第4話 シュンの職場

次の日、シュンは珍しく一度目のアラームで起床し、業務開始時刻までに余裕をもって出社した。
 自分以外はだれも乗っていないエレベーターの中で、シュンは首にかけた社員証を手にとり、そこに映った自分の姿に思わず苦笑した。
(……相変わらず、嫌そうな顔してるな)
 働くなんて嫌だ。そう思いながら、ほかの新入社員たちと社員証用の写真を撮ったのはもう四年も前のことだ。
 ときとうしゅん。それがシュンの本名だった。
 専門学校卒の社会人四年目、今年で二十五歳。職業はゲームプログラマー。独身、恋人なし。趣味も特技もこれといって特になし。好きなことは気晴らしに映画を見ること、料理や菓子を作ること。しかし、正社員として働きだしてからはどちらも満足にできていなかった。
 平日に八時間働いていては、土日は疲れを取って、溜まっている家事や雑用を片づけることですべてが終わってしまう。とてもではないが、なにかを楽しむ余裕はなかった。
 目的の階に着くと、シュンはエレベーターを降りた。住んでいるアパートから電車で三十分ほどの場所にあるオフィスビルの七階に、シュンの働く会社はある。
「おはようございます」
 オフィスに入り、シュンは出勤してきた社員たちに挨拶したが、どの社員も挨拶を返すだけで、特にシュンにはなにも言わなかった。
 標準的な会社(それが本当に標準的かは置いておいて)なら、体調不良で休んだ社員がいれば、社会人としての意識に欠けているとか、体調管理も満足にできないのかとか、そんなことを思って苛立つ人間のほうが多いのかもしれないが、この会社は違う。なぜなら、自分が仮病で休めなくなったときに困る社員のほうが圧倒的に多いからだ。同僚たちのそういういいかげんなところが、シュンは気に入っていた。
(こんなことを考えてる時点で、俺って社会不適合者なんだろうな) 
 シュンはコンピュータの電源を入れながら、心の中で苦笑した。
 だがなにも言われないほうが精神的に楽なのも確かだ。注意されるのは嫌だし、気遣われても気まずいだけで、お互い得することはなにもない。
 どうせ自分がいなくても、会社も社会も回っていくのだから。
始業開始時刻になり、シュンは社内メールをチェックしたあとで、作業に取りかかろうとした。といっても、自分に割り当てられた箇所はほとんど終わっていて、あとは細かいバグを取り除くだけだったのだが。
 今進んでいる案件は大きなトラブルもなく順調だったが、ひたすらつまらない作業の連続で、サボろうと思ったのもそれが原因だった。
 しかし、そのときなぜか同僚たちがいっせいに席を立ち、隣にある会議室に移動しはじめたので、シュンは怪訝に思った。メールはなにも届いていなかったのに。
(なんだ? ミーティングか?)
 この会社には、朝のミーティングなどというものは存在しない。社長が変な気を起こして導入しませんようにと、シュンはいつも心の中で祈っていた。なのによりによって、自分が休んだ日から導入されてしまったのだろうか。
 逐一顔を合わせて情報を共有したところで、仕事の能率が落ちるだけだ。なにもいいことなどないのに。そう思いながらも、シュンは慌てて席を立った。
 会議室に行くと、すでにほかのメンバーは席に着いていた。
 ゲームプログラマーなのだから当たり前だが、シュンが勤めているのはゲームソフトを開発する会社だった。ただし、大手ゲーム会社の下請けに甘んじている弱小企業だ。
 社員は事務員も含めて三十人程度。同期は二十人ほどいたが、四年のあいだに三分の一が辞めてしまった。パワハラはないし、残業代も出ているから、ブラック企業とは呼べない。しかし、優良企業でもない。ぬるま湯体質で緊張感がなく、ただひらすらだらだらと働いているだけ。それがシュンの会社に対する感想だった。
 その上社員同士の意思の疎通が取れていないので、あとでそんな話は聞いていないという状態に陥ることはしょっちゅうだった。しかし、ゲームディレクターは社長に気に入られているから管理責任は問われず、すべては自分たち若手プログラマーの責任になる。そんな状態で面白いゲームを開発できるわけもなく、優秀な人間は次々に去っていき、ほかでやっていく自信がない人間ばかりが残っている。
 悲しいかな、シュンもそのうちのひとりだった。
 全員が席に着いたのを確認してから、ゲームディレクターが口を開く。
「昨日も言ったんですが……やはり先方は今の仕様では気に入らないそうです」
(嘘だろ?)
 シュンは思わずそう口に出しそうになった。
 今更仕様変更? 納期まで二週間しかないこの段階で?
 それでは毎日残業しなければとても間に合わない。
「それと、今度の新作の件ですが、社長は若い人間の意見も参考にしてから進めたいそうなので、期限は今のプロジェクトが終わってから一か月間、それまでに全員企画書を書いてきてください」
(そこからかよ)
 シュンは呆れながら内心で突っこんだ。普段は自分たちの意見なんて聞かないくせに、こういうときだけ? 上層部はよほど手詰まりなのか、それとも自分たちで考えるのが面倒だからこちらに振ってきているのか。どちらにせよろくなものではない。企画が採用されたとしても、失敗すれば責任を押しつけられるだけなのに。
 会議が終わってから、シュンはそばにいた先輩プログラマーのみやしたまいに囁いた。
「ちょっと行ってきます」
 舞花が不安そうにシュンを見やる。
「でも、大丈夫?」
「大丈夫です」
 シュンはそう言ってまた歩きだした。
「失礼します」
 シュンはそう言うなり、パーティションで仕切られた半個室のスペースに入った。
 壁に取りつけられた棚には、ゲームやアニメの関連グッズが所狭しと置かれている。
 シュンが現れると、ゲームプランナーの広瀬あきらがうんざりした表情になった。
「またおまえか、時任」
「どうして断らなかったんですか」
「仕方ないだろ、向こうがそう言ってるんだよ。俺たちに拒否権はない」
 シュンは内心で舌打ちした。広瀬はいつもこれだ。
 たいていの人間は、これぞ勤め人のかがみだと賞賛するかもしれないが、そうやって上層部の無茶振りにことごとく応えてしまうせいで、人員も予算もいつまで経っても増えず、現場の人間がどんどん疲弊していくのだということを、彼はまるでわかっていない。
 人間関係を構築するのが苦手な自分がなんとかやれているのは、広瀬がかばってくれているからだということはわかっていたが、尊敬したことは一度もなかった。
「そもそもこんな案件、受けたのが間違ってたんですよ。最初は全部こっちに任せるって言ってたくせに、後出しであれこれ注文つけてきて……やっとできあがったと思ったら、やっぱり違うなんて……」
 あれをいれてくれ、これをいれてくればかりで、全体のバランスは無視。コンセプトもあやふや。センスもない。だから作ったところで中途半端なものにしかならない。
 注文してきた人間は、自分たちが作りたいものがなにかは明確にわかっていないまま、とりあえず頼んでいるのだ。
「俺なら絶対ダウンロードしないし、遊びたくありません」
「いいんだよ、向こうがそれでいいって言ってるんだから。文句を言っている暇があるなら手を動かせ。納期まで二週間しかないんだ」
(ふざけんな。それで連日残業なんてごめんなんだよ、こっちは)
 シュンはそう内心で毒づいた。
 しかし、広瀬は残業することをなんとも思っていない。自分たちが帰っても、残って終電まで仕事をするのだろう。そのせいでこちらは文句も言えない。これだから体育系は嫌なのだとシュンは思った。高校の部活と大学のサークルで、運動部の副主将を務めたことだけがこの男の自慢なのだ。その弊害で馬鹿みたいに体力があるせいで、過労死ラインすれすれの残業を平気でこなしてしまう。
 だが広瀬はこれでも大卒だ。サークル活動ばかりでたいして勉強もしていなさそうなのに、三年間プログラミングを専門的に学んだ自分より高い給料を貰っているなんて、世の中は不公平すぎる。
 コミュニケーション能力がなんだというのだろう。
 それがあったところで、なにかを創りだせるわけじゃないのに。
「なんだ、まだ言い足りないのか?」
「……わかりました」
 そう思ってしまうのは、自分が人と話すのが苦手だからだろうか。
 負け惜しみだとは思いたくない。だがそう思っている時点で、やはりこれは負け惜しみでしかないのだろう。
 うつむいているシュンに、広瀬が大袈裟にため息をつく。
「まったく、近頃の若いやつらときたら……実力もないくせに口ばっかり達者で生意気で……俺たちが入った頃は、先輩や上司に意見するなんてありえなかったっていうのに……」
 いつもの嫌味が始まったので、シュンはうんざりして広瀬に背を向けた。
「おい、まだ話は終わってない――」
「時間がないって言ったのはそっちでしょ。仕事に戻ります」
 まだ広瀬がぶつぶつ言っているのを無視して、シュンはそそくさとその場をあとにした。

 手洗い場に避難して、シュンはほっと息をついた。
(わかってるよ。自分が生意気なのは)
 結局、いろいろ反論したところで、最後は上司の命令に従うしかない。客に文句を言うなんて、現実的に不可能なのだ。客がいなければ、自分たちの商売は成り立たないのだから。しかし、こちらからなにかを提案したところで、相手は判断基準を持ち合わせていないし、採用する権限も持っていない。すべては上層部の思いつきや、つき合いで物事が決まってしまう。
 だれもが意思決定をせずに、だれかに言われるままに仕事をしている。これで本当に自分たちは、仕事をしていると言えるのだろうか? 毎月支払われる給料のために、仕事するふりをしているだけなのではないか。だがそうやって、言われたことだけを淡々とやっているほうが疲れないし、適当にやっているほうが稼げてしまう。会社員とはそういうものだ。
(ああ、働きたくない)
 それでも、恋人がいれば頑張る気になれるのだろうかと、シュンはふと考えた。
 それでいつか結婚して、子供が生まれて、妻と子供を会社に人質に取られながら、住宅ローンで購入した家の返済のために、定年を迎えるまで家と会社を往復する?
 馬鹿馬鹿しい。そんなことになるくらいなら、一生独身のほうがマシだ。責任と負債に雁字搦めにされて、ただでさえ少ない自由がすべて失われてしまう。
 昨日出会った女性の姿がちらりとシュンの脳裏をよぎったが、シュンはすぐに頭を振ってかき消した。
(……なに考えてるんだよ、そもそも異世界人だぞ、異世界人)
 会ったのは偶然だ。もう会うことなどない。
 それより自分は病院に行ったほうがいいかもしれない。
 洗面所の鏡に映った自分を見ながら、シュンはそう思った。
 もし、昨日のことが全部自分の妄想だったらどうすればいい? 
 ストレスのせいで本当に頭がおかしくなったのだとしたら? 
 彼女も自分が作りだした幻影だったら?
 そういえば、そんな映画を観たことがある。主人公の男性は、天才的な直観力と想像力を持っていたせいで、ありもしない妄想を何年にも渡って信じ込んでいたのだ。
 けれど、その映画の主人公は世界的に著名な数学者だった。平凡な会社員にすぎない自分がそんなことになったら、笑い話にもならない。
(天才じゃないのに、そんな病気になるなんて悪夢だよな)
 ただでさえこの社会は、生きづらくて仕方ないというのに。
 それより仕事をしなければ。今は現実逃避する時間すら惜しかった。