第24話 服選び

「損な役回りだったわね、お兄様」
 二人が出ていったあとで、ガブリエレがそう言うと、ミヒャエルが茶器を片づけながら疲れたように笑った。
「まったくだな。だが結果は上々だ。これでわたしは正々堂々と彼に会いに行ける」
 ガブリエレはミヒャエルにさりげなく近づくと、少しねたような口調でささやいた。
「その言い方、まるでリート様を口説いているみたいね」
 するとミヒャエルは、まるで恋人にするように、ガブリエレの顎に手をやり、顔を近づけた。
「だれかを懐柔するのも口説くのもやり方は同じさ。違うのは目的だけだ」
 ガブリエレが、探るようなまなざしをミヒャエルに向ける。
「これからいったいなにが起きるの?」
「さあ。なにかが起きるとしても、わたしたちはただ舞台で踊ることしかできない」
 ミヒャエルはガブリエレから手を放すと、窓の外に目を向けた。
 その視線の先には遠ざかっていく馬車の姿があったが、彼の瞳はもっとはるか先を見つめているようにも見えた。グレーにも茶色にも見えるミヒャエルの瞳が、まるで未来を見通そうとするかのようにまたたき、そっと伏せられた。

 次の日、リートはミヒャエルの家に行くことになったてんまつと、そこであったことを訪ねてきたエミリアに話した。
 ルイスと口論になった話をすると、それは当然よと、彼女は真剣な顔で同意してくれたが、妹のガブリエレに迫られた下りでは、思いきり笑われてしまった。
「わたしやルイスのことを悪く言ってたでしょう」
 リートが驚いていると、エミリアが言葉を続けた。
「ガブリエレとはよく宴で顔を合わせるの。お互いに仲良くお話してるわ」
 彼女のお話という言い方にはどことなく不穏なものが感じられたが、リートはあえて突っ込まなかった。
「でもミヒャエルとは挨拶したことしかないのよね。あなたは大学の同級生だから、わたしより詳しいでしょう?」
「そうなの?」
 リートは驚いてルイスを見た。
 そんな話題はただの一度も出なかった。ミヒャエルはなにも言わなかったし、ルイスはルイスで、穏やかに会話できる状況ではなかったから、仕方がなかったが。
 問われたルイスはむっつりとした表情で横を向いた。
「ただの同級生だ。学部も違うし、話したこともない」
 ルイスのそっけない態度にリートは首を傾げた。それであそこまでミヒャエルを毛嫌いできるものなのだろうか?
 エミリアも探りたそうな顔でルイスを見ていたが、結局話題を変えた。
「でも彼は変よね。名門出身で嫡男なのに、わざわざ騎士団に入るなんて。議員になれば、即重要な役職に就けるのに」
 エミリアの言葉にリートはまた驚いた。
「ミヒャエルの家はそんなに偉いの?」
「ええ、彼の家柄と身分なら宰相も狙えるわ。でも、彼のお父様は早くに亡くなられたから、なにか思うところがあったのかもしれないわね」
「そうなんだ……」
 そんな人間に紅茶をれてもらったり、気軽に話したりしてよかったのだろうかと、リートは申し訳ない気持ちになった。
 だが、ミヒャエルはきっと、身分や形式を気にするような性格ではないのだろう。そうでなければ、わざわざ自分の家に呼んだりはしないはずだ。
 しかし、彼の家は名門貴族が住む屋敷にしては、こぢんまりしすぎているようにリートには思えた。父親がいないのは仕方ないとしても、母親や、ほかの親族は住んでいないのだろうか。それに、彼の屋敷には住み込みの召し使いが一人もいない。
 エミリアはそのことを知っているのだろうか?
 リートがそんなことを考えていると、エミリアがじっとこちらを見ているのに気づいて、リートははっとした。
「それはそうとリート。あなた、わたしとの約束を破ったわよね」
 リートはうっと言葉に詰まった。
「なにかあったら、わたしかメルヒオルに相談する。そういう約束だったわよね」
「ごめんなさい……でも」
「言い訳はなし」
「で、でも! 僕がだれかに相談する前にいつも事態が急変して、結局僕一人で全部決めないといけなくなるんだ。ユーリエのときもゾフィーのときもミヒャエルのときも、まるで僕が決めなきゃ駄目だって言われているみたいに」
 リートは必死に弁明したが、エミリアは、まるで聞き分けのない子どもの言い訳を聞く母親のような態度だった。
「そうね。そうかもしれないわ。でもね、あんまりなんでもかんでも自分で決めていると、ここにいるだれかさんみたいに、だれの言うことも聞かない頑なな人間になってしまうでしょう? それがわたしは心配なの」
 ルイスが眉を上げてエミリアを見た。
「まさかとは思うが、それはわたしのことを言ってるのか」
「あなた以外にだれがいるっていうの。手柄を立てた数は一番多いけど、注意を受けてる回数も、あなたが一番多いのをお忘れじゃないでしょうね」
「私利私欲で規則を破ったことはない。人を助けるためだ。むしろ、だれの言うことも聞かないのは君のほうだろう。授業はすっぽかすし、王妃様の言うことを聞かず決闘するし――」
「なにかとびっきりの罰則を考えないとね」
 ルイスの指摘を無視してにっこり笑うエミリアに、リートは苦笑いを返すしかなかった。いったいなにをやらされるんだろう。
「リートがミヒャエルを気に入ったなら、わたしにはいろいろと都合がいいわ。リートが彼を呼んできてくれたら三人で話ができるし、これから楽しみね」
「違う、四人だ。わたしを忘れてもらっては困る」
 ルイスが即座に反論したが、エミリアは取り合わなかった。
「いいえ、三人よ。その場合、あなたはそばで立ってるだけに決まってるでしょう。口を挟むのは禁止よ。ね、リート」
「う、うん……」
 リートがうなずくと、ルイスはむっとした顔で横を向いてしまった。
 エミリアが帰ったあとも、ルイスの機嫌はよくならなかった。
 リートは、ミヒャエルとのあいだになにがあったのか訊きたくてて仕方なかった。ルイスの言い方では、過去にミヒャエルとなにかあったとしか思えない。だが彼はとても頑固だから、追及してもきっと答えてくれないだろう。
 諦めてリートは話題を変えることにした。
「そういえば、ミリィ様が来る前になにか言いかけてたよね? なんの話だっけ」
 すると、ルイスは少しためらいがちにリートのほうを見た。
 そんなルイスの態度を見るのは初めてだったので、リートは意外に思った。
 彼がここまでしゅんじゅんするなんて、いったいなんだろう?
「宴でルーツィアに会ってほしいんだ」
 どこかで聞いた名前にリートは首を傾げたが、思い出せなかった。
「ルーツィアは、わたしの婚約者だ」
 それを聞いたとき、リートはルイスがあやうく水差しの水をぶちまけそうになったことを唐突に思い出した。
「もちろん会うよ。ルイスの大切な人なんだろう?」
 リートが急いでそう言うと、ルイスはリートが今までに見たことがないほど嬉しそうな顔になった。
「ありがとう」

「ってことがあってね、僕は罰則を受けないといけなくなったんだ」
 リートがそう言うと、ユーリエは少し心配そうな表情になった。
「それは大変ですね」
「禁止事項を破ったのは僕だから、仕方ないことだけどね」
 エミリアのことだから、学校でやらされるような書き取りとか、掃除とか、そんなありふれた罰則ではないはずだ。
「あの、リート様」
「なに?」
 ユーリエのほうから話を切り出すのはめっにないことなので、リートは少し驚いた。
 ユーリエが目を伏せたまま口を開く。
「前にわたしが宴に行かないのは、ゾフィー様が出てはいけないからだと申し上げました。でもわたしは……許可されているとしても行かないと思います」
「どうして?」
「人が怖いからです。人はとても勝手で、自分のことしか考えていないから」
 リートは彼女が語ってくれた過去を思い出した。
 彼女は両親に捨てられたのだ。保護されてからも、ゾフィーには人は信用できないと教えられている。そう思うのも無理はなかった。
「でも、リート様と一緒にいるときは怖くないかもしれません」
 リートはユーリエの言葉にどきりとした。
 この世界に来てから、リートはユーリエの素直すぎる言葉に動揺させられてばかりだった。普通の人なら直接的な発言は避けて、人を傷つけないように、角が立たないようにもう少し曖昧な言い方をするものだ。
 ルイスもそういうところがあるが、彼はむやみやたらと自分の気持ちをリートに言ったりしないし、リートとは常に一定の距離を保っていた。
 しかし、ユーリエにはそれがまったくなかった。
 たぶん、彼女は本当に思ったことしか口にしないのだ。
 おかげでリートは、毎度彼女の言葉に緊張させられてしまう。
「僕といてもあんまり面白くないと思うけど」
 リートは遠慮がちに言った。
「向こうじゃ大人しいとか無口で通ってるし」
「そんなことはありません。リート様は優しい方ですから」
 真剣な表情でそう言われ、リートは否定もできずありがとう、と曖昧に笑った。
 優しいと言われたことは何度かある。だが、自分が本当に優しい人間だとリートは一度も思ったことがなかった。いつだって自分は嫌われるのが怖くて、人に優しくしていたように思った。だれかに優しくしたいと心から思ったことなんてあっただろうか。
 優しいとは、どういう人のことを言うのだろう。リートは自問したが、それらしい答えは頭に浮かんでこなかった。

 リートとルイスが聖殿から戻ると、普段人気のないはずの廊下に数人の侍女たちが部屋の前に群がっていたので、リートはルイスと顔を見合わせた。
「なにかあったのか?」
 ルイスが侍女たちに近づいて訊ねたが、彼女たちは顔を赤くしてうつむくだけだった。
 部屋からは女性たちのにぎやかな声が聞こえてくる。
 訝しげに思いながら部屋に入った途端、リートは目を丸くした。
 部屋の中には衣装掛けが運び込まれ、色とりどりの服が所狭しと掛けられている。
「……これは何事?」
 リートのつぶやきに答えたのは、衣装を片手に吟味しているエミリアだった。
「なにって、衣装選びに決まってるでしょ。その格好で宴に出るつもりだったの? 聞けばあなた、仕立屋が来たときは部屋を追い出してしまったって言うじゃない。それに、前から気になってたのよね、あなたの格好」
 いきなりエミリアにずいと近寄られ、リートは思わず後ろにのけぞった。
 言われなくてもわかっている。自分はいつもシャツと長袴ズボン深靴ブーツを履いているだけで、ミヒャエルのように胴着ベストも上着も着ていなかったし、首に飾りもつけていない。
 今の自分の格好はおしゃれとはほど遠かった。
 だが天啓者用の衣装は裾が長すぎて転びそうになるし、有事の際は逃げられないので仕方がなかった。
「でも、こんなにあったらなにを着ていいかわからないよ」
 リートが困惑しながら言うと、エミリアは意味ありげな笑みを浮かべた。
「そう思ってすけを呼んであるわ」
「やあ、リート。それにルイスも」
 朗らかに挨拶してソファから立ち上がったのは、先ほどリートが思い浮かべた人物だった。
「ミヒャエル」
 リートは驚いてミヒャエルを見た。衣装に圧倒されて気づかなかったが、彼はずっとここにいたらしい。昨日とは違うが、今日も洒落た格好をしている。
 ルイスが警戒する目つきになる。
「なぜおまえがここに」
「王女に呼ばれたから参上したんだが?」
「そんな理屈が通用すると思ってるのか? ミリィ、君も君だぞ。正式に婚約の発表もしていないのに、休日に宮殿に出入りさせるとは」
「そう? 侍女たちはみんな大歓迎みたいだけど」
 そう言って、エミリアが開いたままの扉にちらりと目をやる。
 廊下にはさっきの侍女たちがまだ残っていて、こちらの様子を窺っていた。ミヒャエルが笑顔を向けると、侍女たちが一斉に色めき立った。顔を赤くしている者もいる。
 どうやら彼女たちは、ミヒャエルが宮殿に来ることを知って、ここに駆けつけてきたらしい。
 ルイスがつかつかと扉のほうに歩み寄り、扉を閉めた。
「そういう問題じゃない」
「服は自分自身を表すのよ。なにを着るか選ぶのはとっても大事なことだわ」
 そう言ってエミリアが胸を張る。
 リートは困った。自分にそんな大層な考えはない。動きやすくて、機能的ならそれでよかった。おしゃれなんて、自分には似合わない。
 ルイスがエミリアを睨む。
「君の考えをリートに押しつけるな」
「べつに押しつけてなんかいないわ」
「リートが着たいものを着ればいいだけのことだろう。服で人間性は決まらない。服を選べるからなんだ。それはその人間が裕福だというあかしでしかない。それがそんなに偉いことなのか?」
 いつもの調子で議論しはじめた二人に、リートはさすがにうんざりしてきた。ただでさえ、今はユーリエに言われたことで頭がいっぱいなのに。
「ルイス、そこまで言わなくてもいいよ。ミリィ様ももういいから。僕はべつに着るものなんてなんでもいいし、笑われても平気だから」
 リートは早口で言うと、すぐに口を閉じた。
 なんと反論されても取り合わないつもりだった。
 しかし、リートの予想に反して、二人はなにも言い返してこなかった。
 ルイスもエミリアも、互いにバツの悪い表情を浮かべ、一言も発そうとしない。
 部屋の中がしんと静まり返ってしまったので、リートは内心慌てた。
 言いすぎてしまったのだろうか。
 沈黙を破ったのは、三人の様子を黙って見ていたミヒャエルだった。
「エミリア。わたしたちはしばらく席を外そう。本人に選ぶ気がないなら、ここにいても仕方がないだろう」
 エミリアがややあってからうなずいた。
「……わかったわ」

 衣装掛けが撤収され、元の状態を取り戻した部屋の中で、リートは両腕にクッションを抱えてソファにすわり込んでいた。
 なぜ自分が話すとこうなってしまうのだろう。気を使わせたいわけじゃないのに。
「そんなに気にする必要はないぞ、リート。ミリィは君を着せ替え人形にして遊びたかっただけだ」
「そうかもしれないけど……言い方が悪すぎたよ。なんでもいい、なんてさ」
 リートはクッションを胸に抱えたまま、ソファに寝転んだ。
「本当はさ、自信がないんだ。なにを着たところで僕が僕であることには変わりないし、いきなり社交的になれるわけじゃない。どうせ楽しくなくて、がっかりするに決まってるんだ。どうせ僕は主役って柄じゃないんだから」
「だれがそんなことを言ったんだ」
「……僕だね」
「どうしてそんなことを気にするんだ?」
 寝転んだままの体勢で、リートは答えた。
「どうしてだろうね。結局僕は、人の言うことを聞かずに勝手にいろいろやってるし……知りたいと思ったらほかのことは頭からすっ飛んじゃうし……どうしようもないよ」
 これでは主役ではなく、ただの悪目立ちだとリートは思った。
「だがそれが君のいいところだ」
「メルヒオルにも言われたよ。でも自分で決めだしてからは失敗ばかりだ」
 規則を破ったり、人に気まずい思いをさせたり、心配させたり。挙げだすとキリがない。
「ユーリエを助けたことは失敗か?」
 ルイスにそう問われ、リートは言葉に詰まった。
「それは」
「わたしを助けようとしたことは? 知りたいことがあるから君はミヒャエルについていった。褒められたことではないが、君は目的を果たした。それは失敗なのか?」
 リートは寝転がるのをやめて、ソファにきちんと坐り直した。リートが想像したとおり、ルイスはいつものように、真摯さを湛えた瞳でリートを見つめていた。
「君はきちんと自分の意思で決めている。周りがどう言おうと、それは失敗なんかじゃない」
 メルヒオルの言葉がよみがえる。
(君は君の思うとおりに)
 リートはルイスのほうを見た。
「衣装、選んでみるよ。せっかくの機会だし」
「そうか」
「うん」
 リートはうなずいた。
 気は進まないが、他人が選んだものをそのまま着るよりは、自分が選んだものを着たほうがいい。リートはそう結論づけた。