……そう、思ったのに。
(なにをやってるのかしら、わたし)
めぐりは透明な姿でレストランのテーブルの下に潜り込み、瞬と舞花の会話を聞いていた。
どうせ別れるなら、自分がいないところで瞬がなにをしていたのか知ってからにしようと思ったのだ。
(これじゃ、立派なストーカーね)
ストーカーについては、瞬がテレビを見ていたときに説明してくれた。
この世界には、恋人と別れてもその事実を受け入れられず、いつまでも相手につきまとい続けて、精神的に苦しめる人間がいるらしい。
自分がそういう人間と同じだとは思いたくなかった。
(でも、いつもわたしは瞬を苦しめてる)
そして、自分と別れてから瞬が前に進めないように邪魔をしている。
めぐりはテーブルクロスの下から、舞花をそっと覗き見た。
彼女が瞬を幸せにしてくれるなら、それでいいと思ったこともある。
だが、彼女はめぐりのいない世界では瞬を不幸にしていた。
舞花は結婚してもすぐに夫とうまくいかなくなり、瞬に相談を持ちかける。瞬はそれを拒めない。そのことが彼女の夫にバレて、瞬は二度と舞花に会えなくなる。
そこから瞬はずっとひとりだった。成功しているのに、彼のことを知っている人はたくさんいるのに、瞬はまるで嬉しくなさそうだった。
そしてときどき、なにかを探しているような目で、遠くを見つめていた。
(ねえ、瞬、あなたはいつもなにを探してるの?)
わからない。それを用意できれば、彼は自分を見てくれるのだろうか。
そんなことを、めぐりはぼんやりと考えた。
……それにしても。
(なにが言いたいのかさっぱりわからないわ)
二人の会話がまるで進展しないので、めぐりは力を使って舞花の心の声を聞いてみた。
これを瞬にしたことはない。そうしたほうが手っ取り早いのはわかっていたが、どうしても直接彼の口からなにを思っているのか聞きたかった。
(……結婚するって言ったのに、なにも反応ないってやっぱり傷つくな。ちょっとは取り乱してくれると思ったのに。やっぱりわたしが年上だからだめなのかな……最初は遊んでるつもりだったけど、プロポーズしてくれた人より、シュンくんのほうが優しいし、好きになれそうなのに)
「どうして好きなのに好きって言わないの?」
気がつけば、めぐりは二人の前に姿を見せていた。
突然現れためぐりに、二人が呆気に取られた顔になる。
「どうして好きなのに好きって言わないの?」
めぐりがもう一度そう言うと、舞花が目を見開いた。
「あなたは瞬に期待してるだけで、自分の気持ちをなにも言ってないじゃない。瞬は、あなたが年上だからつき合わないわけじゃないわ。あなたが待ってるだけでなにもしないから、つき合ってくれないのよ」
めぐりは彼女の態度が腹立たしかった。思ったことを全部言ってしまうのは悪いことだとわかっていたが、止められなかった。
自分が何度言っても、瞬は真剣に受け止めてくれないのに。
「わたしは家事も下手だし、ゲームの話もたいしてできないけど、それを言い訳にしたことはないわ。彼の作る料理を美味しいって言って食べて、彼が話をしてきたら絶対真剣に聞いてあげるの。彼に嬉しいことがあったら一緒に喜んで、悲しいことがあったら一緒に泣くの。それだけは絶対にだれにも負けないの」
呆気に取られていた瞬が、得体の知れないものを見る目つきに変わる。
「……君、いったい」
ああ、今ので完全にストーカーだと思われてしまった。
そう思いながら、めぐりは心の中でつぶやいた。
(ごめんね、瞬。あなたを放してあげられなくて)
そして、あなたを諦められなくて。
「お客様、ほかのお客様のご迷惑になりますので」
ざわざわしはじめた店内を収めるために現れた給仕人が、慇懃な態度でそう言ったが、めぐりは動かなかった。
「わたしはあなたたちのお客じゃないの。彼に会いに来ただけよ」
めぐりはそう言ってから、瞬に向き直った。
そうだ。彼に会うために、自分はこの世界に来た。
力を制御するため。
運命の人に出会うため。
恋をするため。
最初はそれが目的だった。でも、そんなことはもうどうでもよかった。
「瞬、わたしは絶対あなたに愛してるって言わせてみせるから。何回繰り返したって、わたしは諦めないから。あなたはそれくらい価値がある人なのよ、瞬。だから覚悟してて」
「君……」
「君じゃなくてめぐりよ」
めぐりはそう訂正してから、呆然としている瞬に向かって微笑んだ。
「あなただけのめぐり」
瞬が戸惑った顔で繰り返す。
「め、ぐ、り……?」
「またね、瞬」
めぐりは瞬に手を振り、給仕人に笑顔を向けた。
「営業妨害してごめんなさい」
困惑してなにも反応できずにいる給仕人の横をすり抜け、めぐりは店を出た。
歩きながら、めぐりは自分に言い聞かせた。
(そう。わたしは何度だってあなたに巡り合って恋をするの。そういう運命なのよ)
そういう、運命……。
しかし、めぐりはそれ以上歩けず、歩道にしゃがみこんだ。
めぐりは声を押し殺して泣いた。
運命だと、信じていたかった。
ほとんどの恋は報われずに終わる。ジーンの言ったことは正しかったのだ。
自分がいくら頑張ったところで、瞬の特別にはなれない。
その事実を受け入れるのがずっと怖かった。
(帰ると言ったらゲームオーバーだ)
(……わたしの負けね、瞬)
自分は最初からずっとそのことを認められず、ズルをしていた。
力は使えなくても、彼のほうが自分よりずっとすごい。それに優しい。
(間違っているのは、いつもわたしのほう)
一度向こうに帰ろう。めぐりは扉を出現させようとしたが、なにも起こらなかった。もう一度やっても同じだった。
(使えない……? どうして?)
今までは力が減退することはあっても、一切使えなくなるということはなかった。
現金は持っていない。力が使えなければデパートにも忍び込めないし、泊まれない。
怖い。
めぐりはその場に膝を抱えてうずくまった。
(瞬、助けて……)
肩に手を置かれたのはその時だった。
「ジーン……」
坐り込んだメグの前に、ジーンが心配そうな表情を浮かべてかがみ込んでいた。
「メグ、力が減退しているんだろう。君の力がいかに強大とはいえ、明らかに使いすぎだ。一度帰って休まなければ」
そうだ。それだけは学校で何度も教わったから覚えている。
自分たちがなんでも完成させた状態で出現させず、普段から道具を使って生活するのはそのためだ。自分でなにかを作りだすことをやめてしまうと、だんだん力は弱まってしまう。だからこそ、自分たちはやりたいことに一生を捧げて生きるのだ。
力を使ってもできない、自分にとって価値があると思えることのために。それが心身の健康を正常に保つことにも繋がる。
でも今はだめだ。帰ったらもう向こうには行けなくなってしまう。
(お願い。行かせて)
瞬のために、自分はまだなにもできていない。
いつもわがままばかり言って困らせていた。
恋がしたいという願いを叶えるために、瞬を振りまわしていた。
でも今は、
(……愛してるって、言ってくれなくてもいい)
ただ、一緒に時間を過ごしたい。
あなたのことを知りたい。
そう思った瞬間、不思議と身体が軽くなった気がした。
どこからともなく風が吹いて、また自分の身体を包みこむ。
めぐりは驚いている元婚約者の姿を見つめた。
「……ジーン。わたしね、あなたに求婚されても、どうしても嬉しいと思えなかったの。それがどうしてなのか、やっとわかった」
他人を傷つけて、迷惑をかけて、振りまわして、そんなことばかりしている自分はきっと罪深い存在なのだろう。
だから自分たちの世界では、きっと恋愛が禁じられているのだ。
でも、自分の気持ちに嘘はつけない。
昔の自分には戻れない。
「あなたはひとりでなんでもできるから、わたしはなにもしなくてよかった。でも、わたしはだれかと支え合って生きたかったの。……与えられるだけじゃ、いやだったの」
(あなたはわたしがいなきゃだめなんてことはなかった)
でも、わたしはあなたがいいの。
あなたじゃなきゃ、いやなの。
不思議なことに、なにも望まないほうが、瞬との関係はうまくいくようだった。
初めて会ったときより、彼は少しずつ自分の話をしてくれるようになった。
彼の誕生日も知ることができた。
だが、やはり瞬は肝心なことは話してくれなかった。
幼い頃の話、学校に通っていた頃の話、そして両親の話。
自分にも記憶があればいいのに。
そう思ったとき、めぐりはやっと距離を縮められない理由がわかった気がした。そして、初めて記憶を捨ててしまったことを後悔した。
自分には幼い頃の記憶が存在しない。だから瞬の話を聞いても共感することができないし、秘密を打ち明けることもできない。秘密を持ったのは瞬に出会ってからで、すべてを話してしまったら、この関係は終わってしまう。
だからなにも言えなかった。
「……めぐり。俺になにか話してないことがあるんだろ?」
瞬にそう言われたのは、引っ越しが終わってしばらく経ってからのことだった。
「どうしてそう思うの?」
「べつに根拠があるわけじゃないんだけど……なんか、最近違和感がすごいから。ここに引っ越してきてから、俺は部屋の導線とか新しいキッチンに慣れるまで時間がかかったのに、君はすぐに馴染んでた。物だって迷わずすぐに取り出すし……まるで前にここに住んでたことがあるみたいな……」
めぐりはどうしようか迷ったが、観念して打ち明けることにした。
これ以上、瞬に嘘はつきたくなかった。
「実は……」
話を聞き終えてから、瞬は納得したように頷いた。
「ああ、そういうことか……。それで、君は俺を攻略するまで繰り返してるわけ?」
めぐりはおずおずと瞬を見た。
「怒らないの?」
「だって、どうせ君以外の人はみんな忘れちゃうんだろ? だったら怒っても仕方ないし」
瞬はあっさり言ってから、めぐりを見た。
「でもなんでそこまで? 俺に何回もリプレイする価値があるとは思えないけど」
(あるわ。わたしにとっては)
めぐりはそう言いたかったが、口を閉じた。
彼に納得してもらえるような言葉を、自分はなにひとつ持ち合わせていない。
自分を突き動かすこの気持ちを、言葉では説明できない。
「俺の攻略法か……」
言いながら、瞬は髪に手をやってぐしゃりと掻きまわした。
それをされると、めぐりの鼓動が跳ね上がってしまうことを、瞬は知らない。パーカーではなく、ちゃんとした服を着て、髪をセットして外に出かけたときに、ときどき女性の視線を集めていることにも気づいていない。
「……自分のことなのに、全然わからない。君がいろいろしてくれたとしても、最終的に俺は独りでいることを選ぶと思う。だから、君がわからないのも無理ないと思うよ」
「わたしもずっと考えていたんだけど」
そう言ってめぐりはじっと瞬を見つめた。
「わたしがどうにかしようとしてもだめなのよ、瞬。あなたが幸せに暮らしているなら諦めようと思った。でもあなたはお金持ちになっても、有名になっても、ぜんぜん幸せそうに見えなかった。笑ってなかった」
恋をしたかった。
結ばれたかった。
愛していると言ってほしかった。
でも今は、それだけじゃない。
「あなたは本当は、なにを望んでいるの? わたしはそれが知りたいの。それがわからないと、わたしが何度繰り返しても、同じ結果にしかならないわ」
瞬がゆっくりと目をしばたたかせた。
「……君って、意外といろいろ考えてるんだ」
「失礼ね。考えるのは苦手だけど、何回も繰り返せばそれくらいわかるわ」
めぐりはむっとして言った。
彼は自分を馬鹿にしすぎだ。
(でも、あなたといると、自然とはしゃいでしまうのよ)
彼は自分の数百倍はいろいろなことを考えているから、安心できる。
ひとりで生きていたときよりも、楽しいと思える。
「あなたはひとりでいろいろ考えすぎなのよ。そのくせなにも言葉にしてくれないんだから……」
それに自分になにも訊いてくれない。
訊いてくれたら、いくらでも話すのに。
めぐりが文句を言っているあいだ、瞬は手を口に当てて忍び笑いを漏らしていた。
そういうところも素敵なのに。
彼は自分がどう見られているかということに、とことん無頓着だ。
「そうやって、もっといろいろ言ってみたら?」
「え……?」
「俺に気に入られようとか、そんなことは考えずに。俺はさ、君が俺にとって都合がいいから好きになったわけじゃないんだよ。なんて言えばいいのかわからないけど……気づいたら好きだったし、必要だと思うようになってたんだ」
瞬がじっとめぐりを見つめる。
「君はどう? 俺が運命の人だから、好きになった?」
めぐりは少し考えてから口を開いた。
「最初はそうだと思ってたわ。でも、あなたと一緒よ。……いつのまにか好きになっていたの」
瞬はしばらく黙っていたが、ふいに言った。
「……めぐり。俺の作ったゲームの名前の由来、知ってる?」
「いいえ、知らないわ」
「じゃあ、もし俺がずっと君と一緒にいるって言ったら、そのとき俺に訊いてみて」
「どうしてここで教えてくれないの?」
めぐりが訊ねても、瞬は少し微笑んだだけで、答える気はないようだった。
「でも、もうだめかもしれない。だんだん力が弱くなってるから。次で本当にお別れかも」
そうめぐりが告げると、瞬ははっとしたような顔になり、苦しげな表情でうつむいた。
「……ごめん、俺のせいで」
「あなたのせいじゃないわ。わたしが勝手にやっているんだもの。……わたしの諦めが悪いから」
本当にそうだ。どうすれば諦められるのだろう。
でも本当に、諦めるしかないところまで来ているのかもしれない。
自分の意志とは関係なく。
「またね、瞬」
めぐりが言うと、瞬はじっとめぐりを見つめていたが、ふいに瞼を閉じた。
「……さよなら、めぐり」
思わず涙がこぼれた。
彼にお別れを言われたのは初めてだった。
名前を呼ばれるたびに泣きそうになるから、もう本名は名乗らないでおこうとめぐりは思った。でないと、次会ったときは本当に頭のおかしい女だと思われてしまいそうだ。
実際、自分は頭がおかしいし、狂っているのかもしれないが。
雨に打たれながら、めぐりはもうやめたほうがいいのかもしれないと思った。
今度こそ、失敗したらもう会えなくなってしまう。
でも、そうしなければ諦められない。つらくて受け止められないかもしれない。
それでも、もう一度だけ会って一緒に時間を過ごしたい。
でも、会ってしまったらずっと一緒にいたいと思ってしまう。
(……堂々巡りね)
アジサイの花を見つめながらめぐりがそう思っていたとき、瞬はやって来た。
「来て」
「でも……」
「いいから」
何度繰り返しても、彼はその日仕事をサボっていて、めぐりと関わることを選ぶようだった。
なら、やっぱり別れるのが自分たちの運命なのだろうか。でも、たとえ最後に別れるのだとしても、ただ愛していたい。一緒にいたい。そう思った。
瞬が夢を語っているときの目が好きだった。
夢なんてないと言いながら、彼は壮大な夢を持っている。そしてその夢は、何回繰り返しても変わることがない。普段は自信がなさそうにしているけれど、彼は自分の感覚に人並外れた自信を持っている。相手が間違っていると思えば容赦なく指摘するが、相手を思いやることもできる。
そういう矛盾したところが、いつもめぐりを惹きつけてやまない。
「メグに夢はないの?」
あなたとずっと一緒にいること。
あなたと愛し合うこと。
わたしが愛していると言ったら、あなたも愛していると言ってくれること。
でもあなたは何度繰り返してもそれを選ばない。
ならなぜ自分は、叶わないと知っているのにこうして彼と一緒にいるのだろう。
一緒にいても、苦しいことばかりなのに。
それでも、やっぱり一緒にいると楽しくて、時間が経つのを忘れてしまう。
たとえ、最後に別れが待っているのだとしても。
「……あるわ。でも、わたしにとって夢は追い続けるものだから。叶うかどうかは重要じゃないの」
そうだ。さよならを言うために、何度も繰り返したわけじゃない。
一緒にいたいからいた。それだけのことだ。
「それはいい考え方だね」
そう言って瞬が控えめに笑ったとき、めぐりはまた少し泣きたくなった。
そして、今回も別れる時がやってきた。
潔く終わるつもりだったのに、やっぱりできなかった。瞬が別れると言っているのに、ここにいるのだと言い張って、困らせた。彼を思えればそれでいいなんて、殊勝なことは思えなかった。たとえ瞬が愛してくれなくても、ずっとずっと一緒にいたかった。
自分が間違っていることを痛感したのは、瞬に怒られたときだった。
(わたしはいつも、自分のことしか考えていない)
結局自分は、最初から最後まで彼を困らせているだけだった。
自分が彼のためにできることは、なにもない。
どうすればいいのか、最後まで答えを見つけることはできなかった。
自分は瞬にとって、一緒にいたいと思える相手ではなかった。
それがすべてだった。
