困ったことになった。
リートは寝台の中でため息をついた。
(騎士って、やっぱり名誉が大事なんだ)
だが、そのために決闘するなんてどうかしているとリートは思った。
リートのいた世界では、私闘は禁じられていた。今どきそんなことをするのは、反社会的な組織に属する人間か、不良学生だけだ。物語の中では格好良く描かれているが、いかなる理由があろうと、暴力で他人を懲らしめることは許されない。
――少なくとも、自分のいた世界では。
(まさかクラウスを殺しちゃったりしないよね? いや、ルイスが殺されちゃうかもしれないのか)
だとしても、自業自得だ。そんなふうにリートは考えたくなかった。
彼には彼なりの、行動を起こす理由がある。
彼はきっと、規則や慣例を守ること以上に、他人の気持ちを尊重しようとする人間なのだ。
しかし、ライナスはルイスが戦うことを喜ばないだろう。
事切れたライナスの姿がリートの脳裏をよぎった。
仕方ない。リートは覚悟を決めた。
場所も時間もわかっているのだ。自分が行って止めるしかない。
騒ぎになって彼が解任させられてしまっては困るし、クラウスの思い通りに事が運ぶのを黙って見ているわけにもいかない。
なにより、頑なだった自分を信じてくれたルイスを見捨てるわけにはいかなかった。
リートは急いで寝間着を脱ぐと、普段着に着替えた。
しかし、部屋の外には宿直の近衛騎士がいる。彼らに見つからないように外に出るのは不可能だ。
だがやるしかない。見つかったら、彼らに話しかけられる前に走ってルイスのところまで行こう。
リートはそう決意を固めると、細く扉を開け、外の様子を窺った。
しかし、なぜか外にはだれもいないようだった。
なにかあったのだろうか。だがいないなら好都合だ。この機会を逃すわけにはいかない。
リートは思いきって部屋の外に出た。
夜の王宮は静まり返っていて、人の気配はまったくなかった。
リートは近衛騎士に見つからないように、そろそろと廊下を移動した。あまり気をつけなくても、絨毯が足音を消してくれるのはありがたかった。
もしだれかに見つかって咎められても、道に迷ってしまったと言えばいい。そう自分に言い聞かせながら、リートは内心どぎまぎしながら廊下を歩いた。
幸運にも、だれにも見咎められることなく、リートは訓練場までたどり着いた。
リートが探すまでもなく、ルイスは簡単に見つかった。長身の影が月明かりに照らされて佇んでいる。
リートはこっそりとルイスに近づいた。
「ルイス」
リートが押し殺した声で名前を呼ぶと、ルイスが驚いて振り向いた。
「リート? どうして」
「どうしてもなにもないよ、あなたは僕の騎士なんだから、面倒事を起こされると困るんだ。早く帰ろう。それに、僕はあなたに人殺しになってほしくないんだ」
リートが必死に言うと、ルイスが目を丸くした。
「わたしがクラウスと殺し合いをすると思ったのか?」
リートは一瞬呆然とした。
「ち、違うの?」
「もちろん違う。私闘は規則で禁止されているからな。こんなことをしてもお互いに無益だと言いに来ただけだ」
それを聞いた瞬間、リートは脱力した。それと同時に気恥ずかしさがこみ上げてきて、リートは今すぐ自分の部屋に逃げ帰りたくなった。すべては自分の盛大な勘違いだったらしい。
思い返してみれば、確かに自分たちは指定の場所に行くか行かないかという話しかしていない。ルイスはクラウスを懲らしめてやるとか、成敗してやるとは一言も言わなかった。
(だってあんな言い方をされたら、だれだって決闘すると思うじゃないか)
だが、決闘なんてやめろと言うためだけにわざわざここに来たのなら、それはそれで無謀な試みだとリートは思った。
だいたい、宣言通りクラウスがここに来るかどうかもわからないのだ。
そして、一人でルイスを止めに来た自分も同じくらい無謀だったことに、リートは今になって気がついた。
「とにかく、クラウスが来る前に戻ろう」
しかし、もう遅かった。
足音がして、リートとルイスは振り返った。
リートたちの前に現れたのは、三人の男たちだった。真ん中にいる男が口を開く。
「おまえがルイスだな」
「そうだ」
ルイスがリートを庇うように前に立ち、男たちを見据える。
「クラウスはどこにいる?」
ルイスが問うと、男たちが目配せし合って笑い声を上げた。口を開いたのは首領とおぼしき男だった。
「いるわけないだろう。おまえを嵌めるのが目的なんだからな」
やっぱりか。リートは項垂れた。ルイスはクラウスの策略に嵌められたのだ。
「やれ」
首領が命じると、二人の男が剣を抜いた。ルイスも剣を抜いて構えを取る。
「リート、わたしが相手をしているあいだに逃げろ。近衛騎士の宿舎に行って、だれかに事情を話すんだ。侵入者がいると言えば動いてくれる」
「でも、あなたを置いて逃げるなんて――」
「わたしが君を置いて逃げるのは卑怯だが、君の場合、それが最善だ」
リートはその言葉で冷静さを取り戻した。
確かにそうだ。それにこの人数だ。自分を守りながらでは、ルイスは戦えない。
「わ、わかった」
男たちがルイスに襲い掛かる。
「今だ」
その声でリートは男たちと逆方向に走りだした。しかし、その瞬間、リートの前に別の男が立ちはだかった。刺客はもう一人いたのだ。待ち伏せされていたのだとリートは直観した。
「リート!」
ルイスが助けようと動いたが、男たちが行く手を阻んだ。首領の男がほくそ笑む。
「そいつを捕まえておけ。そうすれば抵抗できない」
剣を首筋に突きつけられ、リートは芝生の上に跪くしかなかった。
リートを人質に取られ、ルイスは剣を手放すしかなくなっていた。
「さっさとおまえも跪け」
言われたとおり跪きながら、ルイスが首領を睨む。
「わたしをどうする気だ」
「べつに殺しはしないさ。二、三か月入院してもらうだけだ」
首筋に剣を突きつけられたままの姿勢で、リートは自分の無力さを呪うしかなかった。そして、クラウスの卑劣さを恨んだ。
もし自分がここに来なければ、ルイスは三人を倒したあとで待ち伏せしていた男にやられていたかもしれないのだ。
(そうなるよりは、よかったのかな。でも、ルイスの戦闘力なら全員倒せたかもしれない)
リートは目を固く瞼を閉じた。
(僕がここに来なければ、こんなことには)
リートがそう思ったとき、唐突に頭上で呻き声があがり、男がどさりと倒れた。完全に失神している。
リートが驚いていると、芝生を踏みしめる音がして、自分のすぐそばをだれかが通りすぎた。背は高いが、体型からして女性のようだ。女性は装飾のほとんどない動きやすそうなドレスに身を包み、上から長いマントを羽織っている。しかもよく見ると、彼女の着ているドレスの丈はふくらはぎの中間までしかなかった。いわゆるミモレ丈と呼ばれるものだ。その上、踵の高い婦人靴ではなく、足首まである深靴を履いている。頭には頭巾を目深にかぶっていたので、リートには女性の顔が見えなかった。
女性は、敵に拘束されているルイスの前で立ち止まった。
「ざまはないわね、ルイス」
凛としてよく通る声だった。
「なぜ君がここにいるんだ」
「最近勉強ばかりでうんざりしてたのよ。せっかく王宮勤務になったのに、あなたは全然訪ねてこないし」
「仕方ないだろう、それどころじゃなかったんだ」
「助けてくれって言ったら、助けてあげてもいいわよ」
女性が朗らかな口調で言うと、ルイスが目を逸らした。
「加勢は無用だ」
「この状況で強がってる場合? 勇猛果敢が男の専売特許だと思ってるなら、どうかしてるわ」
そういう彼女こそ、この状況で普通に会話している場合なのだろうかとリートは思ったが、敵も同じ考えだったらしい。
首領の男が馬鹿にしたように嗤った。
「子どもの次は女か。頼りになる味方だな」
「あら、よくわかってるじゃない」
女性はそう言うと、腰に佩いている剣には手を触れず、構えだけを取った。
それを見た一人の男が女性に襲い掛かる。しかし女性は攻撃を難なく避け、背後を取ると首筋に手刀を叩き込んだ。敵は声もなく崩れ落ちた。首領の顔色が変わる。
その隙を突いて、ルイスは拘束を振りほどいた。残るは首領を入れて三人。
「子どもだ! 子どもを捕まえろ!」
首領がそう喚くと、男たちはリートのほうに走ろうとしたが、ルイスが立ちはだかった。
男の一人がルイスに向かってくる。ルイスは流れるような動きで攻撃を避け、懐に入ると膝を叩き込んだ。男が崩れ落ちる。その隙に逃れようとした男の足を女性が払い、体勢を崩させると、蹴りで相手を昏倒させた。
追い詰められた首領が剣を抜き、声をあげながら女性に斬りかかった。
「ミリィ!」
ルイスが声を上げる。気づいた女性がすばやい動作で腰に佩いた剣を抜く。相手の切っ先を躱し、そのまま剣先を首領の眼前に突きつけた。それで終わりだった。
ルイスがリートの元に駆け寄る。
「大丈夫か、リート」
「うん、平気」
リートは立ち上がりながらそう答えた。
一方、女性は首領に剣を突きつけていた。首領の男はさっきリートがやっていたのと同じように、芝生に跪かされ、両手を挙げた。
「俺たちをどうする気だ」
「どうする気だと思う? 助けてくれって言ったら助けてあげてもいいけど」
「……助けてくれ」
男が即座に言うと、女性がくすりと笑った。
「素直なのね」
そう言いながら、女性はかぶっていた頭巾をさっと頭から外した。顔にかかった長い髪を左右に振って払い、女性がにっこり笑う。
「正直に話してくれたら、ハーナルには引き渡さず解放してあげる。だれに頼まれたの?」
「わからない。酒場で飲んでたら、身なりのいい男が金を持って近づいてきたんだ。あいつは、俺が金に困ってることを知ってるみたいだった。この金をやるから、仲間を何人か連れて、ある男を襲ってほしいと。成功したら、この倍は支払うって」
ベラベラと真相を喋りはじめた男に、女性はため息をついた。
「もういいわ。この事は黙っておいてあげるから、早く姿を消しなさい」
「ミリィ」
ルイスが抗議の声を上げたが、女性は取り合わなかった。
「いいから」
刺客たちは負傷した身体を引き摺り、闇に消えていった。
ルイスが不服そうな表情でまた口を開きかけたが、その瞬間、女性が腰に佩いていた剣をすばやく引き抜き、脅すように彼の眼前に突きつけた。
「だからいつも言ってるでしょう、ルイス。勇敢といえば聞こえはいいけど、今のあなたは周りが見えていない無鉄砲な愚か者よ」
しかし、剣を突きつけられてもルイスはまったく動じなかった。
「加勢は無用だと言ったはずだ」
女性が肩を竦め、剣をまた鞘に戻す。
「そう。あくまで認めないわけね。ならこの話は終わり。彼をわたしに紹介してくれないかしら。ちなみにこれは命令よ」
ルイスは不満げな顔をしたが、今度は反論せずに従った。
「リート、彼女はエミリア。この国の王太女だ」
「王女様?」
しかも王太女ということは、彼女は次に女王になる人間だということだ。リートが驚いていると、エミリアがドレスの裾を摘まんで軽くお辞儀した。
「ミリィと呼んでね、リヒト様」
エミリアがそう呼んだので、リートはまた驚いた。
「どうして僕の名前を?」
「それが本名だとメルヒオルから聞いたの」
「ミリィ」
ルイスが咎めるように名前を呼んだが、エミリアは意に介さなかった。
「わたしはどちらでも気にしないもの。名前はちゃんと呼ぶべきだわ」
あっけらかんとしたエミリアの口調に、リートは自然と笑顔になっていた。
「ありがとうございます。でも僕のことはリートって呼んでください」
「あら、そんなに畏まらなくてもいいのよ。ルイスはいつもこんな調子だし」
エミリアはリートに屈託なくそう言ったあと、ルイスを呆れた表情で見つめた。
「それより、あなたはなにをやってるの? あなたはリートの騎士なんだから、揉め事は避けるべきでしょう。もしリートになにかあったら、あなたを抜擢したメルヒオルが責任を取らされるのよ」
エミリアの詰問にルイスが目を逸らした。ルイスがだれかにこんなに押されているのを見るのは初めてだったので、リートは新鮮な気がした。
「そういう君こそ、どうしてここにいるんだ」
苦しまぎれの言葉に、エミリアはまた肩を竦めた。
「授業をサボって木の上にいたら、クラウスが自分の従者に得意そうに話してるのを聞いちゃったのよ。だからここで待ち伏せてたの。ほかの人の邪魔が入らないようにしてね」
エミリアはリートのほうを見て、いたずらっぽく笑った。
「怖がらせてごめんなさい」
それを聞いて、リートはエミリアの登場の時機が良すぎたのも、自分が騎士たちに見つからなかった訳も知って納得したが、同時にひどく複雑な気分に襲われた。
ルイスも隣で文句を言いたそうな顔をしていたが、自分にも過失がある手前、反論できないようだった。
エミリアはそんなリートたちの反応も折り込み済みらしく、ちらりと笑って話を続けた。
「あなたは人の悪意に鈍感すぎるのよ。昔からクラウスがあなたを嫌ってるのを知ってるでしょう? おおかた、あなたがメルヒオルに抜擢されて、さらに有名になったせいで我慢できなくなったんでしょうけど」
「わたしが有名人だと?」
そんなわけがないだろうと言いたげな口調のルイスに、エミリアは呆れた顔で肩をすぼめた。
「今にわかるわ」
そう言ってから、エミリアがリートに笑いかけた。
「じゃあ、あなたが謁見に来る時にまた会いましょう、リート。そのときはわたしに会っても、初めて会ったって顔をしていてね」
そう言うと、エミリアは元通り頭巾をかぶり、二人に背を向けて去っていった。
エミリアがいなくなると、ルイスが口を開いた。
「すまない、リート。わたしのせいで君を危険な目に遭わせてしまった」
リートは口ごもった。
「いや、僕は勝手に勘違いして来ちゃっただけだし……王女様もいたのに、むしろ僕が邪魔してごめんっていうか」
ルイスが静かに首を振る。
「君は悪くない。君はわたしを心配して来てくれたのだから」
その言葉を聞いたとき、リートは自分の中にあったわだかまりが、跡形もなく溶け去っていくのを感じた。
なぜだろう。彼の口調は決して優しいものではないのに、いつも心のどこかが温かくなる。向こうの世界で、こんな話し方をする人間に出会ったことはなかった。
しかし、ルイスの表情に笑顔はなかったので、リートは少し不安になった。ルイスはどういうつもりで自分に悪くないと言ったのだろう。
もともとリートは、他人の感情を推し量ることがどうにも苦手だった。
「部屋まで送ろう」
ルイスに促され、リートはうなずいた。
「……うん」
リートはルイスのあとについて歩きだしたが、ふと思い出したことがあって立ち止まった。
「そういえば、謁見ってなんのこと?」
謁見に来る時にまた会いましょう。エミリアはそう言った。
「君が王族に会うということだ」
リートは固まった。
「そ、そんなの聞いてない……」
会ってどうしろというのだ。自分はだれかと話すのが苦手で仕方ないのに、和やかに会話などできるはずもない。しかも相手はこの国の最高権力者だ。なにか粗相をすれば斬り捨てられるかもしれない。
「わたしも初耳だが、ミリィが言うからには出まかせではないだろう。明日確認してみる」
しかし、リートはルイスの言葉をほとんど聞いていなかった。歩きながら、リートは心の中で恐れ戦いていた。
(……どうしよう)
刺客に剣を突きつけられたときでさえ、こんなに怖いと思わなかったのに。
自分の恐怖の観念は、どこかが根本的にズレているようだとリートは思った。
