「殿下、お待ちください!」
秘書官の制止を聞かず、エミリアは扉を開けて中に入った。リートたちもそれに続く。
「なんだ、騒々しい。今日の面会の予定はすべて断ったはずだぞ。無礼な人間は即刻帰らせろ」
ハインリヒが不機嫌な声で言いながら、読んでいた書類から顔を上げたが、次の瞬間、そこに立っているのがだれなのかに気づいて顔色を変えた。
エミリアがにっこり笑う。
「無礼な真似をしてごめんなさい、ハインリヒ。でも用があるのはわたしじゃないの」
「お久しぶりです。と言っても、数日前にお会いしましたが」
エミリアの背後からミヒャエルが姿を見せると、ハインリヒは驚いて椅子から立ち上がった。
「ミヒャエル……」
ハインリヒとミヒャエルは、執務机を挟んで向かい合っていた。
リートとエミリアは、来客用のソファに坐ってミヒャエルたちの様子を見守っていた。傍らにはルイスが立っている。
「なぜこんなことになったのです?」
ミヒャエルが問うと、ハインリヒが顔をしかめた。
「わたしはなにも知らない。確かにおまえには天啓者が外出することを知らせたが、爆破事件が起きるなどとは」
ハインリヒが当惑した顔でミヒャエルを見上げる。
「おまえが犯人なのではないかと本気で思っていた」
ミヒャエルが微笑む。
「犯人もそう思わせたかったんでしょうね」
「わたしはなにも知らない。わたしはベギールデとはいっさいなんの関わりもない」
「わかっています。イェンスを殺した犯人は別にいる」
ミヒャエルがそう言って間もなく、ノックの音が響くと同時に扉が開いた。
「お待ちしていました、ブロスフェルト卿」
ミヒャエルが笑顔で出迎えると、ブロスフェルトは一瞬幽霊でも見たような顔になったが、すぐに敵意に満ちたまなざしを向けた。
「……なぜおまえが。わたしは閣下に呼ばれてきたのだが――しかもなんだ、部外者がぞろぞろと」
「ここにいるのが不愉快なら、お引き取りくださってもかまいませんよ。ただし、あとでお話は聞かせていただきます。あなたは事件の重要参考人ですから」
「なにをふざけたことを――」
「今わたしが用があるのは、あなたではなくディートリヒのほうです」
そう言ってミヒャエルは、ブロスフェルトの後ろに控えていたディートリヒに視線を移した。
リートも同じようにディートリヒを見た。
宴の時に一度見かけたきりだが、いかにも仕事ができそうな真面目な雰囲気の青年だとリートは思った。ミヒャエルと一緒にいると、どうしても印象が霞んでしまうのは否めなかったが、彼の隣に並べば、同世代の男性のほとんどがディートリヒと同じ目に遭うだろう。
ディートリヒが困惑した表情を浮かべる。
「どういう意味だ?」
「冷静になって考えれば、犯人はおまえ以外にありえない。おまえはわたしと閣下の話をすべて聞いていたし、ハーナルの監督官でもあるブロスフェルト卿の指示だと言えば、ハーナルの人間も動かせる」
ミヒャエルは開いていた扉を閉め、そばにあった椅子に坐ると、立ったままのディートリヒをじっと観察した。
「ベギールデから、王女が幹部に会いたいと言っている話を聞いて、おまえはわたしが関与していることをすぐに見抜いた。そして思いついたんだ。爆破事件もイェンスの件も、すべてわたしの犯行として片づけることを。最初から、わたしはおまえたちの掌の上で踊らされていたんだよ」
「すべて憶測だ。証拠がない」
ディートリヒがつぶやくように言うと、ミヒャエルが泰然と微笑んだ。
「この件に関しては確かにそうだ。だがイェンスの件は違う。推察するに、おそらくイェンスは施設――わたしとルイスが行った場所で、ブロスフェルト卿とおまえが話しているのを聞いて、ルーデル大聖堂でなにかが起きることを知った。潜入に気づいたおまえは、ベギールデと協力してイェンスを誘い出して監禁し、拷問してから殺した。そして、ベギールデの人間に事件の後処理を頼んだ」
ミヒャエルは椅子から立ち上がり、ディートリヒにゆっくりと歩み寄った。
「だが、ひとつ誤算があった。罠だと気づいたときに、イェンスはとっさにおまえの腕を切りつけた」
そう言いながら、ミヒャエルはディートリヒの手首を掴み、袖を捲り上げた。
ミヒャエルが包帯を外すと、皮膚には赤黒くなった切り傷が刻まれていた。
「前に会ったとき、おまえは打撲だと言っていたが、違ったようだな」
そう言いながら、今度はミヒャエルはベルトに挟んでいた短剣を鞘から抜くと、ディートリヒの眼前に突きつけた。
「これは、その時イェンスが持っていた短剣だ。まだ新しい血が付いてる。この刀身とその傷跡の形状が一致すれば、おまえがイェンスと一緒にいた証明になる」
ミヒャエルが短剣を鞘に戻しながら、口元を上げる。
「突発的な事態にしては、悪くない対応の仕方だった。ついでにわたしを陥れようと企まなければな」
ミヒャエルが鋭いまなざしを向ける。
「なぜこんなことをした。ブロスフェルト卿から頼まれたのか?」
瞬間、それまで神妙な面持ちだったディートリヒの表情が、一転してミヒャエルを嘲るようなものに変わった。
口元を歪め、ディートリヒが吐き捨てるように言う。
「……違うさ。嫌いだったんだよ、おまえが。いつもいつも、おまえはわたしを惨めな気持ちにさせる」
ディートリヒの目にあったのは、嫉妬と憎悪だった。
「大学でわたしはいつもおまえの引き立て役だった。おまえがハーナル騎士団に入ると聞いたとき、俺はほっとしたよ。てっきり議員になるのだと思っていたからな。俺程度の家柄では、政治の中枢には登れない。だが、やっとの思いで大臣秘書になっても、俺は人間扱いされなかった。機嫌が悪ければ暴力こそ振るわれないが、暴言を吐かれ、こき使われて――なのにおまえは、一介の騎士のくせにハインリヒに重用されて――なにもかも馬鹿馬鹿しくなった。だから思いついたんだよ。ブロスフェルトに失態を知られるくらいなら、すべておまえのせいにしてやろうと」
ディートリヒが口の端を歪め、ミヒャエルに冷たいまなざしを向けた。
「今だって馬鹿にしているんだろう? そんなつまらないことが動機なのかと」
「ああ、そのとおりだな。つまらないし、くだらない」
ミヒャエルはそう言い放つと、ディートリヒに近寄った。
「おまえがわたしを嫌ってることは知っていたさ。だがそれでもわたしから離れなかったのは、おまえがわたしの家柄と才能を利用するために近づいてきたからだ。わたしといたほうがいい思いができるから、わたしと友達でいたんだろう? 目的を果たせてよかったじゃないか。それで文句を言われる筋合いはないな」
ディートリヒが、嫌悪感と軽蔑が入り交じった表情でミヒャエルを見つめた。
「やはりそうか。ほかの奴らはみんなおまえに騙されていたが、俺はおまえの本性に気づいてた。おまえはだれより冷酷なやつなんだ。いつも作り笑いを浮かべて、人気者の仮面をかぶって、人のことを見下して馬鹿にしている。本当は他人のことなどどうでもいいくせに」
「そんなに気に入らないなら、わたしを殺せばいい」
リートは自分の耳を疑った。
彼は今なんと言った?
ミヒャエルは穏やかな顔でディートリヒを見つめていた。
「それでおまえの気が済むなら、わたしはかまわない」
「ふざけるな!」
ディートリヒが激昂し、ミヒャエルに掴みかかる。
「ミヒャエル!」
リートは思わず叫んでいた。
動いたのはルイスだった。ミヒャエルとディートリヒを引き離し、なおも抵抗しようとしたディートリヒの腕を押さえ、後ろ手にして床に押さえつける。
今まで沈黙していたブロスフェルトが、ディートリヒを見下ろしながら震え声で言った。
「見損なったぞ、ディートリヒ。そんな私欲のためにこの件を利用するとは。いつの間にあの男に取り込まれた」
床に打ち倒されままの体勢でディートリヒが笑う。
「最初から、あの方はあなたではなくわたしを見ていたのですよ、閣下。わたしはあの方に選ばれたんだ」
「なんだと?」
「ベギールデの教えはリヒトとはまったく違う。わたしを捕まえても、止めることはできない。あなた方は遅かれ早かれ全員死ぬ。どれだけ手を尽くそうと無駄です。だれも助けられない。救うことなどできない」
ミヒャエルがディートリヒの前に屈み込む。
「あの方とはだれだ」
ディートリヒが視線を逸らす。
「……おまえなどに答えるものか」
それまで黙って成り行きを見つめていたハインリヒが、ブロスフェストに視線を向けた。
「……エーヴァルト。なぜ新興宗教団体の人間などとつるんだんだ」
「自分の手を汚さず、メルヒオルだけを失脚させられると思ったからですよ」
黙ったままのブロスフェルトの代わりに答えたのは、ミヒャエルだった。
「それに、あなたは彼らに協力してもらうかわりに、布教活動を黙認していたのではありませんか? だから問題視されていたにも関わらず、ハーナルではなかなかベギールデの調査が進まなかった」
ハインリヒが険しい目つきになる。
「そうなのか?」
ブロスフェルトが力なくうなずく。
「――そのとおりです。ですが、すべては王権派のためです。王が代わり、閣下が宰相になられても、政治の実権を握っているのは相変わらずメルヒオルです。わたしはそれを変えたかった」
「気持ちはわかるが、たとえ利用するためであっても、宗教団体などに貴重な税金をつぎ込むとは言語道断だ。奴らがのさばれば治安にも悪影響を及ぼす。おまえはその可能性を考えなかったのか?」
「……申し訳ありません」
「聖殿を襲撃するように命じたのもおまえなのか?」
ブロスフェストが激しくかぶりを振る。
「違います! 原理主義者に接触を図ろうとしたことはありますが、彼らは話が通じるような人間ではなかった。だからわたしはベギールデを利用したのです。わたしを信じてください、閣下」
それからミヒャエルは、部下の騎士たちを呼び、ディートリヒとブロスフェルトを連行するように告げた。
アルフォンスに手錠をかけられながら、ディートリヒがミヒャエルのほうを見ずに言った。
「……一つだけ教えてくれ。なぜわたしが折檻を受けていないとわかった」
ミヒャエルがどうでもいいという表情で口を開く。
「簡単なことだ。人は嫌いな人間に、弱点をわざわざ教えない。本当に折檻を受けていたなら、おまえは否定したはずだ。火傷だとか、事故だとか言ってな。だからおかしいと思ったんだよ」
ディートリヒは一瞬呆然とした様子だったが、くつくつと笑った。
「……そんなくだらないことで」
二人の様子を見ながら、リートはふと考えた。
くだらない自尊心。それさえなければ、この計画は成功したのだろうか。
リートにはわからなかった。
ディートリヒとブロスフェルトが、アルフォンスたちに連行されるのを見届けてから、ミヒャエルはリートたちのほうを見た。
「先に戻っていてくれ。わたしは閣下に話がある」
「ミヒャエル、でも――」
リートは言いかけて口を閉じた。
なぜか、ミヒャエルを一人でハインリヒに対峙させたくなかった。
だが、この気持ちをどんな言葉にすれば伝えられるのか、リートにはわからなかった。リートが言い淀んでいると、ミヒャエルはリートを安心させるように、いつもの穏やかな表情で微笑んだ。
「大丈夫だ。あとでまた君の部屋で会おう」
リートは曖昧にうなずき、エミリアたちと部屋を出た。
(そんなに気に入らないなら、わたしを殺せばいい)
ミヒャエルはなぜあんな言い方をしたのだろう? あの場面で、わざとディートリヒを挑発する必要はまったくなかった。
そのことが、リートの胸の裡に今も引っかかっていた。
