず泣いてしまった。
 瞬が慌てた表情になる。
「ちょ、ちょっと待っててください、すぐ戻りますから」

「これ、どうぞ」
 瞬が差しだしたタオルを見て、めぐりは首を振った。
「大丈夫よ」
 めぐりはその場で力を使って服を乾かした。
 瞬の目が驚きに見開かれる。
「君、いったい……」
 めぐりは前と同じ台詞を繰り返した。
「これがわたしの普通なの。力を使えることがね」

 それからまた、めぐりは瞬のアパートで暮らすようになった。
「その人って、そんなに俺に似てるの?」
(ええ、だってあなただもの)
 そう言うわけにもいかないので、めぐりは微笑んだ。
「気になる?」
「そ、そういうわけじゃないけど……」
 今度はキスもあいもなしだった。瞬は、自分がだれかの代わりでしかないことが障害になって、積極的になれないらしい。
「どうして好きだって言ってくれないの?」
「だって、俺はその人の代わりでしかないんだろ。俺はきっと、なにかあるたびに疑心暗鬼になって、君を傷つけるから。君とはつき合えない」
「わたしが好きなのはあなたよ」
「それは違うよ、メグ。君は俺を見ていない。それだけははっきりわかる」
 どうして。なにも知らないはずなのに、彼はなぜこんなに鋭いのだろう。
 瞬が苦く笑う。
「……君はわかりやすい」
「……そんなに?」
「その人は死んだの?」
「いいえ」
「だったら、その人のところに戻ったほうがいい。俺がここまでできたのは君のおかげだよ。感謝してる。でも、それ以上は望みすぎだと思うから」
「別れよう」
「どうしてなの?」
「ごめん。でも、俺にもわからない。好きだって言われても信じられないんだ」
「ゲームオーバーだ、メグ。君は向こうに帰るんだ。このままずるずる一緒にいても、俺は君のためになにもできない。これ以上時間を無駄にしないほうがいい」
 そう言われて、めぐりはあんなふうに出会わなければよかったと後悔した。
 その瞬間、またしてもめぐりは雨の駐車場に逆戻りしていた。
(うそ。また戻ってしまったの?)
「瞬」
 駆け出そうとしたメグの手を掴んだのはジーンだった。
「離して、ジーン」
「だめだ」
 ジーンが水たまりに映った自分たちの姿を見つめた瞬間、めぐりは管理者たちが使う部屋に移動していた。
「メグ、君はこちらの世界の三原則を破った。元婚約者といえど、わたしは管理者として、君に処分を下さなければならない」
「いやよ、ジーン。記憶は消さない。こっちにも戻らない。あなたを傷つけることになっても」
「メグ! 君は自分がなにをしてるのかわかっていない。それでは向こうの世界の人間と同じだ。その執着心が争いを生む原因になる。執着を理性で制御できないから、彼らは未だに争い、傷つけ合っているんだ。支配階級にいる人間たちはそこにつけ込んで競争を煽り、争わせている。彼らはただの執着心を恋と呼んで持て囃し、金儲けと統治に利用しているんだ。恋愛は美しいものじゃない。ただのエラーだ。わたしたちはそこから脱却したから平和を実現できたんだ」
「いや、そんなの信じない!」
 メグは必死に首を振った。
「わたしは瞬がいいの! 代わりなんてどこにもいないの!」
「メグ!」
 そのとき再び風が巻き起こり、めぐりは姿を消していた。

 今度は、めぐりは駐車場を歩いている瞬の目の前に現れてしまった。
 瞬の目が驚きに見開かれる。名前を呼びたがったが、その前にめぐりは安堵と疲労で立っていられず、その場に倒れ込みそうになった。瞬が慌てて身体を支える。
 慌てふためいている瞬の声を聞きながら、めぐりは意識を失っていた。
「あの、大丈夫ですか?」
 目を覚ましたとき、めぐりはタオルを敷いたソファに寝かされていた。
「俺の部屋に連れてくるのもどうかと思ったんですけど、財布とか持ってないみたいだし、病院とか警察に連れていったらまずいかなって……」
「……あなたは優しいのね」
 起きあがって、めぐりはそう言った。
 何度繰り返しても彼は自分を助けて部屋に入れてくれる。
 なのに、自分は今まで彼になにをしてあげられただろう。
 家事は任せっきりだったし、わがままばかり言っていた気がする。
 瞬が慌てて言う。
「そ、そんなことないと思いますけど……倒れてる人がいるのに素通りなんて、そっちのほうが間違ってると思っただけで」
 どうしていつも瞬は、自分と深い仲になることを恐れているのだろう。もっといろいろなことを話してほしいのに。しかし、瞬はめぐりがいろいろ訊いても、自分の話はしたがらなかった。それに瞬も、めぐりに関することをたずねてくることはなかった。
 でも初めて会ったときは、彼は自分と性的な関係を持とうとしたし、好きだからつき合おうとも言ってくれた。デートもした。
 でも、ずっと一緒にいたいとは言ってくれなかった。
 それが自分の限界なのかもしれない。めぐりはそう思った。
 だからもう一度戻って、自分に出会わないと彼がどうなるのか確かめてみた。
 しかし、めぐりは落胆した。自分が手伝ったときより時間はかかっていたが、めぐりに会わなくても、瞬の成功は約束されているようだった。それどころか、自分と一緒にいたときよりもお金持ちになっていた。
 彼は自分の意思で会社を辞めてゲームを作り、ヒットさせる。そして勉強して自分で会社を興し、何十人も社員を雇うまでに成長させていた。
 最初から、瞬の隣に自分が絶対にいる必要はどこにもなかったのだ。
 アイオーンは、自分を変える人には出会えると言ったけれど、その人間と結ばれるとは言わなかった。それはただの自分の願望でしかない。
 何度繰り返しても瞬が自分と一緒にいることを選ばないなら、諦めるしかなかった。
 でもならなぜ、アイオーンはそんなせんたくをしたのだろう。
 恋がしたいという自分の願望を諦めさせるため? なら、確かに瞬はそれにはうってつけだ。
 瞬は、決してめぐりの思い通りにはならない人なのだから。
 予想がつかず、考えていることも気持ちもわからず、複雑で、訳がわからない。
 だからこそ、自分は瞬に恋をした。
 だがどんなに好きでも、彼が自分を好きでないなら、一緒にいても苦しいだけだ。
 自分を傷つけるのは、もうやめにしようと思った。