その機会は唐突に訪れた。
リートがいつものように部屋でエミリアと談笑していると、そこに突然ミヒャエルが緊張した面持ちで訪ねてきたのだ。
「アルベリヒが屋敷に招待してきた」
前置きなしでそう言ったあと、ミヒャエルが黒い封筒を卓の上に投げた。
どうやらそれが実物の招待状らしい。
「ノルベルトから教えられた住所にこちらが行く前に、向こうが先手を打ってきたんだ」
ミヒャエルはそこでいったん言葉を切って、リートのほうを見た。
「それから、団長は君を一緒に連れていくようにとの仰せだ」
「僕を?」
リートが驚いていると、傍らにいるルイスが警戒した様子でミヒャエルを見た。
「まさかとは思うが、承諾したんじゃないだろうな」
「そのまさかだ」
ミヒャエルが微笑むと、ルイスが眉を吊り上げた。
「なぜ断らない。リートは一度殺されかけてるんだぞ」
「それはまだわからないよ。もし僕らを最初から本気で殺す気なら、大聖堂でまとめて殺せたはずだ。ベギールデの目的はもっと別にある気がする」
リートはそう反論してから、ミヒャエルが投げた黒い封筒を開けて、折り畳まれた便箋を取り出してみた。
「分厚い紙だね」
ミヒャエルがうなずく。
「ああ、それに紙に透かし模様が入っていた。紙も筆記液も、おそらくペンも高級品だ。アルベリヒは文房具に凝る男らしい」
さすがミヒャエルはよく見ていると思いながら、リートは便箋を持ち上げて光に翳してみた。確かにそこには、五芒星を逆さまにした模様が入っていた。おそらくベギールデの紋章なのだろう。
まだ納得のいかない表情のルイスに、ミヒャエルがやれやれとため息をついた。
「団長命令だぞ。黙って従うしかないだろう。リートはアルベリヒかもしれない人間に会っている。会わせれば、なにかしら反応を示すかもしれないと団長は考えているんだ。それにこの機会を逃せば、奴らが住む場所を変えてしまうかもしれないからな。罠だとしても行くしかない」
「僕もそう思うな。行けばなにかわかるかもしれないし」
「だからといって――」
「メルヒオルはリートが行きたいなら止めないと言っている。抗議に言っても無駄だぞ」
ミヒャエルがからかうように言うと、ルイスが心外だという表情になる。
「そんなことはしない。だが――」
「もちろん、安全面は最大限に考慮するつもりだ。我々が会見しているあいだもアルフォンスたちには屋敷を外から見張らせる」
「そういう問題じゃない。わたしが言いたいのは」
「つまらないわね。またわたしは除け者なの?」
横から口を挟んだのは、それまで三人のやりとりを黙って聞いていたエミリアだった。
「リートが行くならわたしも連れていってよ、ミヒャエル」
エミリアが冗談めかして言うと、ミヒャエルが口元だけで笑った。
「それで、君がわたしの護衛をしてくれるのか?」
「頼りになる護衛でしょう?」
ルイスがじろりとエミリアを見る。
「遊びに行くんじゃないんだぞ、ミリィ。君はもっと自分の立場を」
「それならヴェルナーも文句を言うだろうね。なんであの時は俺も一緒にいたのに数に入ってないんですか! って」
ルイスの説教が長くなりそうだったので、リートがそう言って遮ると、エミリアがふふっと笑った。
「確かにね」
ルイスが呆れた顔でミヒャエルを見る。
「おまえといいリューディガー様といい、ハーナルの人間はどうかしている。こんな誘いに乗るなどありえない」
「残念ながら、団長は敵に売られた喧嘩はすべて買って、完膚無きまでに叩きのめすのが信条の人間だ」
「リューディは話し方のせいで誤解されやすいけど、ただ仕事熱心なだけよね。ここにいるだれかさんみたいに」
そう言ってエミリアはちらりとルイスのほうを見たが、ルイスは気づかず言葉を続けた。
「こんな誘いは無視すべきだ。もしもアルベリヒが手段を選ばない人間だったらどうするつもりだ?」
「そのときはおまえがリートを守ればいいだろう。そう心配するな。向こうはただの悪党ではなく相当頭のまわる奴らだ。容易に殺しはしないさ」
そう軽やかな口調で言ってから、ミヒャエルはリートのほうを見た。
「リートも奴が気になっているんだろう?」
リートはうなずいた。
「僕は彼に会ってるからね。でも、どうして僕らを狙うんだろう?」
ミヒャエルが考え込むようにうつむく。
「わからない。ブロスフェルトには監視をつけてあるが、今のところ動きはない。だがまだ情報が筒抜けの可能性はある。どこまで奴らが貴族に食い込んでるのかわからないままだからな」
リートの情報をアルベリヒに漏らしたのはブロスフェルトだった。
ブロスフェルトは王権派の有利に事が運ぶようにベギールデを利用しているつもりだったのだろうが、逆に彼らに利用されていた。
「どうせ会うからには、奴から自供を引き出させたいところだが、そんなヘマはしないだろうな」
ミヒャエルの言葉を聞き流しながら、リートは考え込んだ。
会うことに対する恐怖はない。そばにはルイスもミヒャエルもいるのだ。
だがもしこれが罠で、彼の信者たちに捕まるはめになったら?
いや、ミヒャエルの言うとおり、リートたちが王宮に帰ってこなければ、そのときはソリンの騎士たちが出動することになるのだ。そうなればアルベリヒは無事ではいられない。リートはそう結論づけた。
馬車から降りたリートは、門の前で目の前に立っている建物を観察した。
アルベリヒの邸宅は、二階建ての一軒家だった。ミヒャエルとガブリエレが住んでいる家よりは大きいが、庭は狭く、噴水も温室もない。召し使いが何十人も住み込みで働いているような豪邸ではなかった。
そもそも、アルベリヒはそこまで経済的に豊かではないのかもしれないとリートは思った。彼が本物の宗教家なら、信者から金銭の類は受け取らないはずだ。だが、もし仮にそうだとしたら、ブロスフェルトの出した資金はすべて犯罪に使われたのだろうか。
召し使いのあとについて廊下を歩きながら、リートはそんなことを考えた。
三人が通された部屋は少し趣が異なっていた。戸棚には、さまざまな形や材質の置物が並び、壁には立派な額縁に入った絵画が何枚も飾られていた。
リートは、まるで自分の世界にある美術館を訪れているような気持ちになった。
「わたしの蒐集品を気に入ってくださったようですね」
その声にリートはびくっとして振り向いた。そこには黒ずくめの格好をした男が立っていた。
一見するとどこを見ているのかわからない、焦点の合わない斜視の入った褐色の瞳。穏やかな顔つき。なにもかもが、リートの記憶通りだった。
男が笑顔でリートに歩み寄り、ゆったりとした動作で手を差し出す。視線の定まらない男の微笑み方は、どこか超然としたものをリートに感じさせた。
「あなたとはあの時お会いしましたね。またお目にかかることができて嬉しいです」
「それは、どうも」
リートは男とは握手せず、それだけ言った。
ルイスが庇うように男の前に出る。
「彼は天啓者だ。気軽に接してもらっては困る」
しかし、男は手を引っ込めたものの、萎縮した様子はまったく見せなかった。
「そうでしたか。これは失礼を。ですが道理で聡明なはずだ」
リートはただのお世辞だろうと思って本気にしなかった。自分が聡明なら、少なくとも学校の成績はもっといいはずだし、なにか質問されてもすぐに答えられるはずだ。
「王宮に行ったわたしの側近が、あなたに一方的に言い負かされてしまったと言っていました。あなたは議論が得意なようですね」
「いや、全然……」
言いながら、リートはあの時のことを思い出して恥ずかしくなった。あれはただ相手の考えが気に入らないから反論しただけで、まったく議論になっていなかった。
むしろ相手を言い負かすなんて、絶対にやってはいけないことだとリートはつねづね思っていた。議論は相手を負かすためにするものではない。相手と意見を交換するためにするのだ。
リートが気まずい思いでうつむいていると、また男が口を開いた。
「それより、挨拶がまだでしたね。わたしはアルベリヒ・クルムと申します。本日は招待に応じていただき、感謝申し上げます」
男がそう言ってリートたちに軽くお辞儀すると、三人のやりとりを黙って見ていたミヒャエルがソファから立ち上がり、挑戦的に微笑んだ。
「こちらこそ、招待にあずかり光栄だ。だがノルベルトが自首してからわざわざ我々を招待するということは、あなたが犯人だと自白していると取ってもいいのかな?」
ミヒャエルの先制攻撃にリートは内心どきりとしたが、アルベリヒは笑みを崩さなかった。
「申し訳ありませんが、なにをおっしゃっているのかわかりかねますね。わたしはただ、あなたがたの誤解を解きたかっただけです」
「誤解だと?」
「あなたがたも、わが教団のあり方についてはお調べになったでしょう。わたしは確かにベギールデを作った人間ですが、信者に直接会ったことがありません。むしろ、今回の一件で迷惑しているのはわたしのほうです。爆破事件を起こし、ハーナルの騎士を殺したのがたまたまベギールデの信者だった。それだけのことで、我々まで疑われるような事態になることはどうしても避けたかったのです。教団の評判が落ちれば、布教に差し支えますから」
「直接、か。なら間接的に会ったことは?」
ミヒャエルの問いかけにアルベリヒがわずかに首を傾げる。
「どういう意味でしょう」
ミヒャエルがアルベリヒを探るように見ながら言った。
「あの部屋のことさ。あの部屋は隣の部屋から声が聞こえる仕組みになっている。あなたはあそこで信者の話を聞いていたんだ」
アルベリヒがわずかに首を傾げ、困ったようにミヒャエルを見る。
「なんのことかわかりませんが……捕まった犯人がそう言ったのですか?」
「……そうだと言ったら?」
ミヒャエルが挑戦的にそう言ったが、アルベリヒは笑みを深くしただけだった。
「わたしにはったりは通用しませんよ。本当にあなたが犯人からすべて聞き出しているなら、わたしはとっくの昔に捕まってハーナルの留置場にいるはずですから。なんとか状況を打開しようとしてあなたがたはここに来た。そうではありませんか?」
ミヒャエルはこの手は通用しないと諦めたのか、ふっと瞼を閉じて息を吐いた。
「そのとおりだ。あなたの目論見通り、ディートリヒは重要なことはなにも話さない」
うつむくミヒャエルを見ながら、リートはそうだろうと思った。
ディートリヒはミヒャエルを憎み、妬んでいる。
なにもかも自白すれば多少は罪も軽くなるはずなのに、彼が嫌いだというそれだけの理由で捜査の邪魔をしている。そして、そのことをアルベリヒはよくわかっている。リートはそう思った。
「爆破があったとき、なぜ大聖堂にいた? あなたはリヒトを信仰していないのだろう?」
ミヒャエルの問いかけに、アルベリヒが使用人の淹れた紅茶を一口飲んだあとでうなずいた。
「ええ。ですがあそこにある天井画をわたしは気に入っていましてね。時間があるとよく見に行くのです。宗教的な価値と芸術的な価値は別ですから。わたしが行った日に爆破されたと聞いて驚きました。修復にはしばらく時間がかかるようで……残念です」
「ブロスフェルト卿はベギールデを支援していたようだが」
「ええ。閣下のご好意はありがたく思っています。貴族である閣下が、我々のような一介の宗教団体に寄付してくださっているのですから」
「好意? 布教を許してもらう代わりに、ブロスフェルト卿に協力していたんだろう? そう本人が証言している」
アルベリヒが口元を上げる。
「まさか。なにか勘違いをなさっていらっしゃるようですが、卿には本当にただ支援していただいていただけです。ヴァイスハウプト卿を失脚させるために利用されているなどとは思いもしませんでした」
「ノルベルトのこともディートリヒのことも知らないし、会ったことはないと?」
「ええ、知りません。わたしを陥れようというだれかの陰謀でしょう」
アルベリヒは平然とした顔でそう言うと、また紅茶を飲んだ。
「ただ布教しているだけなら、なぜわざわざ住所を偽造してここに住む必要がある?」
「あなたがたのような権力を持つ人間に住所を知られるのがいやだからです。布教しているというだけで逮捕されてはかないませんからね。いくら法律でほかの宗教の存在が認められているといっても、それは国を脅かさない程度の規模の組織に限られている。それに今回のように、わたしに罪を着せようという不届きな人間もいますから。そのための用心です」
そこでいったん話すのをやめ、アルベリヒはミヒャエルに微笑みかけた。
「わたしはしがない平民にすぎませんから。……あなたがた貴族とは違ってね」
「我々はただ事件を解決したいだけだ。思想を弾圧するために動くことはない。リヒト原理主義者は、自分たちの思想を実現させるためなら、人を殺すことも厭わない。だから取り締まっているだけのことだ」
ミヒャエルの反論に、アルベリヒの目がすっと細まった。
「それは建前ですね。あなたがたはいつもそうやって、治安維持という大義名分を掲げて人々を抑圧している。わたしが聞くかぎり、ハーナル騎士団の評判は決してよくありません。リューディガー・フォン・アイゼンシュタットが団長に就任してからというもの、王都の犯罪は減少しましたが、乱暴で抑圧的だと平民は嘆いている。しかも彼は根っからの実力主義者で、使えない人間はすぐに切り捨てる冷酷な人間だそうですね」
アルベリヒの辛辣な批評を聞いても、ミヒャエルは動じるどころか笑みを深くした。
「そのとおりだ。だがわたしは冷酷だと思ったことはない。能力のない人間を解雇するのは当然のことだ。それよりも、能力がないのに適当に仕事を与えて飼い殺しにするほうがよほど冷酷だ。本人のためにも組織のためにもならない。税金の無駄遣いでもあるしな」
「ならば、あなたは議員になる能力がないから、貴族の嫡子であるにも関わらずハーナルの騎士をやっているのですか?」
アルベリヒの問いに、一瞬不意を衝かれたようにミヒャエルが口を閉じた。
ミヒャエルの動揺した様子を見て取ったように、アルベリヒが微笑んだ。
「あなたは名の知れた貴族ですからね。調べるのはたいして難しくありません」
「……そんなところだ。わたしは人づき合いが苦手だからな」
ミヒャエルはそっけなくそう言った。
その突き放した物言いに、リートは一瞬ひやりとしたものを感じた。ミヒャエルからいつもの穏やかな笑みが消えていることが、リートは不安だった。
アルベリヒはそんなミヒャエルの様子をちらりと見てから、また口を開いた。
「それに、原理主義者に対してはやり方が手ぬるいと言わざるを得ませんね。わたしなら彼らの根城を強襲して一人残らず滅ぼす。それができないのは、リヒトがこの国の国教だからです。そのせいで神聖派は彼らに強く出られない。ほかの宗教に対しての抑止力になりますから」
「ソリンは専守防衛だ。相手が攻めてこないかぎり、自分たちから打って出ることはない」
横から口を挟んだのはルイスだった。
ルイスがまっすぐにアルベリヒを見つめる。
「あなたは今の体制に不満があるようだが、それなら意見書を書くなり、正規の方法で訴えるべきだ。議員でもない我々に文句を言ったところでなにも変わらない」
しかし、アルベリヒはまるでルイスの声が聞こえなかったかのように、また話しだした。
「べつにわたしは、あなたがたと国の体制について議論したいわけではありません。いくら言葉を尽くそうと、我々の意見は平行線を辿るだけなのですから。それより、もっと別の話をしましょう。そうすれば、よく見えるようになるはずです。……今まで見えなかったものが、はっきりと」
アルベリヒの謎めいた言い方に、ミヒャエルが眉を上げる。
「それはどういう意味だ?」
しかし、アルベリヒはただ微笑むだけだった。
