RIHITO

Story

 学校に居場所のない十六歳の男子高校生、いちひとは、ある日学校の階段から転がり落ちた拍子に聞こえてきた声に、ここではない別の世界に行くことを提案される。
 彼が辿り着いたのは、自分の名前と同じ「リヒト」と呼ばれる存在を信仰する王国だった。この国で理人は、天啓者てんけいしゃと呼ばれる特別な存在らしい。しかし、理人の来訪を預言した巫女の少女ユーリエからは、ここでなにをするかは自分で考えなければならないと言われてしまい……?

※読む前の注意
・暴力や流血描写、恐怖表現があります。
・宗教に関する描写がふんだんに出てきますが、実在する宗教団体とは一切関係ありません。
・連載用に書いたものではないので、終わり方が不自然な箇所があります。ご了承の上お読みください。

  • おもな登場人物

    一ノ瀬理人=リート……男子高校生ユーリエ……ヴォルヴァと呼ばれる巫女ルイス・フォン・ブラウエンシュタイン……ソリン騎士団の騎士エミリア・アデーレ・リヒトガルテン……リヒトガルテン王国の王太女ミヒャエル・フォン・シェーンドルフ……ハーナル騎士…

第1章 声に呼ばれて

  • 第1話 声に呼ばれて

     ざわめきが聞こえる。 どんな? 形容しがたいざわめきだ。なにもかも違う。声の高さも話す速度も、そこにはなんの秩序も法則もない。音楽のような美しさはどこにもない。 とりとめのない内容のおしゃべりで埋め尽くされた教室の中で、一人の少年が窒息し…

  • 第2話 出会い

     リートはメルヒオルのあとについて、地上に続く螺ら旋せん階段を上った。 知りたいことは山ほどあったが、メルヒオルはなにも教えてくれるつもりはないようだった。 だが、そんなことはどうでもいいと思う自分もいた。あの世界にいなくてすむのならなんで…

  • 第3話 ルイス

     次の朝、リートの機嫌は最悪だった。 昨日はあれからひどいことばかりだった。寝室でうとうとしていたところを侍女に起こされ、それが終わったかと思うと食べきれない量の夕食が出され、侍女に給仕されながら食事するはめになった。 おまけに給仕を断ると…

  • 第4話 王宮見学

     翌朝、リートはまたしても侍女に起こされたが、今度は支度を手伝われることはなかった。ただ、ずっと制服を着ているわけにもいかなかったので、用意されていた服に着替えることにした。 派手な服だったらどうしようかと思ったが、幸いにも用意されていたの…

  • 第5話 ここにいる理由

     次の日、リートはライナスが来るのを待っていた。 昨日、退出する前に、ルイスが明日の午前中は用があるので来られないとリートに言ったのだ。 代役をライナスに頼んでおいたと彼が言ったので、リートは少し嬉うれしくなった。 ノックの音とともにライナ…

  • 第6話 襲撃

     それから二人は部屋を出て、聖殿に向かった。 リートは、自分が現れた場所にもう一度行ってみたいと思ったのだ。それにあの時は気が動転していてほとんど内部を見ていなかったので、もう一度よく見ておきたかった。 入り口には二人の衛兵が立っていた。 …

  • 第7話 拒絶

     ハーナル騎士団の庁舎では、だれもが事態の対応に追われ、忙せわしなく動き回っていた。その混乱のあいだを縫うように、一人の青年騎士が足早に歩いていた。淡い金髪にグレーの瞳を持つその青年の容貌は、だれもが振り向くほど端正で、人目を惹ひくものだっ…

  • 第8話 祈り

     寝台の中で、リートは布団を頭から被ったまま寝返りを打った。 ……眠れない。 あれからリートはずっと食事も摂らず、寝室に閉じこもっていた。 あのあとルイスとどうやって別れたのかもよく覚えていない。 今の状況を受け入れることを、リートの精神、…

  • 第9話 本音と真実

     リートははっと目を覚ました。 昨夜のことがすべて夢のような気がした。あれからどうやって部屋に返ってきたのかまるで思い出せない。 もう辺りは明るくなっていたが、太陽の位置はまだ低く、少々肌寒かった。 リートは寝台から起き上がり、窓の外を見つ…

第2章 怒りと哀しみの先に

  • 第10話 クラウス

     ライナスと来たときよりも、聖殿への入り口は警備が厳しくなっていた。 事前に申請しなければ、部外者はいっさい入れないようになったらしい。 そんなことをしても意味がないのではないかという気持ちを、リートは抑えられなかった。今回のように、突然大…

  • 第11話 決闘と王女

     困ったことになった。 リートは寝台の中でため息をついた。(騎士って、やっぱり名誉が大事なんだ) だが、そのために決闘するなんてどうかしているとリートは思った。 リートのいた世界では、私闘は禁じられていた。今どきそんなことをするのは、反社会…

  • 第12話 謁見の間で

    (……どうしよう) 廊下を歩きながら、リートは今日何度めになるかわからないため息をついた。 リートは、王族に会うために謁見の間に赴いていた。 エミリアの言っていたことが本当だったとルイスが告げたのは、昨日のことだった。 ルイスによると、べつ…

  • 第13話 謁見のあとで

    「ひどいよ、ミリィ様。僕にはああ言っておいて、自分はいたずらするなんて」 リートが抗議すると、エミリアは楽しそうに声をあげて笑った。 今のエミリアは礼装ではなく、あの夜と同じようなミモレ丈のドレスに、足元は足首まである深靴ブーツという出いで…

  • 第14話 いつもと違う朝と夜

     地下の聖殿で、ユーリエは地面に坐り込み、リートが供えた花束をじっと見ていた。薄紫色の瞳からは、相変わらず感情を読み取ることができなかった。 その時、螺旋階段を下りる音が辺りに反響した。現れた女性の影がユーリエを見下ろす。「なにを考えている…

  • 第15話 ゾフィー襲来

    だれかが自分の肩を揺すっている。「リート様」 うつらうつらしていたリートは、その声で飛び起きた。慌てて時計を見ると、もうすぐ侍女が来る時間だった。 リートは急いで支度をすると、ユーリエを寝室に連れていった。「ここに隠れてて。僕がいいって言う…

  • 第16話 ユーリエの過去

     宣言通り、エミリアは昼休みに訪ねてきた。「朝から災難だったわね、リート」「本当だよ」 リートは紅茶を飲みながらため息をついた。「ゾフィーのような人が僕は苦手みたいだ」 エミリアが深くうなずく。「わかるわ。わたしはゾフィーが大嫌い。授業もつ…

  • 第17話 知らない感情

     地震だと思ったリートは、出口を確保しようとすぐさま寝室の扉を開けたが、居間の様子を見て驚いた。居間は室内燈シャンデリアから棚の上の調度品に至るまで、なにひとつ揺れていなかった。 思えばルイスが真っ先に駆けつけてこないのも、召し使いたちが騒…

  • 第18話 君のために

     メルヒオルの部屋で、ゾフィーは冷静に筋道を立てて、ユーリエがいかに間違ったことをしたかということ、今まで通り俗世間と関わらないことが大切だということをメルヒオルに懇々と説いた。 すべての話を聞き終えてから、メルヒオルは今度はリートのほうを…

第3章 宴で

  • 第19話 エミリアの憂鬱

    「宴の日取りが来週に決定した」「そう」「行きたくないか?」 リートはルイスに苦笑いしてみせた。「人が大勢いるのは疲れるだろうなと思って」「わたしも乗り気はしない。だが個人的にリートには出てほしいと思っている」 そう言ってルイスはいつも以上に…

  • 第20話 ミヒャエル

    「いい天気ですね、リート様」 ヴェルナーが気軽な調子でそう言った。「そうだね……」 リートが力なくそう返すと、ヴェルナーがからりと笑った。 彼の笑顔は、今の晴れ渡っている空と同じくらい明るく、開放感に満ちていた。「そんなに心配しなくても大丈…

  • 第21話 誘い

     翌朝、リートは侍女が自分を起こす声で目が覚めた。考え事をしながら眠ったせいで頭が重かった。「どうしたの?」 半分寝ぼけたままリートが声を出すと、侍女が頭を下げた。「シェーンドルフ卿がお見えです」 ミヒャエルのことだとわかった瞬間、ぼんやり…

  • 第22話 ミヒャエルの屋敷

     ミヒャエルの屋敷は、リートが想像していた貴族の大邸宅とは違ったが、とても洒しゃ落れた屋敷だった。重厚さはまったくなく、明るくて開放的な雰囲気で、二階にある居間には趣味の良い調度品や家具が並んでいる。 彼が手ずから紅茶を淹れたのでリートは驚…

  • 第23話 和解

     足音がだんだん近づいてくる。「ミヒャエル!」 扉を蹴破るかのような勢いで現れた長身の人影に、ミヒャエルが笑いかけた。「遅いぞ、ルイス」 ルイスはこれ以上ないほど険しい目つきでミヒャエルを睨にらんでいた。 少年のように凛りんとした眉は吊り上…

  • 第24話 服選び

    「損な役回りだったわね、お兄様」 二人が出ていったあとで、ガブリエレがそう言うと、ミヒャエルが茶器を片づけながら疲れたように笑った。「まったくだな。だが結果は上々だ。これでわたしは正々堂々と彼に会いに行ける」 ガブリエレはミヒャエルにさりげ…

  • 第25話 練習

    「さっきはごめんなさい、リート。あなたの気持ちを考えずに先走って」 また衣装掛けが運び込まれた部屋で、エミリアはそう言ってリートに謝ってくれた。「いいんだ。ミリィ様は僕のことを考えていろいろ用意してくれたんだから」 リートがそう言うと、エミ…

  • 第26話 交錯する思惑

    (……やっぱり来なければよかった) リートは会場に到着してから後悔した。 大広間は人でごった返していて、人々の談笑する声が絶え間なくリートの耳に響いてくる。それに、こちらの様子をちらちら窺われている気配がして、リートは居心地が悪かった。 や…

  • 第27話 ルーツィア

    「こっちだ」 ルイスに導かれた先には、栗くり色いろの髪を結い上げ、ラヴェンダー色のドレスを着た痩身の若い女性が待っていた。 彼女の儚はかなげで繊細な面立ちを目にした瞬間、リートはまるで月のような人だと思った。「リート、彼女がルーツィア・フォ…

  • 第28話 主役の条件

    「楽しんでいるかな、リート」「まあ、それなりに」 リートが言葉を濁すと、メルヒオルが苦笑した。「すまないね。君が人が大勢いる場所を好まないのはわかっていたんだが、これも必要な措置でね」「わかってます。それに僕はミヒャエルに接触してしまったし…

第4章 ベギールデ

  • 第29話 出発前

     つまらない会合だ。 そう思いながら、ミヒャエルは目の前に並ぶ面子を観察した。 ミヒャエルの正面には、一人掛けのソファに坐すわったハインリヒがいた。そのすぐ横に縦向きに置かれた二人掛けのソファには、側近であるブロスフェルト卿と秘書のディート…

  • 第30話 大聖堂で

    しかし、出発したはいいものの、馬車の中では気まずい空気(そう感じていたのはリートだけだったが)が流れていた。 リートたちの向かい側に坐ったミヒャエルは、終始機嫌が良さそうに窓の外を眺めていたが、リートの隣ではルイスが腕組みをして瞼まぶたを閉…

  • 第31話 ハーナルの捜査

    「リート!」 ルイスがリートに覆おおい被かぶさった瞬間、再び辺りを強烈な爆風が駆け抜けた。 ルイスに庇かばわれたまま、リートは必死になって叫んでいた。「ルイス! 大丈夫?」 ルイスがライナスのようになってしまったらと思うとリートは気が気では…

  • 第32話 ベギールデ

     次の日の朝、リートは昨日の爆破騒ぎが王宮でどう取り沙汰されているかをルイスに聞いたが、事態はまだ動いていないようだった。それもこれも、ミヒャエルがその時間帯に自分たちがルーデル大聖堂にいたことを伏せてくれたおかげだとリートは思った。この事…

  • 第33話 ルイスの懸念

    「いいの? 本当に?」 エミリアの話を聞いても、驚いたことにメルヒオルは駄目だと言わなかった。「かまわないよ。わたしの窮地をみんなで救ってくれると嬉しい」 メルヒオルはそう言って穏やかに微笑んだが、リートは内心驚いていた。自分があの時間にル…

  • 第34話 作戦開始

     その男の指は、長く繊細でほっそりとした形をしていた。 男の指が、馬をかたどった黒色硝ガラ子スの騎士の駒にかかり、白と黒の市松模様の描かれた盤上を滑るように移動させる。 男の服装は奇妙なもので、上は襟飾りからシャツ、胴着ベスト、上着、下は長…

  • 第35話 潜入

     ミヒャエルとルイスが足を踏み入れた建物は、外観こそ教会のようだったが、中はまるで違っていた。 ミヒャエルは注意深く辺りを観察した。 入ってすぐの所に、酒場のような細長い天板机が設置されている。ここでだれかが訪れた人間となにかやりとりをする…

  • 第36話 罠

     自分を信じること。それがどういうことなのか、今までリートはよくわからなかった。だが、今は少しだけわかる。大事なのは、だれかの教えに服従することではなく、自分の感じ方と考え方を大事にすることなのだと。「だから、僕はあなたたちの言うことを信用…

  • 第37話 ハーナルの騎士団長

     リートとエミリアは、王宮の入り口の所でルイスとミヒャエルの帰りを待っていた。 二人の周りには、トリスタンとほかの近衛騎士たちが控えている。「ほんとに、二人はここに戻ってくるの?」「そのはずよ。ミヒャエルがルイスの言うことを聞いていればだけ…

  • 第38話 ミヒャエルの謎解き

    「殿下、お待ちください!」 秘書官の制止を聞かず、エミリアは扉を開けて中に入った。リートたちもそれに続く。「なんだ、騒々しい。今日の面会の予定はすべて断ったはずだぞ。無礼な人間は即刻帰らせろ」 ハインリヒが不機嫌な声で言いながら、読んでいた…

  • 第39話 決別

     リートたちを見送ったあと、ミヒャエルは扉を閉め、執務机に向かって歩を進めた。 椅子に坐ったまま、こちらの様子を窺うかがっているハインリヒと、ミヒャエルは机を挟んで向かい合った。「閣下。天啓者の件はお断りします」 ミヒャエルが単刀直入に言う…

第5章 ユストゥスとエヴェリーン

  • 第40話 食事会

    「いやー、楽しみだなー」 そう弾んだ声を出すヴェルナーに、リートは思わず笑っていた。「嬉うれしそうだね」「だって、あのガブリエレ様に会えるんですよ? こんな機会は滅めっ多たにありません」 リート、ルイス、ヴェルナーの三人は、ミヒャエルの屋敷…

  • 第41話 歌劇への招待

    「結局、今回の件はディートリヒが爆破の犯人で、それに気づいたイェンスが口封じのために殺されたということになった」 ミヒャエルが復帰し、リートの部屋にはいつもの四人が集まっていた。「ブロスフェルト卿きょうはハーナルの担当からは外れたけれど、そ…

  • 第42話 血まみれのエヴェリーン

     メルヒオルの部屋の前で、リートは深呼吸した。 ただ頼み事をするだけだ。怖くても、恐れる必要はない。 リートは緊張しながら部屋に入ったが、そこには先客がいた。髪も髭ひげも見事に白い老年の男がソファに坐っている。確か宴のときに見かけた人物だ。…

  • 第43話 前夜祭当日

     前夜祭の当日、リートは億おっ劫くうな気持ちで一日中ソファに寝転がっていた。 まるで行く気になれない。 そろそろ支度しなければならない時間だったが、まったくと言っていいほどやる気が起きなかった。 だが土壇場でやめるわけにはいかない。なにせ劇…

  • 第44話 気づきと誘い

    「……ルーツィア」「はい」 ルイスに名を呼ばれ、ルーツィアが歩きながら顔を上げる。「……わたしは大人気ないな」 ため息交じりにルイスがそう言うと、ルーツィアは微笑んだ。「いいえ。ありがとうございます。守っていただいて」「君がそう思ってくれて…

  • 第45話 ユーリエの部屋

     ゾフィーが扉をノックする。「ユーリエ、天啓者がいらっしゃいましたよ」 そう言ってからゾフィーは扉を開けると、長くなりすぎないようにとくぎを刺し、リートを中に促した。 入った瞬間、リートは拍子抜けした。 なんとも無機質で殺風景な部屋だ。 リ…

  • 第46話 地下での遭遇

     逃げ惑う人々の中で、ルイスとルーツィアはなんとか移動しようとしていた。「ルーツィア!」 繋つないでいた手が離れ、人波に浚さらわれそうになったルーツィアをルイスは抱き寄せた。ぶつかられ、揉もみくちゃにされながら二人はやっと群衆の中から抜け出…

  • 第47話 後悔

     リートたちが螺旋階段を上って地上に出ると、そこには夜会用のドレスから普段着に着替えたエミリアがいた。隣にはゾフィーもいる。周りにはアルフォンスたちハーナルの騎士が控えていた。「ユーリエ!」 ゾフィーがユーリエに急いで歩み寄る。「なぜこんな…

第6章 彼女の好きな人

  • 第48話 守りたいもの

     次の日の朝、ルイスは珍しく毎日の習慣から逸脱した行動を取っていた。 秋が深まりつつあるこの季節の早朝は、空気が張り詰めていて、上着なしでは肌寒い。 ルイスは、エミリアがこの時間帯にいつも剣術の稽古をしていることを知っていた。「ミリィ」 エ…

  • 第49話 越えられない壁

    「トリスタン!」 ハーナルの騎士が数人、トリスタンを取り囲んでいる。今にも連行されそうな様子だった。トリスタンが主人の姿を認め、驚いたように振り返る。「王女」「トリスタンはわたしたちとずっと一緒にいたわ。彼には無理よ」 答えたのはエドゥアル…

  • 第50話 演じるということ

     ミヒャエルの聴取が終わったあと、リートの部屋では、例によってまた四人が集まっていた。「議会が荒れているようだ。ハインリヒと連絡を取るのをやめてしまったから、わたしも正確なところはわからないが、どうも状況は芳かぐわしくなそうだ」 ミヒャエル…

  • 第51話 図書室で

     なにかが変だ。 なにが変なのかわからないが、変だということだけはわかっていた。 リートは昔から気になることがあると、突き詰めないと気が済まない性格だった。食事しているときも入浴しているときも、朝から晩までそのことを考えてしまう。「おはよう…

  • 第52話 科学の本義

     ミヒャエルがリートの部屋を訪ねてきたのは、休暇の最終日だった。「犯人が自首してきたの?」 リートは驚いてそう言うと、ミヒャエルがうなずいた。「ああ。今朝のことだ。正確には爆薬を調合した犯人だが」 今部屋にいるのは、リートを除けばルイスとミ…

  • 第53話 好きなこと

     次の日、エミリアはリートの部屋の前でルイスに入室を阻まれていた。「ちょっと、どういうことよ面会謝絶って」 エミリアが抗議すると、ルイスが淡々と答えた。「リートの頼みだ。知りたいことがわかるまでだれにも会わないと」 エミリアが訝しげな顔にな…

  • 第54話 消えた台本

     次の日、リートは聖殿にいるユーリエの元を訪ねていた。「もう体調は大丈夫なの?」 はい、とユーリエがうなずいた。「申し訳ありません、わたしが意識を失ったせいで、ルイス様もリート様も危険な目に遭わせてしまって」「君は悪くないよ。悪いのは犯人の…

第7章 光と影

  • 第55話 招待

     その機会は唐突に訪れた。 リートがいつものように部屋でエミリアと談笑していると、そこに突然ミヒャエルが緊張した面持ちで訪ねてきたのだ。「アルベリヒが屋敷に招待してきた」 前置きなしでそう言ったあと、ミヒャエルが黒い封筒を卓の上に投げた。 …

  • 第56話 光と影

    「例えば、あれはなにに見えます?」 アルベリヒが視線で示したのは、部屋の奥に飾ってある金色の物体だった。 前足を高く上げて嘶いななく馬に、人が騎乗している。「像だろう」「絵だ」 同時にそう答えたミヒャエルとルイスは、互いに顔を見合わせた。「…

  • 第57話 避難

     エミリアが菓子を片手に不機嫌そうな顔で言う。「それで、どうしてルーツィアが狙われなきゃいけないの? この件に直接関係ないのに」 いつものように、リートの部屋にはエミリアが来ていた。 アルベリヒの屋敷に行ってから、丸一日が経とうとしていた。…

  • 第58話 開かないオルゴール

    ルーツィアの部屋の前でルイスと別れ、リートはルーツィアと部屋に入った。 ルーツィアがリートに手ずから紅茶を入れてくれたのでリートは驚いたが、彼女は召し使いを置かずに一人で暮らしているのだとリートに説明してくれた。「ルーツィアのお父さんはここ…

  • 第59話 刺客

    その夜、独房の中で、ノルベルトは自分の身柄が司法省に引き渡されないと知って、計算通りだと内心でほくそ笑んでいた。 ハーナルの連中は悔しがるだろうが、自分を欲しがる議員は何人もいるはずだとノルベルトは確信していた。 巡回にやって来た看守の足音…

第8章 裏切り

  • 第60話 エミリアの葛藤

    「お待ちください、殿下!」「待たない」 背後にかかるゾフィーの声に、エミリアは小声でそう返した。 どこまでも追いかけてくるゾフィーに苛いら立だちながら、エミリアは王宮の中を足早に歩いていた。元はと言えば、授業に身が入らず、ゾフィーの講義を途…

  • 第61話 失恋

     書いても書いても終わらない。 リートはため息をついた。 手書きで台本を復元するのは骨が折れた。リートはこんなに長時間、自分の手で文字を書くのは久しぶりだった。 自分の世界では、電子演算装置パーソナルコンピュータに鍵盤型入力装置で文字を出力…

  • 第62話 気まずい二人

     最後の台詞せりふを書いて、リートは机の上に突っ伏した。「終わった……」 今はそれしか考えられなかった。 人は長期間取り組んでいたなにかが終わったとき、感慨に耽ふけるより先に空っぽになってしまうものらしいとリートは思った。「できたよ、ルイス…

  • 第63話 内通者

    「あったよ」「ありがとうございます」 リートがハンカチーフを差し出すと、ルーツィアは大切そうに受け取った。「まだ使っていたのか」 ルイスが目を細めて言うと、ルーツィアが微笑んだ。「ルイス様がわたくしに初めて贈ってくださった物ですから。大事な…

  • 第64話 最後の告白

     ミヒャエルが案内した先はバルコニーだった。ミヒャエルが人払いしたらしく、そこにはだれもいなかった。「どうしたんだ? わざわざわたしに用なんて」 開け放たれていた窓を閉めながら、ミヒャエルがそう言った。「ちょっと気になることがあって」 言い…

  • 第65話 迷宮の先に

    「やめろ、ルーツィア!」 短剣を避けながらルイスは叫んだが、ルーツィアはやめなかった。悲痛な表情を浮かべ必死に叫ぶ。「お逃げください、ルイス様! 早く!」 その言葉を聞いてルイスははっと周りを見渡した。幾つもの黒い影が音もなく自分たちにじり…

  • 第66話 ミヒャエルの過去

     ユーリエがふっとメルヒオルの前に現れる。「ルイス様は宿舎の自室にお運びしました」「ありがとう、ユーリエ」 メルヒオルはそう言ってユーリエに微笑んだあと、応接用のソファに項うな垂だれて坐っているミヒャエルに視線を向けた。「……ミヒャエル」「…

  • 第67話 夢と過去

     ミヒャエルの話を聞いたリューディガーがうなずいた。「なるほど。その女はベギールデに弱みを握られていたんだな」「はい」「殺害予告を受けた人間が内通者とはな。奴やつらも考えたものだ」 副団長のブルーノが考えながら言う。「彼女は以前からベギール…

  • 第68話 懺悔

     リートは重たい瞼をなんとかこじ開けた。 話が終わったのは午前零時頃だったが、リートは明け方になるまで眠れなかった。 ミヒャエルはリューディガーに報告したあとどうしたのだろう。あのまま一睡もせず捜査に戻ったのだろうか。 そして、ルイスは目を…

  • 第69話 彼女のために

     王宮に戻ったリートは、ヴェルナーと手分けしてルイスを探した。 ヴェルナーが宿舎を見てくると言ったので、その間にリートは自分の部屋を見てみたが、ルイスはいなかった。 ヴェルナーがリートの部屋に入ってくる。「宿舎にはいらっしゃいませんでした」…

  • 第70話 むなしい言葉

    「大丈夫ですか?」 物思いに耽っていたリートはその言葉ではっとした。ユーリエの薄紫色の瞳が、じっとこちらを見つめていた。 初めて会った日に、ルーツィアにもそう訊かれたことをリートはふと思い出した。 葬儀の翌日、リートは聖殿に来ていた。特に目…

第9章 失われた光

  • 第71話 礼拝堂で

     ルイスは泣かない人だ。 エミリアはそう思っていた。 一般的に、男性は人前では泣かない。 だがおそらく彼は、子どもの頃から今までだれかが見ている前で泣いたことがない。 エミリアには、なぜかそんな確信があった。 しかし、自分は一度だけ見たこと…

  • 第72話 だれが彼女を殺したか

     扉が開いた瞬間、リートは緊張した。「おはよう、リート」「おはよう、ルイス」 しかし、リートはそこから言葉が続かず口を閉じた。こういうとき、なんと言っていいのかわからなかった。 ルイスとまともに話したのは、葬儀の日以来だった。「わたしがいな…

  • 第73話 湖畔で

     庭園の端に広がる湖の土手に、リートは腰を下ろした。 この数日、リートは時間があればずっとここで物思いに耽ふけっていた。部屋にいるのは息が詰まったし、良くない感情に囚とらわれて抜け出せなくなってしまいそうだったからだ。 膝を抱えて座り込み、…

  • 第74話 求めているもの

    「……君はお人ひと好よしだな、リート」 ミヒャエルはそう言いながら、制服の上着のポケットから懐中時計を取り出し、蓋ふたを開けた。「もうこんな時間か。時間が経たつのは早いな」 リートは、ミヒャエルの時計をじっと観察した。この懐中時計の鎖には、…

  • 第75話 せめて自分らしく

     リートは、ユストゥスとエヴェリーンの復元された台本を読みながら、ぼんやり考え込んでいた。 それは、ルイスの暗あん誦しょうする内容をリートが母国語で書いたものだった。 いつもの自分なら、だれかの記憶に頼ったものなど信用しなかった。 人間の記…

  • 第76話 リートの決意

     次の日の朝、リートはエミリアに言ったとおり、ライナスの眠る墓地を訪れていた。「久しぶり」 あのときにはなかった真新しい墓石の前に、リートは花を手向けながらその場にしゃがみ込んだ。墓石には、彼の名前と生没年がリヒタール文字で刻まれている。「…

  • 第77話 二度目の招待

    「そろそろ戻りましょう」 ヴェルナーに促され、リートはうなずいた。 二人は無言で元来た道を歩いた。 しかし、二人の行く手を阻むように、出口のところに黒い法ほう衣え姿すがたの男が立っていた。 ヴェルナーが警戒した顔で、リートを庇うように前に立…

  • 第78話 彼らの行動原理

     リートは車寄せに停とめた馬車から降りると、ヴェルナーを伴って部屋に戻った。 しかし、扉を開けようとしたヴェルナーが無言で自分に目配せした。 鍵が開いている。ヴェルナーは警戒しながら扉を開けたが、中の光景を目にした瞬間息を呑のんだ。 そこに…

  • 第79話 メルヒオル、去る

    「え……?」 メルヒオルの言葉を聞いたリートの第一声はそれだった。 エミリアも納得できないという顔でメルヒオルを見た。「しばらく休むって……どうして?」「なに、少し休暇を取るだけだ。この機会にやりかけだった本の執筆の続きでもしようかと思って…

第10章 エルフリード

  • 第80話 リートの計略

     リートは、ハーナル騎士団の庁舎にある中庭の長椅子に腰掛けて、ミヒャエルが来るのを待っていた。傍らには近衛騎士が立っている。 今は近衛騎士二人が交代でリートの護衛をしていた。 それは、ヴェルナーが責任を取って辞めると申し出たせいだった。 リ…

  • 第81話 聴取

     「聴取の内容はおまえが記録してくれ。おまえのことだから、速記もできるんだろう?」 庁舎に戻ったミヒャエルがルイスにそう言うと、ルイスが怪け訝げんな表情になった。「できるが、おまえの部下はアルフォンスだろう。頼めない理由でもあるのか?」 ミ…

  • 第82話 愛がなくても

     ルイスと別れて部署に戻った瞬間、騎士たちの視線が一斉に自分に集中したので、ミヒャエルは当惑した。しかし原因はすぐにわかった。 自室の前に、トリスタンが直立不動の姿勢で立っている。 それが意味することはひとつだった。 トリスタンが扉を開け、…

  • 第83話 ライバル未満

    「……ルイス」 エミリアはそれだけ言うのがやっとだった。 なぜ、よりにもよってこんなところを見られてしまうのだろう。 いつも自分たちは間が悪いことの連続で噛かみ合わない。 バツの悪い思いで固まっているエミリアとは対照的に、ミヒャエルはまった…

  • 第84話 図書室で

    「じゃあ、僕が字を読めるようになったのも君のおかげだったの?」 リートが目を丸くして言うと、エルフリードがうなずいた。「そう。言語だけ僕の記憶から取り出せるようにしたんだよ。君の世界にある外部記憶装置に接続するみたいにね。君の世界に行くまで…

  • 第85話 相談

    「ルイス……なんでここに」 リートがそう言うと、ルイスが近寄ってきた。「ミヒャエルに頼まれたんだ。仕事に必要だから調べてくれと。君こそどうして――」 しかし、ルイスは言葉の途中で突然はっとしたように周囲を警戒した。「どうしたの?」「いや、な…

  • 第86話 最後の決闘

     次の日の早朝、ルイスはいつも通り稽古を終えたあと、指定された場所でエミリアを待っていた。 勇気を振り絞って開けたにもかかわらず、手紙に記されていたのは日時と場所だけだった。 しかし、時間になってもエミリアはやって来なかった。 彼女は自分が…

  • 第87話 前夜

     メルヒオルは屋敷の客間で、客人と机を挟んで向き合っていた。「君がわたしの屋敷に来るなんてね。わたしは原稿の執筆をやめて、遺言状でも書いたほうがいいのかな」 客人の男がじろりとメルヒオルを睨む。「……どういう意味だ」「わざわざ君がわたしの屋…

  • 第88話 再会

     その頃、リートは落ち着かない気持ちでソファに坐っていた。 今日は婚約式が行われる日だ。 結局、どうしていいのかわからないままこの日を迎えてしまった。 「なんとかならないかな……」〈君が会場に乱入して王女を攫さらってきたら?〉 エルフリード…

第11章 終わりの始まり

  • 第89話 謀反

     トリスタンたちは、王宮を出たところで、やっとアンスヘルムに追いついた。 剣を構えたまま、トリスタンは行方をくらませていた同僚に険しい視線を向けた。「……アンスヘルム。おまえがルーツィア嬢を殺したのか」「ええ」「なぜそんなことを」 しかし、…

  • 第90話 百年の孤独

     メルヒオルとユストゥスは、王宮内のある部屋を訪ねていた。 秘書に案内されて二人が部屋に入ると、髪も髭ひげも見事に真っ白な老年の男が近づいてきた。「メルヒオル。蟄ちっ居きょ中ではなかったのかね」「すまないね、ニコラ。だが事は緊急を要す事態で…

  • 第91話 囚われの騎士

    「ヴェルナー」 名を呼ばれ、振り向いたヴェルナーは目を丸くした。 そこに立っていたのはアルフォンスだった。 ヴェルナーはいつも通り、ソリンの同僚たちと訓練場で剣術の稽古をしている最中だった。「珍しいな、おまえがここに来るなんて。ソリン嫌いが…

  • 第92話 想いの強さで

    「初めまして。あなたがアルベリヒね」 なんとか平静を装ってエミリアがそう言うと、アルベリヒがうっすらと微笑んだ。「決闘王女。あなたのことはよく知っていますよ」「直接会ったことはないのに?」「彼女から聞きました。王宮に来る前から、彼女はあなた…

  • 第93話 救いがなくても

     ルイスはアンスヘルムをまっすぐに見据えた。 赦しなどいらない。 そんなものを望んだことは、今まで一度もなかった。「断る。他人を犠牲にしてまで生きることになんの意味がある」「そうでしょうとも。両親と婚約者を犠牲にしてあなたは生きているのです…

  • 第94話 リヒトの理(ことわり)

     エルフリードは坐ったまま、指揮するような仕草ですいっと手を動かした。 まるで見えない糸で操っているかのように、短剣が勝手に浮き上がり、ミヒャエルの身体を何度も刺し貫く。 声にならない悲鳴がミヒャエルの口から漏れる。 ミヒャエルは頭の片隅で…

  • 第95話 エヴェリーンの過去(1)

     リートは目を開けた。 そこは会議室のような場所だった。 ハインリヒが着ていたような、黒い宮廷服を着た男たちが等間隔に席に坐っている。 これはエヴェリーンの記憶だ。自分の姿はだれにも見えていないのだろうとリートは思った。閣僚の一人が立ち上が…

  • 第96話 エヴェリーンの過去(2)

     また場面が変わった。 人々が逃げ惑っている。 黒ずくめの装束に白い仮面。リヒト原理主義者だ。「リヒトに自由を!」「リヒトを解放せよ!」「エヴェリーン様をお救いするのだ!」 自分の命も省みず、捨て身で突撃を繰り返す原理主義者に、武装したソリ…

  • 第97話 エヴェリーンの過去(3)

     騎士たちが去り、その場にはユストゥスとエヴェリーンだけが残された。「……本当に行くのか? これはアウグストと貴族の自業自得だ」 ユストゥスが硬い表情で言うと、エヴェリーンが目を伏せた。「わかっているわ。でもわたしはこれ以上彼に……エルフリ…

  • 第98話 選択

    「……これがわたしの記憶のすべて」 リートは瞼を開けた。 自分の隣を見てリートは驚いた。そこにはユーリエがいた。 どうやらユーリエも同じものを見せられていたらしい。「どうすればいいの? どうすれば、彼を止められる?」 リートがそう訊ねると、…

第12章 帰還

  • 第99話 それはまるで奇跡のように

     なにも見えない。完全な暗闇だ。 光がないせいで、自分の姿すら見えない。(戻れなかったのかな) リートはそう思った。 自分は失敗したのだろうか。 ならば、なぜまだ意識があるのだろう。 それとも、これから徐々に消えていくのだろうか。(あれは)…

  • 第100話 ユストゥスとエヴェリーン

    「結局、君の言うとおりになったね。まさかベギールデがほかの近衛騎士まで取り込んでいたとは思わなかったが」 執務室の椅子に腰掛けたマティアスはそう言ってから、傍らに立っている白い法ほう衣え姿すがたのメルヒオルに視線を向けた。「でも、今回ばかり…

  • 第101話 ルイスの答え

     彼女に言わなければならないことがある。 剣を振りながら、ルイスはそう思った。 だがいざとなると、口にすることをためらっている自分がいた。 今までなにかを先延ばしにしたことはなかった。しかし、どうしてもそうする勇気が持てなかった。 近衛騎士…

  • 第102話 存在の証明

     リートは廊下を歩きながら、自分たちの縁はなかなか切れないらしいと、後ろを歩くヴェルナーをちらりと見てから思った。 近衛騎士に大量に欠員が出てしまったせいで、警護にはまたヴェルナーが来てくれていた。 ヴェルナーは、ソリンに関する最新の情報を…

  • 第103話 再び庁舎で

    「だから僕は、劇作家が死んだあとで舞台化したときに、作曲家が貴族たちの意向を受けて脚本を修正したんだと思うんだよ。だからだんだんエヴェリーンの神格化が進んで、最後ユストゥスが死んじゃう展開になったんだ」 そう締めくくってから、リートは顔を上…

  • 第104話 わからなくても

     次の日の朝、リートはじっと壁時計を見つめていた。 彼は時間ぴったりに来るはずだ。 秒針がリヒタール数字の十二を指したのと同時に、ノックの音がした。 リートは立ち上がって自ら扉を開けた。 そこに立っている人物に、リートはほっとして笑いかけた…

  • 第105話 帰還

     それから日々は瞬く間に過ぎた。 旅行から帰るときのように荷造りする必要がないので、リートは気楽なものだった。 帰る前日に、エミリアがルイスとミヒャエルを呼んで、また四人で話す機会を作ってくれた。 リートはそれが嬉しかった。 いつものように…

番外編

  • 王女と少年

    「……やめろ」 気に入らない。 たかが一介の貴族が、王女である自分に命令するなんて。 鋭くこちらを睨にらんでいる少年と対たい峙じしながら、エミリアはそう思った。 エミリアは背中を踏みつけていた足を芝生の上に下ろした。 その瞬間、クラウスは負…