第33話 メグの物語(1)

 わたしはあなたのためになにもできない。
 愛してくれないことよりも、それが一番、つらい。

「婚約おめでとう、メグ」
「……ありがとう」
 メグは目の前に坐っている友人に、控えめに微笑んだ。
 友人の家の庭に設けられた日除け付きのテーブルで、二人はお茶をしていた。周りには、友人が丹精込めて育てた色とりどりのバラの花が咲き乱れている。
「でも、あなたちの場合は今更って感じね」
「わたしの状態を見るに見かねて、ジーンが婚約してくれたの」
「だってあなた、向こうから近づいてきてもすぐに断るんだもの。わたしはてっきり、ジーンと結婚するつもりでそうしてるんだと――」
「……違うわ」
 こちらでは、男女が遊び半分で交際することはない。
 すべての交際は、最終的に結婚して子供を産むことが前提だ。だから男性たちは真剣に相手を探すし、女性も真剣に相手を選ぶ。
 相手が信用するに値しないと思ったら、さっさと別れて次に行く。生きられる時間は限られているのだから、ぐずぐず悩んでいる暇はない。
 自分たちには打ち込みたいことや、取り組みたいことがある。
  伴侶と過ごすことだけが人生のすべてではない。
 結婚するなら、ジーンよりいい人なんていない。それはわかっている。
 でも、
「相手がどんな人かなんて、会って少し話せばわかってしまうもの。それ以上一緒にいてもつまらない。ずっと一緒にいるなんて無理よ」
「ずっと一緒にいなくても、週末だけ会えばいいんじゃない? 子育ては近所の人たちに頼めば手伝ってくれるし。わたしもそうするつもりよ。好きなときに、好きなだけ絵を描きたいから。ずっと子供の面倒を見るなんて無理だもの」
 そう未来の計画を楽しそうに語る友人に、めぐりはため息をついた。
「……あなたが羨ましいわ」
「どうして? あなたなんて役所のデザインまでしたのに。みんなあなたの才能を認めてるわ」
「デザインは好きよ。でも、そうじゃなくてね……わたしは」
 そこでめぐりが黙りこんでしまったので、友人が心配そうな顔になった。
「メグ?」
 めぐりは無理やり笑顔を作った。
「なんでもない。それにわたしはこの体質だし。相手に負担がかかりすぎるわ」
「メグ、いつも言ってるけど、そんなこと気にしなくていいのよ。だれだって迷惑をかけて生きているし、わたしはあなたに助けられてることだってたくさん――」
「……いいの。気にしないで」
 気にするな。何度もそう言われたけれど、未だにその言葉を信じる気になれない。
 自分を傷つけないために言っていることはわかっている。
 でも、自分はそんな気休めの言葉は求めていない。
 求めているのはひとつだけだ。
(わたしは、恋がしてみたいのよ)
 昔読んだ小説のように。
 でも、やっぱりそれは無理なの?

 管理者しか入れないはずの場所に入ったのは、まだ学校にいた頃だった。
 学校が嫌いだったわけではない。みんな優しくしてくれたし、嫌なことを言われたこともない。だが力を制御できないせいで迷惑をかけることは何度もあって、そのたびに気を使われることが苦痛で仕方なかった。
 どうしても、感情が揺らぐと天気や風に影響を及ぼしてしまう。
 物が勝手に飛んだり、建物が壊れたりしないだけマシだが、このままではそうなるのは時間の問題に思えた。
 そんなときにのが、壁際にたくさんの本が並んでいる部屋だった。
 自分でもどうやったのかはわからないが、気づいたらそこに出ていたのだ。
 字は少ししか読めなかったので、めぐりは力を使って本を読み上げてさせたが、それでこの本たちがここに隔離されている理由がわかった。
 大半の本が、身の毛のよだつような残酷な表現や、過激な性描写や暴力描写のある本、差別や偏見に満ちた本などで、人目につかないところに押し込められても仕方のないものばかりだったのだ。
 だが――そうでないものもあった。それが恋愛について書かれた本だった。
 ある男の子に片思いしていた女の子が、紆余曲折の末にめでたく両思いになって、結ばれる物語。それを読んでめぐりは夢中になった。
 すると不思議なことに、感情が乱されても、周りに影響が出ることが少なくなった。
 しかし学校を卒業して働きはじめ、幾度か異性から交際を申し込まれるようになってから、症状がぶり返した。
 こちらの世界の医師や研究者が手を尽くしても、原因は一向にわからなかった。
 そんなときに、あるせんたくをしたのがアイオーンに仕える巫女みこだった。
 力を制御するには、向こうの世界にいる人間に出会わなければならない。
 その人間なら、めぐりの力を抑えられる可能性がある。そんな宣託だった。
 めぐりはすぐさま向こうの世界に行くことを決めたが、管理者たちの許可が下りても、ジーンはいい顔をしなかった。
「本当に行くのか? メグ」
 管理者たちが使う姿見の前に立っためぐりに、ジーンが不安そうに声をかけた。
「だって、せっかくアイオーンが宣託をしてくれたのに。わたしは、自分の力を持て余してばかりなのはいやなの。ちゃんと扱えるようになりたいの」
 そこまで言ってから、めぐりは思い直した。
 ジーンとはこの世界に来た時期が同じで、学校にいた頃からいつも自分の面倒を見てくれた。
 そんな彼に、嘘はつけない。
「……ごめんなさい、ジーン。本当は違うの。力を制御したいのは本当よ。でも、そうじゃなくて、わたしはその人と恋をしてみたいの」
「メグ。それは、この世界では許されない」
「だから行くのよ。あなたはこれ以上わたしと関わらないほうがいいわ。でないとあなたにまで迷惑がかかってしまうもの」
 しかしめぐりがそう言っても、ジーンは頷かなかった。
「わたしは君との子供を儲けたいと思っているだけだ。それは理由にならない。だが、わたしがいることで君が苦しむなら、その時は別れよう」
「……ありがとう」

めぐりはどきどきしながら鏡を通り抜けた。
 わたしの運命の人はどんな人?
 できるなら、その人と素敵な恋をしてみたい。
 しかし、そんな気分は着いてすぐに霧散してしまった。
 ……寒い。六月だというのに、とても寒かった。それにじめじめしている。
 自分が住んでいる世界は湿気は少なくて、いつもからっとしているのに。
しかも雨も降ってきて、めぐりはいよいよ途方に暮れた。
(やっぱり、だめなの?)
 自分は許されないことをしているのだろうか。
 婚約していた人間と離れてまで、ここに来るなんて。
 恋をしたいと思うことは、ただのわがままで、身勝手なことなのだろうか。
 だったら、どうすれば雨が降るのを止められる?
 知っているなら、だれかその方法を教えてほしい。
 そのとき、めぐりは自分を見つめる視線に気づいた。
 ひとりの青年がこっちをじっと見ている。
 きっと彼だ。なんの根拠もなかったが、そう思ってめぐりは青年に微笑みかけた。
 しかし、青年は途端に緊張した顔になって後ずさり、さっさと階段を登っていってしまった。めぐりはがっかりした。
(彼じゃなかったのかしら)
 そのあいだもめぐりは待ち続けたが、その人はなかなか現れなかった。
 だって、せんたくを受けたもの。
 わたしは信じてる。ここに来れば会えるって、そう言われたから。
 ふとそばにあった花壇に目をやると、青い花が満開だった。たくさんの小さな花が集まって、丸い形になっている。それが花壇の至る所に咲いていた。
 めぐりが見たことがない花だった。名前はなんと言うのだろう。
 めぐりは花に話しかけた。
「ねえ、あなたの名前はなんて言うの?」
 めぐりはしばらくその花と話していた。
 話すと言っても、言葉で会話するわけではなく、心で聞くのだが。
 花はいろいろなことを教えてくれた。この世界の人間たちは、この花のことをアジサイと呼んでいること、土の成分によって花の色が変わること。
 それから花言葉。冷淡、無情、そして、辛抱強い愛情。
「あなたがいてくれてよかったわ」
 めぐりが微笑みながら言うと、どうしてずっとここにいるのか花に心配された。
「大丈夫よ。心配してくれてありがとう」
 そう言いつつも、めぐりは自分の身体に腕を回した。このまま雨に打たれていたら、風邪を引きそうだ。
 傘を差し掛けられたのはその時だった。
 めぐりが見上げると、さっきの彼がそこにいた。
「来て」
「でも……」
 どうしよう、髪も服もぐしゃぐしゃなのに。
「いいから」
 彼に腕を掴まれて、めぐりは思わずどきどきしてしまった。
(本当にこの人がアイオーンの言った人なのかしら?)
 初めて会ったときなんて素通りだったのに。でもずぶ濡れになった自分を助けてくれた。
(悪い人ではないのかも)
 でも、声をかけるならもう少し早くかけてほしかったとめぐりは思った。
 そうすればこんなに濡れずにすんだのに。
 彼の前で力を使って身体や服を乾かしていいものかめぐりは迷ったが、その前に浴室に案内されてしまった。
 シャワーを浴びながら、めぐりは覚悟した。
 隠しても仕方ない。どうせいつかは話さなければならないし、そのままの自分を好きになってもらわなければ意味がないのだから。
 青年はめぐりが力を使うと驚いていたが、不気味がって部屋から追い出すようなことはしなかったので、めぐりはほっとした。調子に乗って家具の配置を変えたら怒られてしまったが、そんなことは気にならなかった。
 外を二人で歩くのも、鯛焼きを買って食べるのも楽しかった。
「それは大判焼きって言うんだよ」
 彼がそう言って少しだけ笑ったときに、めぐりはもう彼を好きになっていた。
 でも彼はきっとそうではなかったのだろう。なにせ名前も訊かれなかった。自分も彼の名前を知らない。ジーンに訊けばばすぐにわかるだろうけれど、めぐりは彼の口から直接聞きたかった。

 めぐりは向こうの世界に帰ってから、苦手だった家事をしてみた。
 すごい。前よりもうまくできる。
 アイオーンの言ったことは本当だったのだとめぐりは確信した。
 しかし、残念ながら彼に会った一週間後には効果は切れてしまった。その上、めぐりは自分の住んでいる周辺一帯に雨を降らせ続けてしまった。
 緊急の措置として、向こうから彼を連れてくることになったとジーンに告げられたときは申し訳ないと思ったが、同時に嬉しかった。
 めぐりは喜び勇んで会いにいった。しかし、彼はとても怒っていた。再会したら、会いたかったと言って笑ってくれる――そんな期待はあっさり裏切られた。彼の言うことはいちいちもっともだったので弁解のしようがなかったが、怒鳴られたときにめぐりは思わず泣いてしまった。
 すると青年は慌てて謝ってくれた。
 めぐりは不思議な気持ちだった。彼は言いたいことははっきり言うが、優しい人だ。そう思った。読んだ小説のようには全然うまくいかないし、好きになってもらえるわけでもないが、めぐりはそんなことはどうでもよくなっていた。
 彼の名前は瞬と言った。まばたきするくらいの時間。そう説明してくれた。
「そういえば訊き忘れてたけど、君の名前は?」
「めぐりよ。みんなにはメグって呼ばれてるの」
「いい名前だな」
「ほんと? そう思う?」
 めぐりが顔を輝かせてそう言うと、瞬はなぜかしかめっ面になった。
「いや、べつになんとなくそう思っただけで……そういう意味じゃ」
「そういう意味ってどういう意味?」
 瞬が視線を逸らしたまま言った。
「……俺が君を口説いてるみたいだから」
 口説いてくれてかまわないのにとめぐりは思ったが、言わないでおいた。
 それからめぐりは、しばらく瞬とこちらの世界で一緒に過ごした。めぐりと練習しているうちに、瞬はどんどん力の使い方を上達させていった。
 彼の感覚と想像力が優れていることに、めぐりはすぐに気づいた。初めて力を使ったのに、ジーンが仕掛けた紙の蝶の群れを一瞬で粉々にするなんて、なかなかできることではない。しかし、瞬はまったく自分に自信がないようだった。
 なぜそうなってしまうのか、めぐりにはよくわからなかった。些細なことでも自分を褒めてあげればいいのに、彼はそうしない。その上いつも無表情で、感情が読み取りづらかった。愛想もよくないし、口数が少ない。もっと笑えば素敵なのに、感情が表に出そうになると、いつも顔をしかめていた。それが原因で、瞬はほかの人間たちから避けられているらしい。
 それに、瞬にはもうひとつ変わったところがあった。
 どこかに出かけたとき、瞬はいつも、どこか遠くを見つめていた。
 とても切実で、大切ななにかを探しているような目で。
 めぐりには、その正体がなにかわからなかった。
(それは、わたしが悲しいことを知らないから?)
 そうかもしれないし、そうではないかもしれない。
 やはり、彼と違う世界に住んでいて、価値観も違う自分ではだめなのだろうか。
 そんなことを考えて、めぐりは不安になった。