メグの部屋に入ると、シュンは落ち着かない気分で床に敷いてあるクッションに坐りながら言った。
「それでさっきの、どういう意味? 俺に向こうに行く資格があるって」
「あなたには資格があったのに、こちらの都合で招待されなかったの」
「都合って……間違って違う人を招待しちゃったとか?」
重苦しい雰囲気をなんとかしようと、シュンは冗談めかして言ってみたが、メグは笑わなかった。
「瞬、あなたのお父さんはね――もともとこちら側の世界の人間だったの」
まさか、
「……それ、最初に会ったときから知ってたの?」
「いいえ。ここに来る前にジーンに訊いたの。あなたは成人しているのにすぐに力が使えたから、もしかしたらそうじゃないかって。でも……あなたのお父さんは問題の多い人で、わたしたちの世界から追放されてしまったの。そのせいで、管理者たちはあなたがこちらにくることを認めなかった。アイオーンは、あなたに資格があることを認めて巫女に伝えていたのに」
そこで言葉を切ると、メグはうつむいた。
「だから、今からでもあなたを招待してってジーンに頼んだけど、無理だって断られた。アイオーンが認めていても、こちらで成人した人間は、向こうの世界に住む資格がなくなってしまうの。それが決まりだから」
「だから俺に会いに来たの? 俺が向こうの世界と関係ある人間だから」
メグが答えるまでには、少し間があった。
「いいえ、そうじゃないわ。……あなたがわたしの運命の人だから」
「運命……?」
「アイオーンがそう言ったの。一度言ったでしょう? わたしの力は強すぎて、なかなか制御できないことが多くて、向こうでは周りに迷惑をかけてばかりだったって。でもこっちの世界に、それを変えられる人がいるって言われたの」
「……それが俺だって?」
メグがまたうつむく。
「あなただって言われたわけじゃないわ。でもわたしはそう信じてる。でも、そんなことはどうでもいいの。わたしはあなたが運命の人だから好きなわけじゃない。あなただから好きになったの」
「……そんな話、いきなりされても信じられない」
シュンがそう言うと、メグが静かに頷いた。
「そうね。あなたが戸惑うのは当然よね。でも全部本当の話よ。あなたは成人しているのに、向こうの世界で力を簡単に使えた。それは本当に珍しいことなのよ」
「だからって……」
「それにあなたは、向こうの世界にいる人の特徴をいくつも持ってる。ひとつのことに夢中になったら生活を忘れて没頭してしまうこと、話していてもときどき自分の世界に入ってしまうこと、細かい間違いを探すのが苦手なこと……こっちでだって、あなたは成功したわ」
「だからそれは、運がよかっただけだって……」
言いながら、シュンはうつむいた。
「俺は普通の人間だよ」
確かに、自分のいるべき場所はここではないといつも思っていた。
だが一方では、いつも普通になりたいと思っていた。
学校では電子機器を扱う以外のことはなにをやっても人並み以下で、集団でいるのもだれかと話をするのも苦痛だった。
母の期待するようなエリートコースにも乗れなかった。
そう思ってしまうのは、やはり自分が変わり者だからだろうか。
でもただの変わり者だ。世間が言う天才なんかじゃない。
「でも、向こうに行ける条件が一つだけある」
「条件……?」
「ここにいたときのことをすべて忘れること。そうすれば、向こうに行ける」
「そんな……」
シュンは文字通り言葉を失った。
そんなの、死ぬのとたいして変わらない。
「わたしもそうやって向こうに行ったわ」
「でも、それじゃ君とのことだって――」
「そうよ。忘れてしまう。だからわたしは帰らずにここにいるの。今のあなたと一緒にいたいから」
メグはそこまで言ったあとで、ふっと笑った。
「でも、あなたがこっちに来てくれるなら、わたしはそれでいいわ。あなたがすべてを忘れてしまっても、またあなたのところに押しかけるから。それでまた一からやり直すわ」
シュンはメグから視線を外し、うつむいた。
「……できないよ、そんなこと」
今更すべてを捨てて向こうに行くなんて。
それでは母がひとりになってしまう。自分のことを忘れてしまう。
(自分みたいな息子はいないほうがいいって思ってたくせに)
もうひとりの自分が意地悪く言う。
(そうだよ、でも)
「いつか君に話しただろ。俺の夢は、自分の仕事を持って、その上で社会に貢献することだって。それから――」
「自分で価値を作りだせる人間になること。自分にしか創りだせないものを創れる人間になること。ちゃんと覚えてるわ」
「やっとそれが実現できるんだ。なのに、今更全部は捨てられない」
「この国が好きじゃないのに?」
「そうだけど……」
(結局俺は、自分が社会に認められていないから、この世界が嫌いだと言ってただけなのか?)
昔の自分がその提案をされていたら、きっと一も二もなく受け入れていた。
記憶を失うことなんてどうでもよかった。それに向こうに行けば、もう金銭の心配をしなくてもすむ。
でも今は、
「君は帰るだけだからいいよ。でも俺は違う。なにもかもは捨てられない」
なにもかも忘れた自分は、もう別人だ。身体は同じでも、中身は違う。
「なら、ずっとこのままここにいさせて」
「……それはできない」
メグが悲しげに眉を下げる。
「どうして? 結局瞬は、わたしを好きじゃなかったってこと?」
「好きでも、できることとできないことがあるんだよ。だいたい、全部忘れてしまったら、俺は君を好きじゃなくなるんだぞ」
「それでもわたしはあなたが好きよ、瞬。何度でもあなたを好きになれる」
「っ、なんで……!」
なぜ彼女はそこまで言いきれるんだろう。
自分のような人間のどこがいいというのだろう。
仕事が第一で、そこまで真剣に交際していたわけじゃなかったのに。
彼女はなにもはっきり答えない自分に愛想を尽かして、さっさと帰るべきなのに。
だれかにここまで好かれたことなんてなかった。
初めて好意を持った女性にはただ遊ばれていただけだった。
父には捨てられたし、母は自分の内面までは理解してくれなかった。
なのに信じられるわけがない。
特別な人間なんかいらない。
もう失望したくない。
「……君は間違ってる」
「なにが間違ってるの?」
「メグ」
メグの顔が近づいてきて、シュンは顔を背けたが、メグは離れようとしなかった。
メグの唇がゆっくりとシュンの唇に触れる。その柔らかな感触に抗いきれず、シュンはメグを抱き寄せて貪るように口づけた。メグがくぐもった声を漏らしたとき、シュンは我を忘れていた。彼女の身体を寝台に押し倒し、首筋に顔を埋めると、メグがシュンの背中に腕を回した。
「瞬……」
もっと聞きたい。彼女に嬌声をあげさせたい。
すべてを自分のものにしたい。そんな凶暴な感情が襲ってくる。
でも、自分にはその資格がない。
彼女のためにできることはなにもない。
なら、彼女が望んでいることをすればいいじゃないか。
もうひとりの自分がそう囁く。
どうせ、別れる運命なら。
(それは結局、わたしのことが好きじゃないってこと?)
俺は、
そんなこと、できるわけがない。そのあとで彼女を捨てるなんて。
彼女の身体を引き剥がし、シュンは立ちあがった。
「瞬!」
部屋の扉を閉めて凭れかかり、シュンは肩で息をしながら瞼を固く閉じた。
どうして。好きだとはっきり言えないのに、なぜ身体はそれを裏切って、彼女を求めてしまうのだろう。衝動のままに求めても、後悔するだけだとわかっているのに。
あの時だってそうだ。深く考えずに動いたあとで罪悪感に駆られた。
なにも奪いたくないし、傷つけたくない。
でも、どうすればそれができるのかわからない。
シュンはコンピュータの画面をぼんやり見つめていた。
あのあと、扉越しにメグが声をかけてきた。
(あなたがわたしをどう思っているか聞くまで、わたしはここにいるわ。わたしは、ずっとあなたと一緒にいたいから)
自分が彼女をどう思っているか。
答えたくない。それをはっきりさせてしまったら、もう今のままではいられない。
なにもかもが変わってしまう。
手元で声が響いたのは、その時だった。
「……冴えない顔だな」
液晶画面に映っていたのは、ジーンの端正な顔だった。
驚く気力も湧かず、シュンは画面に向かって話しだしていた。
「彼女が言ってたのは全部本当のことなのか? 俺の父親がもともと向こうの人間だって」
「ああ。そうだ」
彼らは嘘をつかない。シュンはそのことを思い出した。
「メグを連れて帰ってくれ。俺はそっちに行けない。俺にはここでの生活があるんだ。すべては捨てられない」
ジーンがじろりとシュンを見る。
「おまえはまだ答えを出していない。メグはおまえがどう思っているのか聞くまで帰らないと言った」
ジーンはどこまで話を聞いていたのだろうとシュンは訝った。
まさかとは思うが、今までずっと自分たちの様子を向こうから見ていたのだろうか? しかし、自分にそれを防ぐ方法はなかった。
「それとこれとは関係ないだろ。もともと彼女はこっちに来ちゃいけなかったんだ。だからさっさと連れて帰れよ」
「おまえが誑かしておいてその言いぐさか」
ジーンの軽蔑した言い方に、シュンは思わず液晶画面を掴んで詰め寄っていた。
「俺だけのせいにするなよ! 彼女は自分の意思で俺のところに来たんだぞ!」
「だがおまえはメグを拒まなかった」
「それは……!」
ただつき合っているだけだ。将来を誓い合ったわけではない。
それに最後まではしていない。
それが言い訳にはならないことはわかっていた。
自分は彼女を追い出さず、一緒に暮らしていたのだから。
「おまえは都合のいいときだけ彼女を利用して、面倒になれば捨てようとしている」
「そんなこと言ったって、そんな簡単になにもかも捨てられるわけないだろ」
言いながら、シュンは手のひらを握りしめた。
「……両極端すぎるんだよ」
「それはおまえがメグを好きだと言えば、向こうに行かなければならなくなると考えているからだ。もしくは、メグを傷つけるようなことを言いたくないと」
「そうだよ! だから言えないんだ」
シュンは叫んでから、うつむいた。
「……俺の人生は、なにかと引き換えにできるようなものじゃないんだ。……俺には俺の生活があるんだよ」
せっかく成功したのに、それらをすべて捨てて向こうの世界になど行けない。
だれかに雇われて仕事をして給料を貰って、自分の生活のことだけを考えて生きるのではなく、自分の仕事を持って、社会に貢献して生きる。自分で価値を作りだせる人間になる。ずっとそれが夢だった。
今は自分の作るゲームを楽しみにしてくれている人間がたくさんいる。
もうあの頃のように自由ではいられない。
「……彼女とは別れるよ」
長い沈黙のあとで、シュンは言った。
「だから俺の中にある彼女の記憶と、向こうにいたときの記憶を消してくれ。それで文句ないだろ」
ジーンは深くため息をついてから言った。
「……わかった。初めからわかっていたことだ。君のような人間といても、彼女は幸せになれない」
ジーンが消えたあとの画面を見つめながら、シュンは心の中でつぶやいた。
(わかってるさ、そんなこと)
社会から認められたら、成功したら、彼女のことはもういらない。
ただ、恋愛ごっこをして寂しさを埋めていただけ。
(……ほんとに最低だな、俺は)
愛情を注ぐなんて言っておいて、自分はただ彼女から時間を奪っていただけだ。
シュンは携帯電話を手に取ると、自分の作ったゲームを立ちあげた。
(どうして俺は、こんなものを作ったんだろう)
それがなぜか、シュンはこの時わかった気がした。
このゲームはただ、自分の欲望を実現しようとしただけだ。
一緒にいたいと言わせるために世話を焼くなんて間違っている。自分が寂しいから、愛されたいから、見返りを求めて優しくするなんて、あまりに利己的すぎる。
シュンは、無意識に携帯電話を固く握りしめていた。
(……俺は、彼女に好かれる資格がない)
