第25話 練習

「さっきはごめんなさい、リート。あなたの気持ちを考えずに先走って」
 また衣装掛けが運び込まれた部屋で、エミリアはそう言ってリートに謝ってくれた。
「いいんだ。ミリィ様は僕のことを考えていろいろ用意してくれたんだから」
 リートがそう言うと、エミリアがドレスの裾をちょっと摘まんで持ち上げた。
「わたしもね、べつにそんな大層な理由でこんな格好をしてるわけじゃないのよ。さっきはルイスとミヒャエルの手前格好つけちゃったけど。深靴ブーツを履いてるのはかかとの高い靴を履くと足が痛くなるからだし、裾が短いのは動きにくいから。ただそれだけのことよ。足を出すなんてはしたないって、ゾフィーはうるさいけど」
「そうなの?」
 リートは拍子抜けした。エミリアはおしゃれというよりも、機能性を考えて服を選んでいるらしい。
「そうよ。あとはなんていうか、意地ね」
「意地?」
 リートは首を傾げた。好きな格好をすることがなぜ意地なのだろう。
 エミリアが意味深げに笑う。
「女にはいろいろあるの。だから気にしないで」
 服をあらかた選び終わってから、リートは三人に切り出した。
「あのね、相談があるんだけど……」
 話し終わったあとで、エミリアが驚いた顔でリートを見た。
「ユーリエと友達になりたいの?」
「メルヒオルにかれたからそう答えたんだ。でも具体的になにをしたらいいのかわからなくて」
 リートはうつむいて小さな声で言った。
「……僕は向こうの世界に友達がいないから」
 しかし、エミリアはそのことについてリートにはなにも言わなかった。
「特別なことなんてしなくていいわ。話をするのでも、遊ぶのでも、お菓子を食べるのでも、一緒にいて楽しければもう友達よ」
「じゃあ、僕とミリィ様は友達?」
 リートが顔を上げて言うと、エミリアがうなずいた。
「そう、とっくにね。でもそんなこと気にしなくていいのよ。友達だからああしなきゃとかこうしなきゃとか、そういうことに縛られるのが一番よくないと思うわ。そう思わない?」
 そう言ってエミリアはルイスとミヒャエルのほうを見たが、ミヒャエルは曖昧に笑って肩を竦めただけだった。
「わたしは知り合いは大勢いても、友達と呼べる人間はいないからわからないな」
「わたしもわからない。わたしの友達はグラニだけだ」
 ルイスの答えに、エミリアが呆れた表情になった。
「あなたたちって……なら、友達がいない者同士で友達になれば?」
「断る。なぜ仕事以外でおまえと顔を合わせなきゃいけないんだ」
 ぜんとした顔でルイスが答えると、隣でミヒャエルが軽やかに笑った。
「わたしもいやだな。友達にするにはおまえは堅苦しすぎるし、冗談が通じなすぎる」
 リートは二人を見ながら混乱していた。
 ルイスもミヒャエルも友達がいないのに、なぜこんなに堂々としていられるのだろう。リートのいた国では、友達がいないというのは恥ずかしいことで、まったく自慢にはならないことだった。
 まだ言い合いをしている二人をよそに、エミリアがソファからさっと立ち上がった。
「あんな人たちは放っておいて、舞踏の練習でもしましょうか、リート」
「舞踏?」
「今回の宴は立食形式だから、舞踏もあるわ。坐って見ているだけでもいいけど、それじゃ退屈でしょう」
「でも僕、踊れない……」
「大丈夫」
 そう言って、エミリアが自然な動作でリートに手を差し出したので、リートは反射的にその手を取った。しかし、それが大きな間違いだった。
 エミリアはリートを引っ張って立たせると、もう片方の手をリートの腰に当てて引き寄せると、がっちり身体を固定した。
(……なにこれ)
 踊り方は知らないが、映画で何度か見たことがある。しかし、腰に手を当てるのは女性ではなく男性だったはずだ。
「ちょっとミリィ様」
 リートは慌てて抜け出そうとしたが、エミリアの力が強いので動こうにも動けなかった。
「大丈夫、身体の力を抜いて」
 耳元でそう囁かれ、リートはなんとか冷静になろうと努めた。
(し、刺激が強すぎる……)
 エミリアにリードされるままにリートは踊っていた。
「ありがとう、リート。一度男性パートで踊ってみたかったのよ」
「……どういたしまして」
 リートは満足げな表情のエミリアにそう返しながらも、内心ひどく複雑な気分だった。本番でも同じことをされるのは勘弁してほしい。
「あ、そうだ。いいことを思いついた」
 エミリアがぱんと手を合わせる。
「宴の日まで、わたしと舞踏の練習をしましょうよ」
「えっ」
「なんだリート、王女から直々に教えてもらえるなんて、この国にいる未婚の男たちが聞いたらみんな羨ましがるぞ。できるならわたしと代わってほしいくらいだ」
 ミヒャエルが朗らかな調子でそう言うと、エミリアが訝しげな顔になった。
「わたしが教えなくても、あなたはばっちり踊れるでしょう?」
「練習するのが舞踏だけとはかぎらないだろう?」
 そう言って意味深長な笑みを浮かべるミヒャエルを、ルイスがじろりと睨んだ。
「ミヒャエル、向こうの法律ではリートは未成年だ。そういうことを言うのはよせ」
「こちらでは成人年齢だ。子ども扱いせず、大人として扱うべきだと思うが?」
「あー、でも僕はまだこっちの世界じゃ知らないことだらけで、教えてもらわないといけないことばっかりだし……それはちょっと困るかな」
 子どもなら知りませんでしたで許されるが、成人年齢でうっかりなにかしでかせば、それ相応の責任を取らなければならなくなる。
「大丈夫よ、リート。ルイスは子どもだろうが大人だろうが対等に接するし、間違っていると思えば容赦なく説教しはじめるから。たとえ相手がわたしでもね」
「当然だろう。それが臣下たる者の務めだ。それより話がれているぞ。舞踏の話だろう」
「舞踏は覚えていて損はないぞ、リート。人と話すよりはいくらかこちらのほうがマシなはずだ」
「そ、それはそうだけど」
 ミヒャエルの言い分にリートが反論できずに言葉を詰まらせると、エミリアが口元を上げた。
「じゃあ決まりね」
「ちょっと待ってよ、僕はそんな」
 リートは慌ててそう言ったが、エミリアは取り合わなかった。
「だーめ。だってこれをあなたへの罰則にするから」
「そんなぁ」
「あまり厳しくしすぎるなよ、ミリィ。君はなんというか、いつも根を詰めすぎるからな」
 ルイスがそう言うと、エミリアは腰に手を当ててふふっと笑った。
「そのためにあなたが監視するんでしょ」

「も、もう無理。勘弁してミリィ様……」
「もう? まだ一時間しか経ってないわよ、リート」
「もう一時間だよ……」
 言いながらリートは床に足を投げ出してすわんだ。リートのなけなしの体力はとっくに底を突いていた。
 なにせ向こうの世界では本ばかり読んでいたのだ。身体を動かすことが嫌いなわけではないが、授業でやる体育は大嫌いだった。
 リートは身体を使ってなにかを習得するのに、人よりもかなり時間がかかってしまうほうだった。学校の授業時間だけでは、覚えてできるようになるまでにいつも時間が足りなかった。
「舞踏の前に、リートは基礎体力をつけたほうがよさそうね。わたしと一緒に毎朝走ってみる?」
「毎朝?」
「ええ。わたしの日課なの。走ったあとは剣の稽古。勉強も体力が大事なのよ。身体が健康じゃないと、集中力は続かないわ」
「え、遠慮しとく……」
 ルイスといいエミリアといい、彼らはけんさんを積むことに余念がない。なぜそんなに自分のために頑張れるのか、リートには理解できなかった。納得できたのは、エミリアがあれだけお菓子を食べても体型を維持できていることくらいだ。
「あまり根を詰めるなと言っただろう。最初から飛ばしすぎだ」
 先ほどから目の前で繰り広げられる舞踏の特訓を、ルイスは呆れた顔で見ていた。
 エミリアが腰に手を当ててルイスを見る。
「わかってないわね。何事も基礎が肝心なのよ。ここさえきちんとやっておけば、いくらでも応用が利くわ」
 そう言うとエミリアは優雅に一回転して、ルイスの前でぴたりとポーズを決めてみせた。
「なんなら、あなたにも一から教えてあげましょうか?」
 指先まで神経が行き届いた所作にリートは感嘆したが、ルイスは迷惑そうな表情を浮かべただけだった。
「余計なお世話だ。差し支えがない程度には踊れる」
「知ってるわ。でもルーツィアは優しいから、あなたに気を使ってるのよ」
 エミリアがにこりと笑って言うと、ルイスが憮然とした表情で押し黙った。どうやらこれは図星だったらしい。
 エミリアがルーツィアの名前を出すたびにルイスがなにも言えなくなるので、リートはルーツィアがどんな女性なのか気になって仕方がなかった。
「ルイス、ルーツィアってどんな人なの?」
「そうねぇ、ルーツィアは一言で言うと――」
「ミリィ! 余計なことは言わなくていい」
 ルイスが珍しく焦った顔になると、エミリアが人の悪い笑みを浮かべた。
「そうね、会ったときのお楽しみってことで」

 最初は渋々やっていたが、リートは踊るのがだんだん楽しくなってきていた。
 エミリアの指導は厳しかったが、リートが何度同じ失敗を繰り返しても決して怒らず、一緒に原因を考えてくれた。
 罰則と言いながら、自分より指導する彼女のほうが大変なのではないかとリートは思ったが、それを言ってもエミリアは気にしないでと笑っただけだった。
「全然大変じゃないわ。むしろ助かってるのはわたしのほう。勉強の合間の息抜きにちょうどいいわ。それにね、ただサボるなら怒られるけど、宴の日のために舞踏を教えているんですって言ったら、みんな感心こそすれ絶対怒らないのよ」
 エミリアが顎に手を当てて笑う。
「ほかにもこの手はいろいろ使えそうだわ。あなたに字を教えるとか、乗馬を教えるとか、礼儀作法を教えるとか」
 ルイスが呆れた表情になる。
「結局自分のためじゃないか。そんなことだろうと思ったが」
「いいじゃないの。わたしにもリートにも得があるんだから。それにしてもらうばかりじゃリートだって気を使うでしょ。というわけで、心配は無用よ」
 そんなこんなで、宴までの時間をリートは舞踏の練習に明け暮れて過ごした。