第22話 半年後(1)

 砂時計の砂が落ちきったのを確認してから、シュンはティーポットから紅茶をカップに注いだ。
「メグ、できたよ」
 シュンが茶器の載った盆をテーブルに置いてから声をかけると、リビングで携帯電話をいじっていたメグが嬉しそうにソファから立ちあがった。
 ちなみにお茶請けは、メグが買ってきたカスタード入りの鯛焼きだった。ここに来てから半年が経過しても、彼女はまだ鯛焼きに飽きていないらしい。
「瞬は天才ゲームクリエイターなの? 雑誌に書いてあったけど」
「……そんなこと書いてあったの?」
 メグがにっこり笑い、手のなかに出現させたタブレット端末を持ち上げてみせる。それはシュンが会社で使っていたものだった。
 取材を受けた雑誌は紙媒体で贈ってもらったのだが、メグが読みたいというので電子版を買ったのだ。タブレット端末なら読み上げ機能があるから、文字が読めなくても問題ない。
 半年前に、シュンの作ったゲームアプリが海外で人気だという情報がニュースサイトで取り上げられてから、国内のユーザー数は飛躍的に上昇した。課金システムを導入してからも、収益は順調に伸びている。
 取材の数も増えた。この雑誌はそのうちのひとつだ。
「天才……うーん、なんか響きが胡散臭い……それは周りが勝手に言ってるだけで、俺はただの変わり者だと思うよ。それに売れたのは運がよかっただけだし。あとは君のおかげ」
「あなたはいつも謙虚ね」
「……そうかな」
「だって、わたしはちょっと気に入らないもの。助言なんてするんじゃなかったって後悔してる」
「どうして?」
 シュンが驚いて言うと、メグは手にしていた端末をちらりと見てから答えた。
「あなたが人気者になったら、わたしが独り占めできなくなるから」
「そんなことにはならないよ。どうせみんな成功してる俺に興味があるだけで、俺自身には興味がないんだから」
「ちょっと話せば、みんなあなたのことを好きになるわ。こっちの世界の人たちは、みんな先入観を持って人を見ているから、あなたの良さに気がつかないだけ」
「そうかなぁ、俺はどこまでいっても社会不適合者だと思うけど……」
(わたしたちは外見に囚われず、人の本質を見抜ける)
 ジーンはそう言っていたが、彼らはいったいどうやって人を判断しているのだろう。
「瞬、あなたはもっとお金が欲しい?」
 メグに真剣な表情でそうかれ、シュンは口ごもった。
「べつにそんなに欲しいとは思ってないけど……生活するのに困らない程度にあればそれでいいよ」
(それから君を、公園で鯛焼きを食べる以外のデートに連れていくお金があれば)
 シュンは心の中でそうつぶやいた。
 でも、この部屋に住めなくなるのは惜しいかもしれない。
 そう思いながら、シュンは部屋を見渡した。
 シュンとメグは、前のアパートから1LDKの賃貸マンションに引っ越していた。
 この部屋は何軒も下見した末に、メグと相談した上で決めた物件だった。おかげで台所は広くなったし、食事はダイニングで摂れるようになった。個室はメグが使うことにしたので、家具もひと通り揃えた。と言っても、メグは四六時中シュンと一緒にいたがったので、寝るときしか使っていなかったのだが。
「前にわたしが言ったこと、覚えてる?」
「覚えてるよ。君のところでは、生活するためにお金を稼ぐ必要がないんだろ?」
「ええ。病気になっても、必ず周りに住んでる人たちが助けてくれるし、重い病気になれば医師が派遣されてくるから」
「その人たちは、どうして報酬がなくても働こうって思えるの?」
「彼らは人を助けるのが好きだから医師をやっているの。治療の研究をするのが好きで、ずっとその研究に明け暮れている人もいる。それが役に立っても立たなくても、その成果はわたしたちの共有の財産になる。そしてわたしたちの世界は前よりもっと豊かになる。それでみんな満足なのよ」
 シュンは苦笑した。
「……うちじゃ到底無理だな。絶対に独り占めして金儲けしたい人間が出てくる。嫌いな人間とはなにも分け合いたくないって人間も」
 だからこの世界には法律があり、罪を裁く機関がある。そして法律の抜け穴を突いて、人より少しでも多くの財産を持ち、自分の子供に引き継がせようとする。
 金がなければ、シュンのいる世界では有利に物事を進められない。
(俺は大学行けなかったし)
 だが、自分よりもひどい暮らしをしている人間はたくさんいる。
 病気や能力の問題で仕事につけない人間、明日食べるものにさえ事欠く人間、お金があっても両親から虐待を受けている人間、自分に自信を持てない人間、犯罪に手を染めるほど精神的に追い詰められている人間、生きる理由を見いだせず、毎日死にたいと思っている人間――。
 自分だって、そっち側の人間だったかもしれない。
(俺はたまたま運がよかっただけだ……)

(俺にできることって、なにかないのかな)
 シュンは最近、そんなことを考えていた。だが、困っている人間を大勢救済できるのは、シュンの住んでいる国では政府機関だけだ。個人の力では、しかも自分程度の財産では限界がある。それに自分だって、病気や事故に遭って働けなくなって、また貧しい生活に逆戻りするとも限らない。
 最近図書館で借りた本には、税金は、環境に恵まれなかった人間を助け、支えるためにこそあるのだと書いてあった。そうしてこそ社会は発展し、今よりも豊かになる。  だが別の本では、それはただの建前で、古代から国家というものは、支配するだけでなにも生産しない人間――為政者や官僚、軍人などを食べさせるために税を徴収してきたのだと書いてあった。確かにそう考えると、この国の議員たちが人助けにまったく熱心ではないことにも説明がつくとシュンは思った。ごく一部の貧しい人間を救ったところで、票にも金にもならないからだ。この国の大半の人間も、そのことには無関心だ。わざわざ税金を使って救済などしなくていい、死ぬのは自業自得だと考えている。
(――ほんと、勝手だよ)
 死んだほうがいい人間なんて、この世界のどこにもいないのに。
「瞬、もう食べないの?」
 メグの声で、シュンは現実に引き戻された。フォークに突き刺していた食べかけの鯛のポワレは、そのあいだにすっかり冷えてしまっていた。
「食べるよ。ちょっと考え事してただけ」
 シュンが笑顔を作って言ったが、メグは心配そうだった。
「無理して来なくてもよかったのに。外で食べるのは好きじゃないんでしょ?」
「大丈夫だよ。今日は君がいるし」
 メグをこの店に連れてこられた時点で、シュンは半分以上は満足していた。料理はそのおまけのようなものだ。
 お金がないときは、見栄を張っているだけだと自分に言い聞かせてきたが、やっぱり一度くらいはこういうことをしてみたかった。
「それよりどう? 初めてのフルコースは」
 シュンがたずねると、メグは皿を持ち上げて、食べかけの料理をしげしげと見てから答えた。
「そうね、どれも美味しいし、見た目も素敵だけど……わたしは瞬の作った料理のほうが好きだわ」
「安上がりだな、メグは」
 だがそういう自分も、そこまで美味しいとは思っていなかった。
 ひと口目は確かに美味しいのだが、ずっと食べているとだんだん飽きてしまう。
(一度こういうところに来てみたかったけど、やっぱり俺って庶民なんだろうな……)
 しかも、周りは着飾った男女ばかりで、肩身が狭いことこの上ない。一応この日のために新調したジャケットと革靴で来たが、ものすごく浮いている気がする。
(みんな俺より金持ちなんだろうな……)
 そう思いながら、シュンはグラスに注がれた白ワインをひと口飲んだ。
 美味しいのかは、普段から飲んでいないからよくわからない。
 ワインのことは事前に本で調べたが、結局どれを飲めばいいのかよくわからず、店員に適当に見繕ってもらった。
 それよりも今日は、メグの着飾った格好を見られたことのほうが嬉しいかもしれない。
 メグの姿を眺めながら、シュンはそう思った。
 今日のメグはワンピースではなく、白のニットに、プリーツの入った黄色のロングスカート姿だった。シュンがデパートで服と靴を買ったときに、メグもコートから靴まで一式揃えたのだ。服を試着するときに、メグに選んでほしいと言われたが、シュンは丁重に断って店員に任せた。
 おかげでいいものが見られたと、シュンは満足していた。
 女性の服のことはわからない。プロに任せるのが一番だ。
(でも、着せ替え機能を実装するのはありだな)
 しかも課金ありで。
「なに?」
 見られていることに気づいたメグがシュンのほうを見たが、シュンはさっと視線を逸らした。
「いや、なんでも」
 彼女のことを考えていたのに、途中からゲームの構想に脱線していたとは言えない。
 本音を言えば、彼女がきれいだと率直に褒めたかったけれど、そんな柄にもないことはとても言えそうになかった。
 いつもそんなふうに、なにかがつっかえたように言葉が出なくなってしまう。口に出す前にためらってしまう。
、ずっとつけてくれてるんだなと思って」
 シュンが耳を触りながらごまかすように言うと、メグが微笑んだ。
「当然よ、あなたがくれたものなのに」
 メグの耳に光っている真珠のイヤリングは、シュンが贈ったものだった。
 メグの正式名であるマーガレットには、真珠という意味があるので、贈るならこれがいいと思ったのだ。
「でも、最近はいろいろ買ってもらってばかりでなんだか申し訳ないわ。わたしはただの居候なのに」
「そんなことないよ。仕事だって手伝ってくれて助かってるし……恋人なのに、俺は今まで君になにもあげられなかったんだから」
 ほんの数か月前までは、デパートに行っても眺めるだけでなにも買えなかったし、本物の鯛ではなく、鯛焼きばかり食べていたのに。
「……そんなことないわ」
 メグは持っていたフォークとナイフを皿の端に置き、真剣な表情でシュンを見つめた。
「あなたはわたしにいろいろなものをくれたわ」
 シュンは吸い込まれるように、彼女の黒目がちな瞳を見た。
 彼女が自分を傷つけないために言っているようには聞こえなかった。
「君は……」
「なに?」
「いや、なんでも……」
 シュンは視線を逸らした。
(俺はなにを言おうとしたんだろう?)
 そうだ、自分が彼女になにをあげたのかきたかったのだ。
 でも、それを訊くのはなぜか怖かった。
「そういえば、メグの誕生日っていつなの?」
 話題を変えるために、シュンはそう質問した。
 今度は誕生日になにか贈りたい。そう思っていた。
 メグがきょとんとした顔になる。
「誕生日って、生まれた日のこと? 記録には残ってると思うけど、知らないわ。わたしたちは年が変わったら自動的にひとつ歳をとるから。その日にみんなでお祝いするの」
(数え年ってやつか)
「ちなみに歳は二十五よ」
 ということは、満年齢なら二十二か三だ。
「俺は次の誕生日が来たら二十六。こっちは、誕生日がきたらひとつ歳を取るんだ」
「誕生日、いつなの?」
 しまった。シュンはなんとかごまかそうと思ったが、諦めることにした。
「えーと、実は昨日……」
 シュンが目を泳がせながらそう言うと、メグが目を見開いた。
「うそ、どうして言ってくれなかったの?」
「いや、その必要性を特に感じなかったから……」
 昔からシュンにとって誕生日は、ただひとつ歳を重ねるだけの日にすぎなかった。
 母はどんなに仕事が忙しくても、シュンの誕生日には必ず休みを取ってくれていたが、中学生になってからは、わざわざ休まなくてもいいとシュンのほうから断っていた。
「だからここに来たの?」
「そういうわけじゃないよ。予約するときにこの日がたまたま空いてたんだ。昨日も朝起きてから、誕生日だったことに気づいてさ。でも、自分から言うのも変だろ? 俺、今日誕生日なんだ、なんて」
 シュンは冗談めかしてそう言ったが、メグは笑わなかった。
「……瞬」
 じっとメグがシュンを見つめる。
「な、なに?」
「誕生日おめでとう」
 いつもの笑顔ではなく、真面目な表情で言われ、シュンは戸惑いながら頷いた。
「うん……ありがとう」
 だれかにおめでとうと言われるのは、ずいぶん久しぶりな気がした。